♯2 約束事

ピヨピヨピヨ



 鳥のさえずりが聞こえる。

 カーテンからは明かりが少し漏れている。


「やっべ! 遅刻する!」


 思わず飛び起きてしまった。


 明かりが漏れる時間! それは即ち死を表す!

 基本、鮮魚部門は明るくなる前から出社するからだ!


「すぅ……すぅ……」


 俺の焦りをよそに隣からは寝息が聞こえてきた。


「あ、あれ……?」


 コタツで汐織しおりが寝ている。


 あっ、今日は休みか……。

 昨日、いつの間にか二人で寝落ちしてしまっていたらしい。


「はぁー……やっちまった……」


 引っ越し早々、だらしないことをしてしまった。

 俺一人なら問題ないのだが、汐織しおりは大丈夫かな……。

 変に体調を崩さなければいいのだけど。


「すぅ……すぅ……」

「……」


 汐織しおりの長いまつげが寝息で揺れている。

 疲れていたのかぐっすり寝ているようだ。


(大学生かぁ……)


 俺はつい汐織しおりの前髪を撫でてしまった。


 きっとこれから汐織しおりには色々な出会いがあるんだろうなぁ……。


 ゼミに、サークル、普通の友達……。

 もう働いている俺とは違い、この子には沢山の未来の選択肢がある。


(できるだけこの子の邪魔はしたくないな……)


 値下げのアルバイトは気に入っていたみたいだが、就職するとなればまた別の話になってくる。


 汐織しおりは将来何をしたいんだろう。

 今度、機会があったら聞いてみようかな。


 彼女の前髪を撫でながら、そんなことを思った。


 


※※※




「んぅ……」

「あっ、起きた」


 机の上に朝食を並べていると、汐織しおりが目を覚ました。


「おはようございます……あれ……?」

「眠いなら寝てていいよ。まだ七時過ぎだし」

「す、すみません! まさか私のほうが遅く起きてしまうなんて!」


 汐織しおりが、さっきの俺みたいに飛び起きた。


「気にしなくていいって。はい、水。コタツで寝たから喉乾いたでしょう」

「あっ、すみません……」


 汐織しおりが申し訳なさそうにコップの水に口をつける。

 髪はボサボサで寝ぐせがついていた。


「私が朝食を作る予定だったのに……」

「はいはい」

「コーヒーは! コーヒーは私が作りますから!」


 そう言って、汐織しおりはバタバタとキッチンに向かってしまった。


「気にしなくていいのに。どうせ俺が作るご飯は適当だよ」

「私が気にするんです! それは私の仕事です!」


 うーん……ちょっと古風なところがあるよなぁこの子……。

 ご飯の準備なんてどっちでもいいだろうに。


「うぅ、インスタントじゃ格好つかないなぁ……」

「だから気にしすぎだって。俺、インスタントコーヒー好きだよ」

「でもぉ……」


 寝坊したわけではないのに、やたら汐織しおりが気にしている。


「私には私なりの計画がありまして」

「計画?」

「お仕事が始まったら、大和やまとさんは朝早くなると思うので、私も早起きして毎日ご飯を作ろうと思ってます」

「俺、普段は朝ごはん食べないから大丈夫だよ」

「彼女としてそれは見過ごせません!」


 汐織しおりの目がキッと鋭くなった。


大和やまとさんの健康は、私が管理しないといけないって言われました!」

「誰に?」

「お母さんです!」


 あっ、この子が昔ながらなのは絶対にお母さんの影響だ。


「なのでそこは譲れません!」

「うーん……じゃあ期待しとくけど……」

「はい! 期待していてください!」


 んー? ちょっと普段の生活から肩の力入り過ぎじゃないかなぁ。

 その気持ちはとても嬉しいんだけどさ。


汐織しおり、前にも言ったけどこれから一緒に住むんだからもっとラクにしていいんだよ?」

「はい! でも、私にとっては夢のような時間なので頑張りたいです」

「夢のような時間?」

「大好きな人と一緒に生活できるなんて、そんな嬉しいことはありませんから!」


 寝ぐせがついままの汐織しおりが俺に満面の笑みを向けてきた。

 俺は、そう言われてちょっぴり照れくさくなってしまった。

 

 


※※※




「わっ、味噌汁美味しいです!」

「ただの豆腐と油揚げの味噌汁だけどね」

大和やまとさん、料理もできるんですね」

「簡単なやつしかできないよ。俺は魚しか切れないし……」


 そんな会話をしながら、汐織しおりと朝ごはんを食べる。

 ご飯に味噌汁、卵焼きにウインナーと至ってシンプルなものだ。


「じゃあ、お魚の切り方は大和やまとさんにお願いしていいですか?」

「全然おっけー」

「お仕事が始まったら夜ご飯はどうしましょう?」

「多分、オープンしてからしばらくは夜遅くなるから先に食べてていいよ」

「えー」


 少しずつ同居生活の約束が決まっていく。

 

 リニューアルオープンしたら、朝は早いし夜は遅くなる。

 もしかしたらこんな風にのんびりできるのは今だけかもしれない。


「できるだけ待ってますからね」

「いいって、無理しないで!」

「私が待ちたいから待つんです」

汐織しおりって意外に頑固」

大和やまとさんが意外にゆるゆるなんです」

 

 


※※※




 午前十時。


 俺たちは近くのホームセンターに来ていた。

 

 俺の目的は座椅子。


 汐織しおりは――。


「うーん……」

「なんでもいいんじゃないの?」

「せっかくならこだわりたくないです。豆とか機械とか」

「俺、味はそんなに分かんないよ」

「私、大和やまとさんのおかげでコーヒー好きになったのに!」


 コーヒーメーカーを真剣に眺めていた。

 汐織しおり的にインスタントコーヒーじゃダメだったらしい。


「意外に凝り性?」

「自分ではそんなことはないと思っているのですが……」


 二人並んでそんな話をしていたら、ふいにトントンと肩を叩かれた。


「あれれー? もしかして二人でラブラブデート中ですかー?」

「げっ」

「げっ! はひどくないですか! これから部下になる女に!」


 江尻えじりさんが俺の後ろにいた。

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