♯23 お魚の切り方 初級編

 お昼のどたばた騒ぎ終わった後の午後。


 今日は一つ新たに仕事でやりたいことがあった。


江尻えじりさん、今日から魚の切り方やるからね」

「ついにきましたね!」


 リニューアルで忙しくて中々教えることができなかったが、今日から新人の江尻えじりさんにお魚の切り方を教えることにした。


 一年目の新入社員なら本部の研修があったりするのだが、二年目の江尻えじりさんにはそれがない。


 完全に店舗で教えるしかないのだ。


 これは江尻えじりさんの今後を考えるうえで、かなり責任重大な仕事だ!


「よいっしょっと、他の店舗の在庫を引き受けたんだけど、ここに解凍サンマが100匹いるから」

「ひゃ、100匹!?」

「この時期に間違えて発注しちゃったんだって。丁度良い機会だから、在庫引き受けちゃった」


 お魚屋さんは旬が命。


 春に秋の味覚のサンマが売ることは難しい。


 他店舗で冷凍サンマの在庫を抱えて困っていると聞いたので、俺は江尻えじりさんの練習用にその在庫を引き受けることにした。


「あと、これが会社から江尻えじりさんに支給された包丁」

「あ、ありがとうございます!」

出刃でば柳刃やなぎばね。丸刃まるっぱにならないように気をつけてね」

「まるっぱ?」

「研ぎ方が下手だと刃のところが丸くなってきちゃうの。切れ味悪くなってきちゃうからね」

「ふぇええ……」


 江尻えじりさんがやや緊張した様子で、二つの包丁を受け取る。


 出刃包丁、魚の頭を落としたり三枚おろしするために使う包丁。幅広で、尺が短い包丁だ。


 柳刃包丁は、逆に幅が狭くて尺が長い包丁。こっちは刺身を切るために使われる。例えが悪いけど、やくざが持っているドスにちょっと似ている。


 基本、俺たちはこの二つの包丁を使い分けて仕事をしている。


「じゃあ出刃を出してもらって」

「は、はい」


 今日、江尻えじりさんに教えたいのはシンプルに魚の頭の落とし方だ。


 とりあえず数を切ってもらって、包丁に慣れてほしい。


 そして……。


綾瀬あやせさん! 江尻えじりさんにサンマの頭の落とし方を教えてもらっていいですか?」

「わ、私ですか!?」

「はい! 基本は綾瀬あやせさんに江尻えじりさんのことを任せたいと思ってます」


 後ろで仕事をしていた綾瀬あやせさんをこちらに呼んだ。


 本来ならベテランの三郎さんかチーフの俺が教えるところだが、今回は綾瀬あやせさんに任せることにした。


 綾瀬あやせさんの仕事ぶりは、サブチーフとしてはもう完成されている。


 だから、これから綾瀬あやせさんがチーフになるために一歩進んだことをお願いしようと思った。


 この前の事件があったから、綾瀬あやせさんと江尻えじりさんの関係が心配ではあるが、そこは俺が上手くフォローできるようにしよう。


江尻えじりさん、余談だけど鮮魚って他の部門と少し違うところがあるんだ」

「違うところ?」

「普通は他の部門って上司と部下の関係だけでしょう? でも、鮮魚は技術を教えてくれる人は自分の師匠にもなる。だから、これから江尻えじりさんは綾瀬あやせさんのことを師匠だと思ってね」

「師匠!」


 江尻えじりさんが楽し気に頷く。


 鮮魚部門の独特の風習とでも言うのだろうか。


 師匠と弟子の関係は、ときに上司と部下の繋がりも強くなる。


 他の店舗に移動することになっても、師匠と弟子の関係は途切れないからだ。


 俺の師匠はもう退職してしまったが、俺がチーフになったときは本当に色々面倒を見てもらった。


綾瀬あやせ師匠! 宜しくお願いします!」

「な、なんか照れくさいなぁ」


そんなことを言いながらも、 綾瀬あやせさんが満更でもなさそうな顔している。


(二人とも頑張って……)


 鮮魚部門の社員はお魚を切れるのが大前提。


 江尻えじりさんの長い長い修行の旅が今日から始まったのである。




※※※




「そうそう、基本お魚の頭は左側。切るときも、盛り付けをするときもそうだから覚えておいてね」

「はい!」

「まずはヒレの下に包丁を入れて」

「こ、こうですか?」

「うん、左手気をつけてね。包丁は寝かせない」

「は、はい!」

「もうちょっとギリギリ狙っても大丈夫だよ。歩留ぶどまりが悪くなっちゃうから」

歩留ぶどまり?」

「お魚で実際に食べることのできる部分のこと。勉強してね」

「は、はい!」


 自分の仕事をしながら、二人の様子をこまめに確認する。


 意外に綾瀬あやせさんの面倒見が良い。


 本当にただ勘違いされやすいだけの人だったのかもな。


「もしかしてサンマの三枚おろしって難しいやつですか!?」

「サンマは身が細いからね。最初は大きいお魚の方が簡単だよ」

「な、なるほど……!」


 教えてもらっている江尻えじりさんもかなり筋が良い。

 持ち前の器用さが所々にうかがえる。


江尻えじりさん、上手だから次のステップいっちゃおうか」

「次のステップ!?」

「頭とはらわたを一緒に取る方法」


 綾瀬あやせさんが実演しながら、江尻えじりさんに指導する。


 良かった、二人とも上手くやっていけそうだ。


「へぇ~、サブチーフが誰かに教えているとこ初めて見た」

「あっ、常盤ときわさん」


 詰め物をしていた常盤ときわさんが、どこか感慨深げにそんなことを口に出した。


常盤ときわさんって綾瀬あやせさんを見る目が完全に身内の目ですよね」

「そうかな? 私とサブチーフが、この店一番長いからね」

「えっ、そうなんですか?」

「うん。サブチーフがまだアルバイトしていた頃は、しずくちゃんしずくちゃんってみんなに可愛がられていたのに」

「……」

「あっ、しずくって名前だっけって顔している」

「すみません」


 常盤ときわさんが少し昔話を始めた。


「鮮魚って男の職場だからね、それに負けないようにって頑張ってたらあんな風になっちゃったのかも」

「お仕事頑張るのは悪いことではないんですけどね」

水野みずの君は、あの子の師匠になってあげてね。本当は誰かと関わりたかった子かもしれないから。私みたいなパートじゃ今まで何も変えられなかったから」

「……頑張ります」


 ここの鮮魚部門が少しずつ良い方向に動きだしたような気がした。

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