♯16 勘違いしないでくださいねっ!

「ち、チーフ、これこの前のお詫びです」

「へ?」


 リニューアルオープンから十日ほどが過ぎたある日。休憩室でお昼ご飯を取ろうとバックヤードを歩いていたら、急に綾瀬あやせさんに声をかけられた。


「お詫び?」


 青いハンカチに包まれた四角い物体をぐいっと渡される。


「チーフ、いつもお昼は買い弁だったので……」

「はい?」

「勘違いしないでくださいねっ! ついで! ついでに作ってきただけだったので!」

 

 ど、どうやら俺はお弁当を渡されているらしい。

 綾瀬あやせさんがどこかのテンプレみたいな台詞を言っている。

 

「い、いいんですか?」

「この前のご迷惑料です! お弁当箱は洗わなくて結構ですから!」


 綾瀬あやせさんはそのまま俺にお弁当箱を押し付けて、どひゅーと音を立てて鮮魚作業場に戻ってしまった。


 ナニコレ?

 俺、彼女がいるって公言しているから特に深い意味はないよね……?


「ニヤニヤ」

「いやいやいや! 声に出てますから!」


 後ろからこっそりと俺のことを見ている人がいる!

 詰め物担当の常盤ときわさんにさっきの様子を目撃されていた。


「そっかそっかー。綾瀬あやせさんは水野みずの君にそっかー」

「意味深なそっかーはやめてくださいよ! 本人はついでだって言ってるんですから!」


 とりあえずこのお弁当はどうしようか……。




※※※




「あっ! 可愛い! 今日はお弁当ですか!?」


 休憩室に行くと、江尻えじりさんに声をかけられた。仕事を教えないといけな関係上、チーフは新人さんと同じタイミングで休憩に入ることが多い。


「も~、白河しらかわさんったら甲斐甲斐しいなぁ。本当に可愛いんだから」

「……」

「そんなの見せられたら、私のお弁当渡せないじゃないですか!」

「お弁当?」

「今日は水野みずのさんにお弁当を作ってきたんですよ~。この前、お世話になってしまったので」

「……」

「勘違いしてもいいですからね? 作るのとっても大変だったんですから!」


 江尻えじりさんが綾瀬あやせさんと全く逆のことを言っている。


 な、なんか嫌な汗かいてきた。


 江尻えじりさんと汐織しおりは、もはや親友と言っていいほど仲良くなっている。


 このお弁当の話は二人の間で絶対に出ると思う。


「ニヤニヤ」

「だから声に出てますからっ! ニヤニヤを声に出す人はいないでしょう!」


 全てを知る常盤ときわさんが、俺たちの様子を心底面白そうに眺めている。


 同棲が始まったばかりの頃、汐織しおりとこんなやり取りをしていことを思い出す――。


大和やまとさん! 私、毎日お弁当作りましょうか?)

(大丈夫だよ。俺、いつも朝早いから無理しなくていいって)

(で、でもぉ――)

(気にしなくていいよ。お昼はお弁当買うから)



 意外に勘が鋭いところあるしなぁ……。

 こんなことを言っておいて、汐織しおりに変な深読みされないだろうな。


「ふぅ……」

「どうしたんですか?」


 ちょっとだけ深呼吸をした。


 そうだよ、大体こういうことは変に隠そうとするからおかしなことになるんだ。


 やましいことはしていないんだから、俺は普通にしていればいいだけだ。


「このお弁当は綾瀬あやせさんが作ってくれたんだ。この前のお詫びだってさ」

「はぁああああ!?」

 

 そうだ、今話したことが全てだ。それ以上でも、これ以上でもない。

 ……が、江尻さんからは聞いたことのない悲鳴のような声が聞こえてきた。


「やってる! あの女、完全にやってるわ!」


 江尻えじりさんが何故か激昂している。


「あのさぁ、そうやって周りがはやし立てるからおかしなことになるの! そういうのは江尻えじりさんだってよく知ってるでしょう」

「ふーん、じゃあそのお弁当箱開けてみてくださいよ」

「ん?」


 なんだろ? 今の話とお弁当の中身が何か関係あるのだろうか。


 江尻えじりさんに促されるまま、俺は綾瀬あやせさんのお弁当箱を開けてみることにした。

 

