♯40 水野大和のプロポーズ

「どうしたんですか? そんなに急いで!?」

「はぁ、はぁ! だって急に帰るって言うからっ!」

「わ、私、ちゃんと書置き残しましたよね……?」

「だから実家に帰るって!」

「携帯が壊れたから実家に帰るって書いたんですが……。手続きはこっちでやらないといけないですし。それに明日には戻るともちゃんと」

「……」


 汐織しおりがやや気まずそうな顔をしている。


 しまった。文面の破壊力に惑わされてちゃんと読んでいなかったかも。


 も、もしかしてとんだ早とちりをしていた!?


「ほら、汗びっしょりですよ」

「……」


 汐織しおりが俺のおでこの汗をハンカチで拭ってくれた。


「心配で来てくれたんですか?」

「そ、そりゃあ」

「ふふっ、おっちょこちょいですね。ほら、携帯がないと誰とも連絡が取れなくなっちゃうから急いで直しに来ちゃいました。よく考えたら大和やまとさんのこと待ってからでも良かったですね」


 汐織しおりが口に手を添えて笑っている。


 やってしまった……。


 一人で焦って、一人で盛り上がってしまった。


 毎日毎日、鮮魚の作業場なんかに引きこもっているから気持ちも一人で縮こまってしまうんだ。


「帰りましょう? 今日はうちに泊まっていくんですよね?」

「う、うん」

「あれれ? 落ち込んでますか?」

「顔から火が出そうなくらい恥ずかしいだけ」


 こうなると白河しらかわ家の皆さんも人が悪い。


 すぐに教えてくれても良かったのに!


「じゃあアイス食べながら帰っちゃいましょう。大和やまとさんの顔の火を沈めないと」

「そういう冗談言えるようになったんだね……」

「あははは、大和やまとさんの彼女なので」


 汐織しおりが自前のエコバッグからアイスを俺に取り出した。


「なんかこのアイス値下げされてない?」

「そうです、値下げのやつを買っちゃいました。あそこのコンビニ、個人経営らしいので」

「へぇ~」

「懐かしいですね。最初のデートでコンビニは値下げしないって教えてもらいました。レアですよレア!」


 汐織しおりが俺に渡したアイスは棒がついているタイプのものだ。パッケージには春季限定の桜アイスと書いてある。


 なるほど、商品入れ替えで邪魔になったやつね。


 個人経営なら勝手に値下げしちゃってもいいのかな。


 汐織しおりも俺と同じアイスを取り出して口をつける。


「冷たっ」

「そういえば今年は桜を見に行けなかったね」

「リニューアル直後でしたもんね。来年は行ってみたいなぁ」


 汐織しおりと星空を眺めながら歩を進める。


 来年……。


 来年は俺はどうしているのだろう。


 汐織しおりは大学二年生。


 もっと大人っぽく、もっと美人になっているのだろうか。


「……汐織しおり、ちょっと俺の話してもいい?」

「大丈夫ですよ? 何かありましたか?」

「俺さ、ずっとスーパーの仕事が嫌いだった」

「えぇえ!?」

「給料だって安いし、シフトの休みはいつだってパートさんが優先でしょう。俺たちにとって大型連休はただの繁忙期でしかないし」


 プライベートでは極力仕事の話はしないようにしていた。


 親はもちろん、友人にさえ仕事の話はしないようにしていた。


 どうしても愚痴っぽくなってしまうからだ。


 チーフになってからは特にかなぁ。


 できるだけ格好良い自分でいようとしていた気がする。


「当然のように早朝出勤だしさ、夜は発注や伝票の打ち込みがあるのでなかなか帰ることができない。それで汐織しおりにはいつも迷惑をかけているしね」

「そ、そんなことは……」


 多分、それはあの生臭い作業場にいる限りずっと変わらないと思う。


 でも、この子には格好悪くても自分の思っていたことを伝えたいと思った。


大和やまとさんはお仕事やめたいんですか……?」


 汐織しおりがおずおずとその言葉を聞いてきた。


「ううん、今はそんなこと思ってないよ」

「じゃ、じゃあ……」

「この前、俺の昔の師匠の話はしたよね?」

大和やまとさんの恩人のお話ですよね?」

「うん、俺ってその人からずっと教わっていたことがあるんだ」

「教わっていたこと?」

「部門の人はの家族だって」

「私がアルバイトしていたときもおっしゃってましたもんね。優しい言葉だと思います」

「うん、俺は今でもそう思っている」


 あっ、やばい緊張してきた。


 今更ながらもっとちゃんとしたところで言うべきだったとか、完全にタイミングをミスってるとか思えてきてしまった。


 そもそもリニューアルで大木おおきさんに勝てたらとか思ってたじゃん。


 まだちゃんと勝っていないのに!


「……」

大和やまとさん?」


 アルバイト始めた頃よりは汐織しおりは少しだけ大人っぽくなった。


 その顔が不思議そうに俺のことを覗き込んでくる。


(……)


 ……ぐちゃぐちゃ考えてないでやっぱり言おう。


 伝えたい気持ちは、そのときに伝えないと、あのときみたいに伝えられなくなってしまうかもしれない。


「俺、その言葉をずっと大切にしてきた。けど……」


 今更、汐織しおりが最初に値下げ発言をしたときの気持ちが分かってしまった。


 本来は、値下げも告白もタイミングを見計らってやるものなのかもしれない。


 でも、そんなの関係なしにどうしてもその言葉を伝えたい。


 自分の気持ちを大切な人に知ってほしい。


「さっき言ったみたいに、どうしようもないスーパーの社員の俺だけどさ……!」


 ふと生温い夜風が頬を撫でた。


 値下げされた季節外れのアイスが、まるで自分の気持ちみたいにポタっと地面に落ちてしまった。




「俺、君とはの家族になりたいと思っている。大学卒業したら俺と結婚してください」

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