♯10 作業場の雰囲気

 朝の五時前。


 鮮魚作業場は戦場と化していた。


「小林さん! お刺身のサクが足りないみたいなので、そこの作業を終わったらまたお願いしてもいいですか?」

「分かりました」


常盤ときわさん、銀鮭のパックが足りないので詰め方お願いしてもいいでしょうか。サイズはYー15をメインで!」

「は~い」


 新しい鮮魚メンバーに指示を出しながら、売り場を着実に埋めていく。


 この店では切り身をベテランの小林さんに任せているらしい。


 今日は切り身のまな板には、小林こばやし三郎さぶろうさん、サブチーフの綾瀬さん、青沼バイヤーとぬかりのない布陣になっている。


 お刺身には、パートの村上むらかみ美恵子みえこさんと市川いちかわ昭子あきこさんの二枚看板。


 詰め物担当は常盤ときわ洋子ようこさんだ。


 俺は商品の値付け&売り場管理。


 江尻えじりさんは俺の補助という形で入っている。


 忙しいには忙しいが、作業の進捗は非常に順調だ。


常盤ときわさん! ちょっと塩干のどこが足りないか見てきて!」

「はいはい」


 サブチーフの綾瀬あやせさんがかなり的確に指示を飛ばしているからだ。


 このメンバーと本格的に仕事をやるのは初めてだが、作業の動きや段取りを見て大体の力量は分かった。


 なるほど、かなり優秀なメンバーがそろっている。


 チーフの俺が細かい所を見なくても作業は順調に進んでいく。


 これはサブチーフの綾瀬あやせさんの力がかなり大きいと思う。


 でも――。


「……」


「……」


「……」


「……」


 空気が非常に悪いんだよなぁ……。


 全く日常会話がない。


 ただ黙々と全員が必要不可欠なコミュケーションだけをして仕事をしている。


 まるで早く仕事を終わらせたいがために、急いで仕事をしているみたいだ。


 それって決して悪いことじゃないのだけど、どこか作業場の雰囲気に違和感を感じてしまう。


水野みずの君、気づいた?」

「気づいた?」


 売り場で品出しをしていたら、青沼あおぬまバイヤーがこっそり俺に声をかけてきた。


「インター店、めちゃくちゃ空気悪いでしょう!」

「ま、また答えづらいことを!」


 青沼バイヤーがケラケラと笑っている。

 あっ、この人この状況のこと知ってたな。


「みんな仕事はできるんだけどさ、なんかこうスーパーらしくないっていうかさ」

「た、確かに」

「工場みたいでしょう? 普通はリニューアルっていったらもっと和気あいあいとやるものなんだけどねぇ」

「ですよねぇ……俺が前に応援でリニューアル店舗に行った時もそんな感じでした」


 業務内容自体は非常につらいリニューアルなのだけど、普通はどこか明るい雰囲気に包まれる。


 新しい売り場、新しい備品、綺麗になった店舗に華やかな宣伝広告。


 その店舗で働くということは、少し大げさ言い方になってしまうが希望に包まれたみたいな感覚は少なからずあると思う。


「はっきり言うと、ここの店舗はサブチーフに問題ありだから」

「あーー! 言っちゃいましたね! 俺も薄々そう思ってましたけど!」


 バイヤーがど真ん中直球を投げてきた!


江尻えじりさんがここに配属されたのは、同じ女性の社員を入れて彼女がどう変わるのか見たかったから。それに、新店に女性社員が多いって言うのは店が華やかになるしね」

「なるほどです……」

「というわけで、どっちも育ててあげてね水野みずのチーフ! 期待してるから!」

「と、とんでもないプレッシャーですって!」

「大丈夫! 水野みずの君ならできるから!」

「俺にならってどういうことですか!?」

「だって、あのクセつよの小西こにしさんと山上やまがみさんと仲良くやってたわけでしょう? それを考えたらへーきへーき」

「それはそれでその二人に失礼な気がしますが……」


 実に鮮魚部門の人間らしい青沼バイヤー。話す言葉に裏がなくいつもあっけかんとしている。


(誰かを育てるか……)


 俺にそんな大役が本当に務まるんだろうか……。




※※※




「疲れた~」


 時間は朝の七時過ぎ。


 朝ごはん休憩を取るために、江尻えじりさんと一緒に休憩所にやってきた。


 俺と江尻えじりさんは作業段取りの関係で、しばらくはセットで動くことになりそうだ。


江尻えじりさんお疲れ様、店で朝ごはん用意してくれてるってさ。ほら、豚汁とかもあるよ」


 ピカピカの休憩所のテーブルには、他の部門の人も食べるだろう朝ごはんと差し入れが沢山置いてあった。


 リニューアルなどのイベントがあると、休憩室には沢山の差し入れが置いてあったりする。


「寝不足はお肌の敵なのに~」

「めちゃくちゃ余裕あるじゃん」


 軽口を叩く江尻えじりさん。良かった、まだまだ余裕がありそうだ。


江尻えじりさんのおかげで仕事は順調だよ。俺もラクさせてもらってる」

「本当ですかぁ~!? 私、ただ水野みずのさんの補佐しているだけなんですけど!」

「値付けのパックに販促シール貼ってもらうだけでも全然違うんだって。すごく助けてもらってるよ」


 コーヒーを飲みながらそんな会話をする。

 静かな作業場だったから、今日はこんな風に話すのは初めてだ。


「鮮魚って、こんなに静かなものなんですか?」

「うっ」

「前の店の青果はもっとやかましかったですよ」

「やかましかったって」


 江尻えじりさんも微妙な作業場の空気感を感じ取っていたようだ。

 まぁこれに関してはまだ初日だし、俺からできることはまだないだろう。


「宴会部長の江尻えじりさんに期待してるから」

「おっ、いいんですか。鮮魚部門を私色に染めあげても」

「汚い色になりそう」

「どういう意味ですか!」


 とりあえず人がどうのこうのは、このリニューアルオープンを成功させてからだ。


 開店までおよそ残り三時間。いよいよそのときがやってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る