♯12 白河さんの新店視察

 その後は特にトラブルもなく、仕事は進んでいった。


 売上の進捗も上々。


 今日は問題なく予算は達成できそうでひと安心だ。


「大盛況だね、この感じだと早く帰れそうだね」


 上機嫌の青沼バイヤーが俺にそんなことを言ってきた。


 今は午後の三時。


 売り場は大体決めて、作業は明日の仕込みに入っていた。


 ちなみに江尻えじりさんはずっと売り場で呼び込みをしている。


「ですね、あがれる人からあがってもらいましょう」

「うん、水野みずの君も早くあがるようにね。明日以降も続くんだから」

「ちなみにバイヤーはいつまで応援なんですか?」

「一週間くらいはこっちにいる予定だよ」


 ということは、一週間後から作業はきつくなるな……。

 一応シフトは作ったが、俺休める日あるのかなぁ。


「あれ? 江尻えじりさんの知り合いかな?」

「へ?」


 急に青沼あおぬまバイヤーが話題を変えたので、売り場を見てみると江尻えじりさんが誰かと親し気に話している。


 いや、誰かとじゃない! どう見ても汐織しおりだ!


 汐織しおりの後ろには白河家のお父さんとお母さんもいる。


 汐織しおりはレディース用のスーツを着ていて、うっすらとお化粧もしていて少し大人びて見える。


 お父さんとお母さんもビシッと正装をしている。


 こうして客観的に見ると、すごい良い所の家族に見えるな……。

 品があるというかなんというか。


江尻えじりさんのお友達かな?」

「ねー、あのスーツの子めっちゃ可愛いね」


 女性陣からもそんな声が聞こえてきた。


「ん?」


 作業場のガラス越しに白河家のことを見守っていたら、汐織しおりが俺に気付いた。遠慮気味に手を小さく振っている。その後、汐織しおりは部門の人の視線にも気づき小さくぺこりと頭を下げた。


「あれ? 誰かの知り合い?」

「すみません! ちょっと俺も行ってきます!」


 みんなにそう言って、俺も売り場に向かうことにした。


「チーフ! 白河しらかわさんから差し入れ貰っちゃいました!」

「あっ、すみません! ありがとうございます!」


 江尻えじりさんが、白河家からいただいた栄養ドリンクの箱を俺に渡してきた。


「すみません、気を使わせてしまって! 今日は大切な日なのにすみませんでした」


 頭にかぶっていた衛生キャップを外して、汐織しおりのお父さんとお母さんに挨拶をする。


「ううん、忙しい所ごめんなさいね! 汐織しおりがどうしても行きたいって言うから」

「私は言ってないでしょう! お父さんが大和やまとさんのところに買い物に行きたいって言ったんだから!」


 お母さんにそう言われて汐織しおりが珍しく声を荒げている。

 後ろでどっしりと見守っていたお父さんに矛先が向いてしまった。


「いや刺身でも買おうと思って……」

「あっ、じゃあ今から切りますか? 今日は汐織しおりさんのお祝いなんで俺が切りますよ!」

「いや、売り場にあるの買っていくから大丈夫だよ。大和やまと君の仕事を増やすなって汐織しおりに怒られるから……」


 汐織しおりがお父さんに睨みをきかせている。な、なにもそこまでプレッシャーを放たなくても。娘を前にしたお父さんの体がちょっとだけ小さく見える。


「それにしても本当に綺麗な売り場ですね! 前の店とは全然違います」

「でしょう。商品もいっぱいだから値下げも大変だよ」


 汐織しおりがとても楽し気に売り場を眺めている。

 まるで遊園地のアトラクションでも眺めているかのようだ。


白河しらかわさ~ん、早くバイトに入ってよ~。この売り場一人で値下げするのやだよ~」


 江尻えじりさんが汐織しおりに抱きついた。


「いや、江尻えじりさんまだ一回も値下げしてないじゃん」

「それは黙っていてください!」


 ついツッコミを入れてしまった。


大和やまと君は今日何時にあがれるの?」

「すみません、仕事の進捗次第なのでなんとも……」

「残念、みんなで食事でもと思ったのだけど」


 白河しらかわさんのお母さんが本当に残念そうな表情をしてくれた。


「ほら! お父さん、お母さん! もう行くよ! 大和やまとさんのお仕事の邪魔になるから!」

「も~、もっと大和やまと君と話したかったのに」

「後で話せばいいでしょう!」


 汐織しおりがお父さんとお母さんの背中を押し始めた。


「それじゃ大和やまとさん! 私たちはもう行きますから!」

「うん、また後で」

「はい!」


 そう言って白河しらかわ家は鮮魚売り場をあとにした。


「……」

「“あっ、スーツ似合ってるって言うの忘れた”」

「勝手にアフレコするな」


 江尻えじりさんが汐織しおりのことを見送りながら、俺のことをからかってきた。


 仕事も順調だし、今日は早く帰れるといいな。


 ……そんなことを思っていたら事件が起きてしまった。




※※※




江尻えじりさん!」


 作業場に戻るとすぐに怒号が飛んできた。

 この声はサブチーフの綾瀬あやせさんだ。


「は、はいっ!?」


 鮮魚作業場に響き渡る声に、江尻えじりさんの背筋が一気にぴんっと伸びた。


「特定のお客様と仲良くするのは良くないんじゃない!?」

「え?」


 江尻えじりさんが完全に狐につつまれたような顔をしている。

 かくいう俺も、何故綾瀬あやせさんが怒っているのかちんぷんかんぷんだ。


「売り場にあんな風にしていたら他のお客様の邪魔になるでしょう!」


 綾瀬あやせさんが眼光鋭く江尻えじりさんを睨みつける。


 あー……ようやく状況を理解した。

 売り場で特定のお客さんと親しくしていたのがダメだったのか。確かにはたから見れば他のお客さんもいい気持ちはしなかったかもしれない。


「すみません、綾瀬あやせさん! 俺の知り合いだったもので!」


 顔を伏せてしまっている江尻えじりさんの前に立つ。

 それを言われるなら真っ先に怒られるべきなのは俺のはずだ。


「チーフもああいうのは良くないと思います! 他のお客様も店員が特定の人と親し気に話しているのは気分が良くないと思います」

「……すみません」


 詰め寄るような口調で綾瀬あやせさんが俺のことをとがめる。

 かなり固いなぁとは思うが、綾瀬あやせさんの言い分は間違ってはいない。


 ……お店の接客マニュアル的にも綾瀬さんの言い分はおそらく正しいだろう。


 でも――。


「お言葉ですが、あれくらいではお客様のご迷惑にはならないと思います」


 江尻えじりさんが反論してしまった。


「確かに友人が来ていて私の対応は良くなかったかもしれないです! でも、水野みずのチーフは普通の接客だったと思います」


 江尻えじりさんがまるで俺のことをかばうようにそんなことを言っている。


「……江尻えじりさんは今年で何年目?」

「二年目ですが……」

「ふーん」


 綾瀬あやせさんがとても嫌な感じに頷いた。

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