「ほらーー! なんですかその可愛いお弁当は!?」


 お弁当を開けると、装飾された色とりどりの可愛いおかずが並んでいた。


 パンダの顔になっているおにぎり、たこさんウインナー。


 唐揚げの横には、ハート柄の卵焼き。


 ハンバーグには旗付きのつまようじが刺さっている。


「……」

水野みずのさーん、感想が漏れてますよー」


 思考が完全にフリーズしてしまった。


 どのおかずもひと手間加わっている。どこからどう見てもついでで作れるようなクオリティではない。ましてや、俺と同じように早朝出勤している綾瀬あやせさんが作るとなると相当な苦労だっただろう。


「と、常盤ときわさん! 俺みんなに彼女いるってちゃんと言いましたよね!?」


 その様子を面白がって見ていた常盤ときわさんについ話しかけてしまった。


「確かその話をしたときは綾瀬あやせさんは売り場に出てたような? ほら、私たちって最近まで彼女が作業場にいるときは話さなかったじゃない?」

「うげっ」


 そ、そう言われるとそんなような気がする。


白河しらかわさんに報告しないと」

「自分で言うからやめて! それを言うなら江尻えじりさんだってお弁当作ってきてくれたんでしょう!?」

「私はちゃんと白河しらかわさんに許可取りましたもん。いつ作るとは言ってませんでしたけど」




※※※




「あ、綾瀬あやせさん、お弁当ご馳走様でした。とても美味しかったです」

「お、お粗末様でした」

「お弁当箱は洗っておきましたので」


 何故か声がつっかえてしまった。

 みんなが帰宅したタイミングで、お弁当箱を綾瀬あやせさんに返却した。


「あ、洗わなくてもいいって言ったのに」

「いえ、とても可愛らしいお弁当でしたので、ちゃんと洗って返さないと申し訳ないなぁと……」


 やばい。かなり気まずい。

 何を話していいのかよく分からない。


「あははは、ちょっと子供っぽかったですかね……。実は可愛いものが好きでして」

「可愛いもの?」

「キャラクターもののぬいぐるみとかつい買っちゃうんですよね……。部屋にはもうぬいぐるみだらけで」


 へぇ~、この人ってそういう一面もあるんだ。

 職場だと真面目すぎるくらい真面目な綾瀬あやせさんの意外な趣味だった。


「観光地にあるぬいぐるみとかつい欲しくなっちゃいまして……」

「あー、それはちょっと分かります。お土産コーナーにあるぬいぐるみって一期一会って感じしますよね」

「そうなんです! そうなんですよ!」


 綾瀬あやせさんが初めて仕事以外で大きな声を出した。


「あ、綾瀬あやせさん?」

「あっ、すみません……。私の話をちゃんと聞いてくれる人ってチーフが初めてだったので楽しくなってしまいまして……」

「そんなことは――」


 少し悲しいことを綾瀬あやせさんが吐きだした。


「自分でも堅物だなぁっていうのは分かってるんです……。もうちょっと江尻えじりさんみたいに愛嬌があればいいんですが」

綾瀬あやせさんも江尻えじりさんも今の鮮魚には必要な人ですよ。あんまり自分のキャラクターとかは気にしないでください」


 頭がかっちんこっちんの人かと思ってたけど、職場では孤独な人だったのかも。狂犬みたいなイメージがあったけど、実は捨てられたチワワみたいな人だったのかもしれない。


「……チーフ、良かったらこれからもお弁当作ってきていいですか?」


 和やかな会話の流れで、綾瀬あやせさんが俺にそんなことを聞いてきた。


 ……。


 ……。


 ここはやっぱり今のうちにはっきり言ったほうがいいよな……。


「すみません、お気持ちはとても嬉しいのですが彼女がいるので……」

「えっ!? あっ、そ、そうですよね! きゅ、急に変なこと言ってすみません!」


 明らかに綾瀬あやせさんが肩を落としたのが分かってしまった。

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