♯38 実家に帰ります

 ――その後、リニューアル対策は継続的に行われた。


 利益度外視の安売りは、俺が今まで守っていた部門の利益率を見る影もなくボロボロにさせた。


 でも、良い売り場は作っていたのでお客さんの姿は少しずつ取り戻しつつある。


 リニューアル当初の勢いこそはなくなってしまったが、それでもリニューアル前よりは良い売り上げを残すことができている。


 あの後、少しだけ大木おおきさんとのことを三郎さぶろうさんと話をする機会があった。


大木おおきさんがやめた理由聞いちゃいました」

「そっか、俺たちのこと軽蔑しただろう? 俺も小西こにしも、その他のチーフたちもみんな大木おおきさんには申し訳なく思っているよ。だから今もこの仕事を――」

「俺に言えることは何もないです。それに昔のことなので」

「昔かぁ……」

「それになんとなくそうしなきゃいけなかった理由も分かっちゃいます」

「理由?」

「家族がいるって大変だなって思います。予算が取れなきゃ賞与を下げられたりしちゃいますもんね」

「……君は聞き分けが良すぎるなぁ」


 三郎さぶろうさんがしみじみとそんな言葉を吐いた。いつもムスっとしている三郎さぶろうさんが、今は優しいおじいちゃんの顔になっている。


「聞き分けが良いって言うか純粋にすごいなぁと思ってるんです。絵真えまさん? でしたっけ。大学ってびっくりするほどお金がかかるって聞きました」

「もう首が回らなくなるくらい大変だよ」

「この会社、悲しくなるくらい安月給ですもんね……」


 意図的に目を背けていたが給料のことを考えると非常に気が重くなる。


 この激務でこの給料とかって考え始めると、ついサボりたくなる気持ちも出てきてしまう。


「だから残業させてチーフ」

「善処します……」


 あまりにも気持ちのこもったお願いをされてしまった。


 すみません三郎さぶろうさん……チーフごときでは部門員の給料は変えられないんです……。


「というか、水野みずの君ってそもそも人のことが大好きだよね」

「ぜーんぜん! 全然そんなことないですけどね! 内心、ハラワタが煮えくりかえってますけどね!」

「この仕事やっていると大体人間嫌いになるんだけどなぁ」

「人の話聞いてましたか?」


 三郎さぶろうさんが俺の言葉を無視して話を続ける。目元は完全に笑っていた。


「知ってるよ、そういうのを今はツンデレって言うんでしょ。娘から聞いた」

「流行り言葉みたいに言ってますけど今は普通に使う言葉ですからね……」


 時代錯誤な三郎さぶろうさん……。

 そこの部分は小西こにしさんのほうがまだ敏感だった気がする。


「でも、チーフ。給料を安いって思うってことはその先を考えてるの?」

「その先?」

「自分の将来のこと」




※※※




 夕方、綾瀬あやせさんが俺に声をかけてきた。


「チーフ、シフト上は明日休みですよね? ちゃんと休んでくださいね」

「はい、そうします」

「えぇええ! チーフが休むって言った!」

「自分で言ってきたくせに!」


 素直に返事したのに何故かびっくりされた。


 思えば一ヶ月くらいまともに休んでなかったかも。


綾瀬あやせ師匠ぅー! ようやく私たちの親分が休んでくれる気になったんですね!」

「変なのが混ざってきた……」

「変なのってなんですか! あなたの可愛い弟子の江尻えじりですよ!」

「自己アピールがひどい」


 江尻えじりさんも俺たちの会話に混ざってきた。


「大体、部門責任者が毎日いるってちょっと窮屈ですよね」

「うっ」

「気を抜く暇がないといいますか」

「ぐっ」

「まぁ、水野みずのさんに限ってはそういうのはないですが」

「だろうなっ! 本人がいる前でその話をするんだから!」

 

 はぁ……。


 とりあえず明日はちゃんと休もう。


 汐織しおりにも随分迷惑をかけてしまった。


 明日は汐織しおりとどこかに出かけるのもいいかもなぁ。


綾瀬あやせさん、明日は任せますね」

「はい、お任せ下さい」


 優秀なサブチーフがいると本当に助かる。


 前はこうはいかなかったもんな。


 前の店に行く機会があったら小西こにしさんに自慢してやろう。


「じゃあ江尻えじりさんも、明日は任せるからね」

「お任せあれです!」

「刺身にアニサキス入れないでね。俺の休みがぶっ飛ぶから」

「あれだけこすられれば最新の注意をはらいますから!」

「そんなにこすってたっけ?」


 そんなこんなで、リニューアル対決騒動も次第に落ち着こうとしている。


 でも、それだけじゃ終わらないのがスーパーのお仕事のつらいところ。


 これから土用丑の日は控えているし、地獄のお盆商戦も待っているのだ。


 ……今年はフルマラソンを走っている気分だ。実際に走ったことはないけどさ。


 大木おおきさんにはあんなことは言ったが、結局何が勝ちで何が負けになるのかは自分でもよく分かっていない。


 適当かもしれないが、それはこれからの仕事で分かればいいかなって思っている。


 色々あったが、仕事に後ろ向きにならずにいられたのは汐織しおりが支えてくれたおかげだ。


 明日は汐織しおりと一緒にのんびり過ごしたいな。


(もう三ヶ月か……)


 記念日はとっくに過ぎてしまったけど、今日はケーキでも買っていこう。


 そしてちゃんとお礼を言わないと。


 


※※※




「あれ?」


 仕事が終わり家に帰ると珍しく部屋が真っ暗になっていた。


 時間は夜の八時前。


 おかしいなぁ。この時間なら汐織しおりは必ずいるはずなのに。


 どこかに出かけているなら携帯に連絡があるだろうし。


 不思議に思いながらも合鍵で玄関の扉を開ける。


汐織しおりー?」


 返事がない。


 もしかしたら寝ているのかなぁと思ったが、奥の部屋の布団は綺麗にたたまれている。


 汐織しおりはやっぱり部屋にいないようだ。


 明かりを付けてリビングのテーブルを見ると書置きが置いてあった。


「ん?」



“実家に帰ります。明日には戻りますので。 汐織より”



 買ってきたケーキをテーブルに置き、俺はすぐに車に飛び乗ってしまった。

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