♯32 社会人と学生の恋愛①

「ただいま」

「おかえりなさいっ!」


 家に帰ると、すぐに汐織しおりが子供みたいに俺に抱きついてきた。


「本当に早く帰ってきてくれたんですね!」

「今は生臭いからくっかないほうがいいよ」

「値下げで慣れてるから大丈夫です!」


 いつもにも増して汐織しおりが甘えてくる。


 ちょっと明日のことは言いづらいな……。


 汐織しおりならきっと分かってくれるとは思うけど。


大和やまとさん! 私、見つけちゃいました!」

「見つける?」


 汐織しおりを抱えたままリビングに向かう。かなり軽い。


 リビングのテーブルの上には求人票が置いてある。

 

 その求人票を横目で見ながら、ゆっくりと汐織しおりをソファーにおろした。


「どうしたのこれ?」

「ほらー! 鮮魚部門のアルバイト募集してますよ!」

「あー、そういえば店長が募集するって言ってたような……」

「えへへ~、応募しちゃおうかなぁ」


 勤務時間は夜17時~20時。時給はかなりお安め。

 学生アルバイト大歓迎の文字が一緒に添えられている。


「いつから働けるかなぁ」


 テーブルの上には履歴書が置いてある。コンビニかどこかで買ってきたのだろう。


 汐織しおりが完全に鮮魚部門で働く気になっている……。


 少し前に話した暗黙のルールの話を忘れてしまっているようだ。。


汐織しおり、俺たちが一緒に働くのはもう無理だよ。恋人同士は同じ部門になれないから。汐織しおりも俺も仕事やりづらくなっちゃうでしょう。周りも気を使うだろうし」

「……」


 ボールペンを握ろうとしていた汐織しおりの手がピタッと止まった。


「じゃ、じゃあレジ部門にでも……」

「どうしたの? そんなに急いでアルバイトなんてしなくていいのに」

「……」


 俺の言葉に汐織しおりが叱られた子供みたいに黙り込んでしまった。


 社会人の俺からすれば、そんなに急いで働かなくていいのにと思ってしまう。


 今しかない学生の時間を、アルバイトなんかしてないで全力で楽しんでほしいなと思ってしまう。


「す、すみません……」

「謝ることではないけど……」


 汐織しおりが目をふせてしまったので、俺はかがんで目線を合せた。


汐織しおり、我慢しないで思っていることは吐きだして欲しいな」

「……」

「俺、汐織しおりのそういうのは全部知っておきたい。俺も汐織しおりに言いたいことがあるし」


 しばらくすると汐織しおりがゆっくりと口を開いた。


「連休になると、一番近くにいるはずなのに一緒にいる時間が前よりも少ないような気がしてしまいまして……」

「……」

「それに悔しいんですもん」

「悔しい?」

「私の知らない大和やまとさんがいっぱい増えていくんですもん。沢山、私の知らない人と出会っていくんですもん。お弁当の話は本当に嫌でしたっ!」

「それはごめん……」


 職場の人間との時間のほうが、家族と過ごす時間よりも長くなる。

 

 ……確か、大木おおきさんのあの言葉はそれに由来するものだったと思う。


「なんで! なんでダメなんですか! 私が、私が本当は!」

「ごめん……」


 謝ることしかできない。


 汐織しおりと俺はもう一緒に働くことができない。


 これは間違いなく事実だから……。


 俺は汐織しおりのことを抱きしめた。


 少しでも落ち着くように髪の毛を撫でた。


「うぅ……」


 俺が思っているよりも、俺と汐織しおりの時間の早さは違うのかもしれないなぁ。


 汐織しおりはまだ未成年で、高校卒業してからまだ何日も経っていない女の子なのだ。


 俺が過ごしていている一か月間よりも、ずっと色んなことを感じていて、ずっと色んなことを考えていたのかもしれない。


「ほら、泣かない! 明日、お父さんとお母さんが来るんでしょう」

「うっ!」

「目、真っ赤にしたままだったら心配されちゃうよ」

「それは嫌です……」

「うん、明日は元気な姿を見せてあげよう」

「はい……」


 ……明日はやっぱり汐織しおりのことを優先しよう。


 綾瀬あやせさんには連絡いれておかないと。一人で空回ってしまって本当に申し訳ない。


汐織しおり、俺の話もしていい?」

「は、はい!」

「今日さ、昔お世話になった人に会って――」




※※※




 次の日になった。


 大木おおきさんのこと、リニューアル店舗対策、自店の売り場計画の見直し。


 ……正直、今しかできない仕事をやりたい気持ちは大いにある。顔合わせなんていつでもできるじゃんという気持ちもある。


 だが、今日は汐織しおりと一緒にいるべきだと思った。


 そうこうしていたら、うちのアパートの駐車場にうちの親の車がやってきた。


 何年も乗っているボロボロの普通車だ。


「あら~、大和やまと久しぶりね。ちょっと老けた?」

大和やまとも親父になったなぁ」


 車から出てくると同時にオフクロと親父にそんなことを言われた。


 実の息子に言う台詞じゃねーよ。


 しかも予定時間よりも一時間も早く着きやがって。


 それに、できればもう少し汐織しおりが安定しているときに来て欲しかった。


 だって――。


「なにそんなにムスっとしてるのよ!」

「そうだぞ大和やまと、お前は昔からそういうところがあるぞ!」

「そうよ! 笑顔笑顔!」

「笑う門には福来るだぞ」


 もう既にうるさい!


 うちの家族は非常に賑やかだからだ!


 こっちは今、そんなテンションじゃないっていうのに!


「絶対に! 絶対に汐織しおりには余計なこと言うなよ!」

「分かったわ! 絶対に言わないから!」

「フリじゃないからな!」

「ぜーーったいにしなから!」


 母親の鼻息が荒くなっている。


 不安しかない。


 両親はお笑いが大好き。

 いっつもノリと勢いだけで生きているような人間だ。


 こんなのが、汐織しおりと会ったらどんな化学反応を起こすか全くの未知数だ。


「お父さん! 大和やまとが絶対にするなって言ってるわ!」

「おう、任せろ大和やまと


「本当にフリじゃねーからなッ!」


 嫌だ嫌だ。本当に汐織しおりに会わせたくない。


 うちの両親を見たら白河しらかわ家の皆さんにもがっかりされるんじゃないだろうか。


 ただでさえ、今の汐織しおりは気持ちが弱っているのに……。



大和やまとさんの家族には失望しました! もう別れます!)



 ないないない!


 ないとは思うけど、そういった悪い妄想が膨らんでしまう。


「地面を足でドンッってやったらジャンプしないとね」

「うんうん、分かったか大和やまと


「アパートだからなッ! 下の階の人に迷惑になるから!」


 頼むから空気読んでくれぇ……。


 今日の俺はこいつたちを押さえつけないといけない。


(はぁ……)


 心の中で溜息をついていたら、早くも部屋の前に到着してしまった。


「は、はははは初めまして! 白河しらかわ汐織しおりです!」


 ドアを開けると同時に汐織しおりの大きな挨拶が聞こえてきた。

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