♯34.5 白河さんの涙 ※白河さん視点

「ったく、あのバカ息子が」


 大和やまとさんのお父さんがお茶を飲みながら怒っている。


 大和やまとさんは急遽、お店に呼ばれて仕事に行ってしまった。


 かなり心細いし、寂しい。


 さっきまでは上手にお話で来てたと思うけどこれからどうしよう……。


 うちの親が来るのにはもう少し時間がかかる。


汐織しおりちゃんごめんね、あんな息子で」

「そんなことはないです! お仕事頑張っているのは素敵だと思います!」


 本心からの言葉だ。


 お仕事を頑張っている大和やまとさんは本当にかっこいい。


 私はそんな大和やまとさんを見て好きになったんだから当然の言葉だ。


汐織しおりちゃん、涙出ちゃってるよ」

「え?」


 大和やまとさんのお母さんに言われて気がついた。


 いつの間にか私の頬には涙が伝わっていた。


「あ、あれ? おかしいな……」


 さっきは我慢できたのに、そう指摘されると涙が止まらなくなってしまった。


「あの……私、大和やまとさんを困らせたいわけじゃ……」


 私も一緒に働いていたからよく分かる。


 大和やまとさんが頼られる理由も、大和やまとさんが慕われている理由も。


 だからそんなことが悲しいんじゃない。


 置いて行かれたのが悲しいんじゃない。


「うぐっ……えぐっ」

汐織しおりちゃん……」


 今日は、大和やまとさんのご両親が来るというから失礼がないようにと何度も練習をしたのに。


 でも、これでは大失敗だ。


 わけの分からないことで泣いてしまっている。


「あいつ、一生懸命になると周りが見えなくなるでしょう。昔からそうなんだ」


 大和やまとさんのお母さんが私の頭を撫でながらそう言ってきた。


 そんなことない!


 大和やまとさんはずっと私のことを気にしてくれている。


 ずっと優しくしてくれている。


 でも――。


汐織しおりちゃんは大和やまとと同じ職場にいたんだって? 大和やまとは会社ではどんな人間だった?」

「うぐっ……」


 その言葉を聞いて、また涙が溢れ出してしまつた。


 大和さんは優しくて、いつも格好良くて……。


 だから大好きで。


 付き合ってからもっと好きになって。


 昨日、大和やまとさんに悔しいと言ったのは嘘ではない。


 でも、ちょっとだけ違う意味もあった。


「ぐすっ……うぐっ……!」


 大好きな人が一生懸命やっていることのそばにいられないのが悔しい。


 大好きな人が真剣にやっていることのそばにいられないのが悲しい。


 去年は……!


 ついこの前までは私も一緒に仕事をしていたのに!


 丑の日も、お盆も、年末も!


 私がずっと値下げをしていたのに!


「うわぁあああああん!」


 ついには声を抑えられなくなってしまった。


 みっともないし、情けない。


 ――私は大和やまとさんの恋人になることで、大和やまとさんが人生をかけて頑張っていることの一番そばにいられなくなってしまったのだ。




※※※




「あらあら、そんなことでうちの子は泣いてたんですか」

「すみません、うちの馬鹿息子が大切なお嬢様にご迷惑をおかけして……」


 最悪だ。


 泣いているタイミングでうちの親がやってきてしまった。


 これでは私が大和やまとさんにかなり不満があるみたいだ。


大和やまとのことは後で叱っておきますから」

「や、やややめてください!」


 さっきまではニコニコしていた大和やまとさんの両親が真剣な顔になっている。ギャップもありとても怖い。

 

「あのね、汐織しおりちゃん。大和やまとのことが嫌になったら無理しないんでいいんだよ」

「ぜ、全然そんなことないですから!」


 あーあー……。


 今はうちのお父さんとお母さんもいるのにそんな話をされちゃってる。


 私が勝手に泣いただけなのに、これじゃ大事おおごとにされちゃうよ。


「そんなことないですよ、水野みずのさん。だってうちの汐織しおり大和やまと君のことを見てアルバイトを――」

「お願いだからそのことは言わないで!」


 恥ずかしくて死んでしまいそうだ。


 その話は大和やまとさんにすらしていないんだから絶対にやめてほしい。


「水野さん、本当にすみません。この通り、賑やかな母と子でして。一人娘だったので大分甘やかしてしまいました」


 うちのお父さんの一言で場がぴしっと引き締まった。


汐織しおりちゃん、大丈夫? 本当に大和やまとのこと嫌じゃない?」

「全然! 全然そんなことないですから!」


 大和やまとさんのお母さんにとても心配されてしまっている。


 うぅ、今日は本当に大失敗だ。


 事前に江尻えじりさんにも絵真えまさんにもどうすればいいか相談していたのに……。


「とりあえずお食事でもどうでしょうか? あっ、汐織しおり大和やまと君にお刺身お願いできたりしないかな?」

「できるわけないでしょう! 大和やまとさんは今日休みで出社してるの!」


 うちのお父さんもお父さんだった!


 ……私はこっそり気づいているが、実はお母さんよりもお父さんのほうが大和やまとさんのことを気に入っている。


 いつぞやか、自分とちょっと似ている匂いを感じるとか言ってたし。


 お父さんって魚のお刺身大好きだし。


白河しらかわさん、お魚とは違いますが焼肉でもどうでしょう? この辺に美味しい焼肉屋さんがあると調べてきまして」

「あっ、いいですね。実はこの辺のことはまだよく分かってなくて」

「これからお互いにこっちに来る機会があるでしょうから。美味しいお店を沢山開拓しちゃいましょう」


 お父さん同士で話が進んでいってる。


 うちのお父さんが初見の人とこんなに親しそうに話すのはとても珍しい光景だ。


汐織しおり、大丈夫? 本当に大和やまと君に迷惑かけてない?」

「うっ……」

「やっぱり! どうせあんたのことだから大和やまと君に甘えてるんでしょう!」

「し、仕方ないじゃん! 一緒にいればいるほどもっともっと好きになっていくんだもん!」


 つい大きな声を出してしまった。


「良かったぁ~、汐織しおりちゃんは大和やまとのことそんな風に思ってくれてくるんだ」


 大和やまとさんのご両親が私にそんなことを言ってきた。


 きょ、今日はやらかしてばっかりだ……。


 私の顔は絶対に本マグロよりも赤くなっていたと思う。

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