♯31 思いがけない再会

大木おおきさんっ!」


 俺は大木おおきさんが、品出しで売り場に出てくるのを待って話しかけた。


 まだこの業界にいてくれたこと。


 まだ鮮魚部門にいてくれたこと。


 それが全部嬉しかった。


「……」


 ――が、返事は聞こえてこない。


大木おおきさん! 覚えてないですか、水野みずの大和やまとです! お世話になっていた大和やまとです!」


 聞こえてなかったのかと思い、追いかけてまで大木おおきさんに声かけ続けてしまった。


 その様子を綾瀬あやせさんが何事かと心配そうに見ている。


「俺、近くの店にいるんですよ! 小林こばやし三郎さぶろうさんもいます! 小西こにしさんとも仕事をしてました! みんな心配してましたよ!」


 俺の知っている大木おおきさんなら、そこでニカっと笑って「元気でやっていたか!」とか「彼女はできたのか!?」とかそういう話になっていたと思う。


「……」


 ……でも、無視をされてしまった。


 聞こえていなかったのではなく、間違いなく無視されてしまった。


「お、大木おおきさん……?」

「すみません、他のお客様のご迷惑になるので」


 ようやく聞こえてきた言葉は、そんなそっけないものだった。


 確かにその通りだ。


 この前もそれで綾瀬あやせさんに怒られた。


 大木おおきさんの対応は何一つ間違っていない。


 ……でも、心にずしっと重しがのせられたような一言だった。


「失礼します」


 大木おおきさんは俺に浅くお辞儀をして、そのままバックヤードに戻ってしまった。


「……」


 色んな感情が自分の中でぐるぐると渦巻いている。


 まるでロボットみたいな印象を受けてしまった。


「……お知り合いなんですか?」


 唖然としている俺の様子を見て、綾瀬あやせさんが心配そうな顔で声をかけてきた。


「あの人、一応俺の師匠で……」


 憧れていた人との思わぬ遭遇に俺の頭は真っ白になっていた。




※※※




 ここ数年での一番驚いたかもしれない。


 だって、俺はずっとあの人の姿に憧れて仕事をしていたのだから。


 俺がチーフになれたのはあの人のおかげだ。


 俺が部門の人に優しくできていたのは、大木おおきさんの教えがあったおかげだ。


「ちょっとムカムカしてきた」 


 少し時間が経ち、頭が冷えたら異様に腹が立ってきた。


 自分ではあんなことを言っておいて、俺のことを無視しやがったのだ。


 俺の知っているあの人なら「男に慕われても気持ち悪いだけだ」とか言ってきそうなのに。


 取り残された俺たちが、今までどんな気持ちで仕事をやっていたか知らないくせに。


綾瀬あやせさん」

「な、なんでしょうか!?」

「俺、あの売り場に負けたくない」

「えぇえええ! らしくないこと言ってますよ!」


 確かに素晴らしい売り場だった。


 豪快かつ繊細で、いかにも鮮魚部門のお手本といった売り場だ。


 平日でこれなのだから、普段からこの売り場を維持しているということだろう。


 これは並大抵の管理能力ではない。


「絶対に、絶対に負かせてやる……!」

「ち、チーフが壊れた」


 この仕事をやっていて、初めてこんなに闘志が湧いてきたかもしれない。


 絶対にあの人には負けたくない。


 負けられないではなく、負けたくない。


 そんな気持ちでいっぱいになっていた。


「新店対策、一緒に考えましょう」

「お、おぉ~!」


 このことは大木おおきさんの旧知の仲の三郎さぶろうさんにも話したほうがいいよな……。




※※※




三郎さぶろうさん、あそこの店に大木おおきさんがいました」


 店に戻り、さっきあった出来事を三郎さぶろうさんに話した。


「そっか」


 意外にも三郎さぶろうさんから驚きの声はあがらなかった。


「鮮魚は技術職でもあるからね。会社をやめても、他の会社でも鮮魚をやるっていうのはよくあることだし」

「そうですか……」


 どうも釈然としない。


 他の会社に行ってしまったことが、俺と話しづらいことだったのだろうか。


 ……俺は全然そんなことを気にしていないのだから、普通に話してくれても良かったのに。


「俺、あの人に負けたくないです」


 三郎さぶろうさんにもそう言ってしまった。


 自分にこんな対抗意識が芽生えるとは思っていなかった。


 長年もやもやしていたところが、今ようやくこんな気持ちで発散されているのかもしれない。


「それがあの人への恩返しにもなるのかな」

「え?」

「ううん、俺も協力もするよ。水野みずのチーフ」


 寡黙な三郎さぶろうさんの目にも、火がともったように見えた。


「丸物の品ぞろえは完全に負けていたので、来週からは丸物の強化をしたいと思います。午前中は売り場に飾って、午後は刺身にしちゃいましょう」


 おそらく大木おおきさんもこちらに偵察にくるときがあるだろう。


 そのときに腑抜けた売り場をあの人に見せることなんてできない。


 刺身の切り方だって、品ぞろえだって負けていないっていうのをアピールしないと!


江尻えじりさん」

「はいっ!」

「これからはスパルタで行くから」

「きゅ、急に怖いですって!」


 江尻えじりさんが怯えた顔をしている。


綾瀬あやせさん、俺、明日ちょっとだけ顔出しますので」

「え? でも、外せない用事がって……」

「そっちは早めに切り上げるようにします」


 こんな機会は二度とないかもしれない。


 あの大木おおきさんとこんな形でガチンコ対決ができるのだ。


 俺の今までの仕事人生を賭けてあの人にぶつかってやる。


「よしっ! やってやるぞ!」


 そんな俺の様子を江尻えじりさんが何か言いたそうに見つめていた。

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