♯15 恋人としての白河さん①

「うぅ……」


 四月七日。


 リニューアルしてから初めての休日。


 連日の早朝出勤による寝不足と疲れ。


 もうお昼前になるが、俺は布団から出れずにいた。


 今日はバイヤーの最終応援日。つまりは俺が休日を取れるラストチャンス。今日はしっかり休んで、また明日から仕事を頑張らないといけない。


 キッチンからは汐織しおりが洗い物をしている音が聞こえてくる。


 結局、仕事が忙しくて汐織しおりの入学祝いをちゃんとすることはできなかった。


 四月一日は家に帰ったら、もう白河しらかわ家のお父さんとお母さんは帰ってたんだっけか。今度、改めてちゃんと挨拶をしないといけないな……。


大和やまとさーん、ご飯はどうしますか?」

「んー……もうちょっと寝てる……」

「はーい」


 汐織しおりができるだけ物音を立てずに移動していく。


 汐織しおりの大学は、第二週の月曜日から本格的に授業が始まるらしい。


 サークルとかは考えているのだろうか……。


 最近は仕事ばかりで汐織しおりとちゃんと話をしていなかったな――。


(……)


「……やっぱり起きる」

「えぇえ!? お疲れなんですから寝てていいんですよ!?」

「大丈夫、一緒にご飯食べよう。手伝うよ」


 なんとか立ち上がって、汐織しおりのほうに向かう。

 体が痛い。頭がボーっとする。


「いいですから! ご飯は私が用意します! 大和やまとさんは向こうで休んでてください」

「でも……」

「でもじゃないです! のことあんまり心配させないでください!」


 汐織しおりに背中を押されて、リビングにある新品のソファーに押し戻された。


「まったく! 大和やまとさんはすぐ頑張り過ぎちゃうんですから!」

「そんなことはないけどなぁ……」

江尻えじりさんから聞きましたよ。また大和やまとさんに助けてもらったって」

「そんなに大層なことはしてないけどなぁ……」

「惚れ直したとも言ってました」

「なに言ってんだあいつ!」

「惚れ直したとも言ってました」

「なぜ二度言った!?」


 汐織しおりの声が一瞬ドスの効いた低いものになる。


(ま、まずい!)


 その声を聞いて、霞がかった頭がどんどん晴れていく。

 本能が今すぐ起きろと告げている。


「でもいいなぁ~、楽しそうだなぁ、鮮魚のお仕事」

「け、決して楽しいものではないけどね……」

「でも、江尻えじりさんはお仕事楽しくなってきたって言ってましたよ?」

「……そ、そんなに江尻えじりさんとやり取りしているの?」

「毎日、メッセージのやり取りしてます」


 な、仲良いな……。とても喜ばしいことだと思うが、内外、油断できない状態にもなっているような気がする。


大和やまとさん、浮気は許しませんからね。私、泣いちゃいますからね。赤ちゃんみたいに泣いちゃいますから」

「しないしない。するわけがない」

「サブチーフの綾瀬あやせさんって人が要注意な匂いがします」

「なんで名前知ってるのさ!?」


 予想外の名前がでて飛び上がりそうになってしまった


 絶対に密告者はあいつだろ!


 そんな会話をしながら、なんとも言えない表情のままの汐織しおりがキッチンから昼食を運んできた。


 メニューはご飯に味噌汁に野菜炒めの他数品。


 一緒に暮らすようになってから、汐織しおりの料理の腕前は毎日めきめきと上達している。


「ところで汐織しおりは大学どうなの? サークルとか入るの?」

「まだ全然決めてないです。あっ、でも新歓コンパには誘われました」

「新歓コンパぁ!?」


 社会人ではあまり耳にすることがないその言葉。

 大学に行ったことのない俺は、その響きにとても不穏なものを感じてしまう。


「行くの!?」

「どうしようかなぁと思いまして」

「お酒は飲まないよね?」

「未成年なので飲めないです、飲まないです」


 真面目な汐織しおりのことだから、絶対にお酒を飲むはずはないとは思ってもつい聞いてしまった。


「行くなら送り迎えしようか?」

大和やまとさんはお仕事じゃないですか!」

「いや、前もって言ってくれればその日は早めにあがるようにするし」


 心配だ。


 非常に心配だ。

 

 この前、売り場に来たときも可愛いって言われてたもんな……。


 彼氏というフィルターがなくても、白河しらかわ汐織しおりはどこの誰が見ても可愛いのだ。


 この前は、汐織しおりが可愛いと言われていて、実は心の中でちょっぴり誇らしかったりもしてたのだがこうなってくると話が変わってくる。


 江尻えじりさんならうまく自分で断れそうだけど、汐織しおりはちょっと押しに弱そうだもんな……。


「心配ですか?」

「とっても心配」

「えへへへ」


 汐織しおりが満足そうに笑って、俺の隣に座った。


「……狭くない?」

「一緒に並んで食べたいんです。いただきます」

「あっ、いただきます」

 

 広い部屋なのに、何故かわざわざ二人寄り添って昼食を取ることになった。




※※※




「私、これ一度やってみたかったんですよ!」

「……」


 から汐織しおりの声が聞こえてくる。

 横を見ると、汐織しおりのスラっとした白い足が見える。


「頭、痛くないですか?」

「痛くはないけど……」


 俺の頭は汐織しおりのふとももの上。

 俺は今、汐織しおりに膝枕をしてもらっている………。


「なんだかこうしていると大和やまとさん可愛いなぁ。今日はいっぱい休んでくださいね」

「うん……」


 少しばかり気恥ずかしい。


 まるで子供をあやすかのように、汐織しおりに優しく頭を撫でられている。

 

 まさか俺の人生で、年下の女の子に膝枕をされる日がくるとは思っていなかった。


大和やまとさんが思っているみたいなことには絶対にならないので安心してくださいね」

「本当かなぁ……」

「私、大和やまとさん以外の男の人には興味ないので」


 らしくない強い口調で、はっきりと汐織しおりが俺にそう言ってきた。


「じゃあ安心……なの……かな……?」

「はい、安心してください」


 ほっとしたからかな……また瞼が重くなってきた。

 やっぱり、まだちょっと寝足りなかったみたいだ……。


江尻えじりさんから少しお話を聞きましたがお仕事でトラブルがあったんですか?」

「うーん……トラブルというか、ちょっとすれ違いみたいなのがあって……。綾瀬あやせさんとの話はちょっと論点ずらしみたいになって反省かも……」


 回らない頭のまま、ただ思ったことが口に出る。

 汐織しおりの頷く気配だけはなんとなく感じる。


「眠たいならそのまま寝ちゃって大丈夫ですよ」

「うん……」

「私、お仕事の愚痴ならいつでも聞きますからね。大和やまとさんって全然そういうお話をしてくれないから」

「うーん……あんまり愚痴っぽいと男として情けないというか……」

「そんなの気にしないでください。私は大和やまとさんの彼女なんですから」

「そっか……分かった……」


 ぼんやりと会話をしながら、俺はまどろみに身を任せてしまった。


「……でも、そんな大和やまとさんも大好きです」


 一瞬だが、ほんのちょっぴり唇に暖かくて柔らかい感触がしたような気がした。

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