♯18 白河さんの敵情視察 前編

江尻えじりさん、これ」

「わー! ありがとうございます!」


 次の日のお昼休み時間。


 俺は江尻えじりさんに汐織しおりお手製のお弁当を渡していた。


 汐織しおり曰く、昨日いただいたお弁当のお礼らしい。


「もー! 昨日、事前に聞いてましたが嬉しいなぁ!」

「……」


 江尻えじりさんがとても喜んでいる。


 こいつめ、昨日は大変だったんだぞ。


 今日は会ったら一言ひとこと言ってやろうと思ってたんだ!


 俺はこの内部告発者を訴えることにした。


江尻えじりさん、言わなくても良いことを言うのはやめてよ! お弁当の中身を汐織しおりに言う必要なかったじゃん」

「うっ」


 お弁当を開けようとしていた江尻えじりさんの手が止まった。


 俺も汐織しおりのお手製のお弁当を持って、江尻えじりさんの隣の席に腰をおろすことにする。


「だってぇー、私だって面白くないわけじゃないですか」

「面白くないってなにが?」

「好きだった男にちょっかい出されているところを見るのは、さすがの私もムッとします」


 江尻えじりさんが急に真面目な顔になるものだから、俺も手が止まってしまった。


「私はあの一生懸命な白河しらかわさんだから引いたんですもん。そりゃ告げ口だってしたくなりますよ」

「……」

「でも、確かに言わなくて言いことを言い過ぎでした。それは反省してまーす」


 不貞腐れたような顔をして、江尻えじりさんがそっぽを向いた。


「ツッコミづらい」

「ふんっだ。私だってただの馬鹿じゃないんですからね」


 江尻えじりさんのあっけらかんとした性格に甘えていたが、そう言われてしまうと妙に納得してしまう部分もあった。


 今までは仲良くしていたが、江尻えじりさんとの距離感はもう少し考えたほうがいいのかな……?


 そんなことをもやもやと考えながら、江尻えじりさんとほぼ同時にお弁当箱を開ける。


 冷食のハンバーグに、冷食のスパゲッティ、手作りの卵焼き、ご飯の上にはふりかけと、内容は至ってシンプルなものだ。さすがに塩辛は入っていなかった。


「ふふふ、誰かに作ってもらうって嬉しいですね」

「うん」


 お弁当を見た江尻えじりさんの顔が、さっきとは打って変わって嬉しそうにくしゃくしゃになっていた。汐織しおりにお弁当を作ってもらったことが相当嬉しいらしい。


白河しらかわさんのこと泣かせたら私が怒りますからね」

「じゃあ、協力してくれよ!」

「それは時と場合によります。私は水野みずのさんの味方ではなくて、白河しらかわさんの味方ですから」


 なんだろう。心底、その言葉にほっとしてしまった。


 昨日みたいなことはあっても、俺と汐織しおりはまだ大きな喧嘩をしたことはない。これからももちろんする予定はない。


 ……でも、これからずっと汐織しおりと付き合っていたらいつかそういうときがくるかもしれない。


 もしそうなってしまったときに、無条件で汐織しおりの味方をしてくれる人がいるのは俺にとってもとても喜ばしいことだと思った。

 

「そっか、それはそれで嬉しいな」

「めちゃくちゃいい顔で笑っちゃってますよ」


 調子にのりそうだから本人には言わないけど、本当に江尻えじりさんが汐織しおりの友達になってくれて良かったと思っている。


 もちろん俺自身も、江尻えじりさんとはこのままの仲良くしていきたいと思っている。


「ところで江尻えじりさんって塩辛好き?」

「塩辛? なぜに今!? どちらかというと苦手ではありますが……」

「なんだ、つまんない」

「い、一体私になにをしようとしたんですか!?」

「秘密」


 江尻えじりさんとそんな会話しながらお弁当を食べていると、ふと後ろの扉が開いた。


「チーフ、お休みのところすみません。作業場に水野みずのチーフ宛にお電話が入ってます」

「あっ、今行きます!」


 綾瀬あやせさんが鮮魚作業場から俺のことを呼びにきたようだ。


「……」

「どうしました?」


 何故か綾瀬あやせさんがその場で固まってしまっている。


「それ――」

「それ?」


 綾瀬あやせさんの視線は俺と江尻えじりさんのお弁当に向かっていた。


「ち、チーフの彼女って江尻えじりさんだったんですかッ!?」

「はぁああああ!?」


 綾瀬あやせさんの目元にはどんどん涙が浮かんでいく。いつも無表情だった顔が本当に悲しそうな顔になっていく!


「なんでそうなるんですか!?」

「だって、それ……」

「ん?」


 今の状況だけを冷静に確認しよう。


 同じ店から異動をしてきた異性が隣にいる。


 同じ休憩時間で、同じ中身のお弁当を食べている。


「えへへ~、ついにバレちゃいましたねチーフ」

「今すぐ黙れ!」


 江尻えじりさんがふざけ始めた。




※※※




「ぐすっ、ぐすっ」


 しんっと静まり返った作業場に鼻をすする音が聞こえる。


「あ、あのサブチーフが泣いてる……?」

「なにがあったの?」


 お刺身を切っている村上むらかみさん・市川いちかわさんペアの大きな大きなひそひそ話が聞こえてくる。


 この前とは別の意味で地獄みたいな雰囲気だ……。


「チーフ、サブチーフになんかしたの?」

「してないけどしたみたいです……」


 三郎さぶろうさんがまな板で作業しながら、俺に声をかけてきた。


「も~、そんなに恥ずかしがらなくていいのに!」

「だから江尻さんは黙ってて!」


 江尻えじりさんの悪ふざけはまだ継続中。

 作業の手は動いているので、微妙にちゃんとは怒りづらい。

 こういうところは本当に器用なやつだと思う。


「えっ? 本当にチーフと江尻えじりさんと付き合ってたの!?」

「なわけないでしょう! これが付き合っているように見えますか!?」

「たまに見える」

「同じ部門でそんなことあるわけないでしょう!」

「それもそっか。若いっていいね~」


 いつもは寡黙な三郎さぶろうさんだが、今日は目元が笑っている。絶対にこの状況を楽しんでいる。


「ち、チーフ、明日の仕込みはどこまでやりますか?」

「あっ、もうそこが終わったら終了で大丈夫ですよ」

「分かりましたぁ……」


 綾瀬あやせさんがしょんぼり肩を落としたまま仕事を続けている。


 こっちはこっちで非常にやりづらい!


 綾瀬あやせさんにやめてほしくないからこの前ちゃんと話をしたのに、これではまた別の意味でやめていってしまう気がする!


「あっ――」


 そんなとんでもない状況で作業を続けていたら、売り場に見慣れた人影を発見した。


「あれです! あれですから! 俺の彼女は!」


 自分で思ったよりも大きな声が出てしまった。

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