♯23.5 チーフになった日とチーフがやめた日

&♯0.5 「スーパー店員の白河さんは値下げシールをよく間違える」前日談



数年前



大和やまと! 昇進おめでとう!」

「あ、ありがとうございます!」


 “水野みずの大和やまと 鮮魚部門チーフ”


 入社三年目にして、休憩室にそんな人事異動の紙が貼り出された。


「がははは、さすが俺の弟子!」

「プレッシャーがすごいですって……」


 でかい声で笑っているこの人は、俺の上司の大木おおき康夫やすおさん。


 大木おおきさんは鮮魚部門のチーフでもあり、この地域の鮮魚部門を統括しているエリアチーフだ。


 エリアチーフとは店のみならず地域全体の鮮魚部門も管理しないといけない役職の人だ。


 つまり鮮魚部門の大ボスである。


「お前は俺と同じで不器用だったけど、本当によく頑張ったな」

大木おおきさんがスパルタなんですよ! とりあえず数をこなせって言うから! 腱鞘炎は中々治らないし!」


 スポーツ刈りの頭にいかつい顔、そしてやたらでかい声。


 俺から見た大木おおきさんは、いかにも豪快な魚屋の人間という感じだった。


 思ったことははっきりと口に出すし、怒るときは怒る。


 でも、言葉の端々には思いやりがある人だった。


 そして誰よりも仕事ができる人だった。


 結果、部門の人のみならず店全体からも慕われていたし、他の店舗のチーフからもとても頼りにされていたようだ。


「これで大和やまとに彼女でもできれば完璧だなぁ」

「また始まりましたよ、その話」

「レジに色白の可愛い子入ったぞ。連絡先聞いてきてやろうか?」

「絶対にやめてください」

「お前、そんなこと言ってると勘違いされるぞ」

「勘違い?」

「ホ――」

「さすがの俺だって怒りますからね!」


 そしてかなりのスケベ。

 下ネタ大好き人間である。


大和やまとの結婚式には、ちゃんと俺のこと呼んでくれよ」

「絶対に暴れるタイプだから嫌です」


 そんな人だからか、俺もいつの間にか遠慮せずに話せるようになっていた。


大和やまと、向こうの店に言ったら好きな売り場作ってみろよ」

「好きな売り場なんて作ったら利益ぶっ飛ぶじゃないですか!」

「そのときはうちの店に伝票だけ送ってこい。俺が全部面倒見てやるから。最初はやりたいようにやってみろって」

「……」


 店舗間の在庫移動は、商品と一緒にその商品の金額が入った伝票も送ることになっている。


 伝票だけを送る――。


 これはつまり、俺の数字が厳しくなったら大木おおきさんが補充してくれるという意味だ。


 会社的には決して褒められたやり方ではないだろう。


 でも、俺は大木おおきさんのその気持ちがとても嬉しかった。


「それに大和やまと、教えたことは忘れるなよ」

「教えたこと?」

「部門員は家族だからな。自分の家族よりも一緒に過ごすことになる人たちだからな。後、お客さんの顔はよく見ること」

「分かってますって」

「それともう一つ!」

「まだあるんですか!?」

「お前はどこに行っても俺の弟子だからな。困ったことがあったらすぐに連絡してこい」

「……大木おおきさん」

「おっ、泣くのか」

「泣いてません」


 高校を卒業してから三年。


 つらいだけのスーパーの仕事だったが、ここまで頑張れたのはこの人のおかげだ。


 尊敬できる上司であり尊敬できる師匠。


 俺はこの人に認められたくて仕事をやっていた。




※※※




 俺がチーフに昇進してから、もうすぐ一年が経とうとしていた。


 その間、大木おおきさんの手厚いサポートもあり、俺はなんとかチーフとして問題なく仕事をこなすことができていた。


 本部の部門会があれば他のチーフに俺のことを紹介してくれたし、バイヤーや統括などのお偉いさんには俺のことを“仕事ができるやつ”として紹介してくれた。


 本当にありがたかった。


 おかげで、俺は初年度のチーフとしてはかなり順調に数字を残せることができている。


 だが、そんなある日――。


「え? 大木おおきさんが降格?」


 ある日、店長からそんな話を聞かされた。


 寝耳に水とはまさにこのことだった。


「ど、どうしてですか!?」

「この前、社長の巡店があったでしょう? そのときに新人のミスをかばったみたい」

「新人のミス?」

「ほら、あそこの店って水野みずの君の代わりに入った新人さんがいたでしょう? その新人が産地のラベル間違えたんだって。それをかなり過激にかばっちゃったみたいで」


 値付けのラベルミス……。


 広告の商品が定番の値段のままになっていたり、産地を間違えてしまったり。


 人がやる仕事だから確かにそういうことはある。


 大体は売れる前に気が付いて、大事にならないのだけど――。


「俺、ちょっと大木おおきさんに電話してみます」

「うん、俺もちょっと電話してみるよ」


 俺と店長は大木おおきさんに電話をしてみることにした。


 多分、慕われているあの人のことだから、他の店舗の人たちも俺と同じように動いたと思う。


 でも――。


 大木おおきさんが俺の電話に出てくれることはなかった。




※※※




 その後、大木おおきさんは体調不良ということで出社しなくなった。


 エリアチーフからいきなり一般社員に降格。


 これが本部が大木おおきさんに下した処分だった。


 後から聞いた話だと、大木おおきさんは他にもいくつも部下のミスを自分の責任にしてかばっていたらしい。


 会社にミスを隠蔽していたのではないか――。


 それが今回の大幅な降格に繋がったらしい。


 俺が大木おおきさんに伝票を切ることはなかったが、もしかしたら他の店ではそういうことがあったのかもしれない。


 確かにコンプライアンスを考えれば、大木おおきさんのやっていることは正しいとは言えなかったけど……。


 今まで何十年もかけて積み上げてきたものを否定されたときの大木おおきさんの気持ちは俺には分からない。


 でも、弟子だと言ってくれた俺には一言欲しかった。


 役職なんて関係なしに尊敬していると伝えたかった。


 ――その後、大木おおきさんは誰にも連絡することなく退社することになった。


 結局、俺は尊敬していた上司でもあり師匠の退社に“ありがとうございます”も“お疲れさまでした”も言えずに終わってしまった。


 ほんのりと憧れていた、自分の結婚式に大木おおきさんをお呼びするという夢も叶わなくなってしまった。


 ……スーパーの仕事って一体なんなんだろうな。


 給料だって安いし、シフトの休みはいつだってパートさんが優先。


 みんなが喜ぶ大型連休は、俺たちにとってはただの苦しい繁忙期でしかない。


 当然のように早朝出勤だし、夜は発注や伝票の打ち込みがあるのでなかなか帰ることができない。


 お客様のために……働いている仲間のために……と言いながら自分自身を犠牲にしていく。


「スーパーの社員になんてなるもんじゃないな……」


 そんな言葉が心の底から漏れてしまった。


 仕事で誰かと関わるって一体なんなんだろう。

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