♯36 束縛するタイプ?

十月下旬



 サンマの旬が終わると微妙に忙しくなってくる。


 鮮魚が売らなければいけない商品が増えてくるからだ。


 鮭に、筋子に、タラに、ブリに……。


 これが出回ってくると、いよいよ年末が近づいてきたなと警戒をするようになる。


 ……それは俺だけかもしれないが。


水野みずのさーん! 先に帰りますねー!」


 夜の七時前、今日も江尻えじりさんがうちの部門にやってきた。


「なんでいちいち鮮魚うちにくるのさ!」

水野みずのさんがいるからですよー! やだなー、もう」

「俺、ちゃんと言ったよね?」

「気になる子がいるとだけは」

「それが誰かはもう知ってるよね?」

「そこにいる子ですよね?」


 作業場の片付けをしている白河しらかわさんが、こちらをじとっとした目で見つめている。無言の圧を放っている。


 めちゃくちゃ気になっているくせに、いつも声をかけようとはしてこない。


「私、白河しらかわさんとも仲良くなりたいんですが」

「本人に直接言えばいいじゃん」

「あの目つきをしている女の子に声をかける勇気はありません!」

江尻えじりさんならできると思うよ」

「今、軽く馬鹿にしましたね」


 鋼の精神力を持つ女がなんか言ってる。

 俺だったら絶対に部門にすら近づけない。


「な、なんで江尻えじりさんはいつもうちに来るんですか!?」


 おっ、珍しい! 白河しらかわさんが会話に混ざってきた。

 白河しらかわさんの細い眉毛が、きりっと上を向いてしまっている。


「なんでって言われてもね。ねぇ?」

「俺に同意を求めないでよ……」


 江尻えじりさんが話すたびに、白河しらかわさんの表情が険しくなっていく。


江尻えじりさん、俺たちで遊ぶのはやめてよ」

「そう見えますか?」

「どう考えても遊んでいるでしょう」

「だって、二人とも可愛いんだもん」

「遊んでるのは否定しないのな」


 江尻えじりさんが楽しそうに笑っている。

 一方、うちの白河しらかわさんは厳しい表情のままだ!


白河しらかわさんって結構束縛するタイプなのかな?」

「え?」

「異性がいる飲み会に行かれるのを嫌がるタイプっぽいよね」

「うぅ……」


 ダメだ……口の上手さでは圧倒的に江尻えじりさんのほうが上だ。


 肝心の白河しらかわさんの防御力がへなちょこなこともあって、完全に言われっぱなしになっている。


「別に! そんなことありませんもん!」

「本当に?」

「す、好きな人のことは信じてますから!」


 ……よし、恥ずかしい話になってきたから仕事に戻ろう。


 なんで女子はこういう話を平気でできるかなぁ……。

 女子が男子がって話をすると、またコンプラとか言われちゃいそうだけど。


「本当に本当?」

「もちろんです!」

「じゃあ、私が水野みずのさんのことを飲みに誘っても怒らない?」

「……」

水野みずのさーん! 今度飲みに行きましょうよ!」


 白河しらかわさんの目元にじわっと涙が溜まったのが分かった。


「チーフぅうう……」


 白河しらかわさんが俺に助けを求めてきた。




※※※




江尻えじりさんはああいうキャラなの! 山上やまがみさんと同じタイプなの! いちいち気にしてたら身が持たないよ!」

「だ、だってぇ……」


 半べその白河しらかわさんが、水切りワイパーで作業場のゴミを集めている。


「……それで、江尻えじりさんと飲みに行くんですか?」

「行くわけないじゃん。俺、そんなにお酒好きじゃないし」

「そうなんですか?」

「言ってなかったっけ? 俺、めちゃくちゃ弱いからさ」

「へぇ~、初めて聞きました」


 白河しらかわさんが安心した顔つきになった。

 最近、本っっ当に分かりやすく顔に出るようになったなこの子!


「お店の飲み会のときも飲んでなかったですもんね」

「次の日、仕事だったしね。白河しらかわさんの送りもあったし」

「……」


 急に白河しらかわさんが黙り込んでしまった。

 ちょっと恥ずかしそうにしている。


白河しらかわさん?」

「ち、チーフって、お酒が入るとエッチになるタイプですか……?」

「どんなタイプだ!」


 思いっきり大きな声が出てしまった。

 いや、理性の部分が鈍くなってどうのこうのって話は聞いたことはあるけどさ! 


「笑い上戸になるとか、泣き上戸になるとかは聞かれたことあるけど、今までそれを直球で聞かれたことはなかったよ!」

「あははは……少し気になりまして……」

「……」

「……」


 き、気まずい雰囲気が流れる。


 白河しらかわさんから“エッチ”という言葉が出たこと自体が意外だったので、過剰に反応してしまった。


「……ただ具合が悪くなるだけだよ」

「へ?」

「俺がお酒を飲んでもただ具合が悪くなるだけ。だから面白くもなんともないよ」

「じゃ、じゃあ江尻えじりさんと飲みに行ってもそういう雰囲気にはならないってことですよね!」

白河しらかわさんは一体何を想像していたの……?」




※※※




大和やまとさん、今日もお疲れさまでした! 今日は変なこと言ってすみませんでした。私、大人になったら大和やまとさんと飲みに行ってみたいです。ビールって美味しいんでしょうか?”


 家に帰り、携帯を見ると白河しらかわさんからそんなメッセージが届いていた。


 実際に会うとチーフ呼びに戻ってしまうのに、メッセージのやり取りだと名前呼びになるのはいつも通りだ。


「うーん……」


 俺は迷っていた。


 最近、江尻さん別の部門の人と話ができるくらいには作業の余裕がある。


 余裕があるのに、白河しらかわさんとちゃんとしたお出かけは市場デートに行ったきりだ。


 ……最近、白河しらかわさんと携帯のメッセージのやり取りをするようになって分かったことがある。


 白河しらかわさんって結構遅くまで勉強している……。


 アルバイトが終わった後も毎日毎日頑張っている。


(普通なら受験の追い込みの時期だもんな)


 白河しらかわさん自身は問題ないと言っていたが、本当に大丈夫なんだろうか。


 アルバイトも普通にシフトに入れてしまってるわけだし……。


 十一月の下旬になると、いよいよ年末ラスボスを前に忙しくなってくる。

 十二月は言わずもがなだ。


 職場恋愛にはちょっと否定的な俺がだったが、こう考えるとちょっとは良いことあったのかも。


 ――一緒にお出かけなくても、毎日その子の顔を見ることができる。


 前に山上やまがみさんが言っていた、“仕事に張り”が出るの意味がようやく分かってきたかもしれない。


「お疲れ様、ビールはそんなに美味しくないよっと……」


 ……普通に返信をしてしまった。


 ラスボスの前には、店の忘年会があるんだよなぁ……。

 さすがにそのときは俺もお酒も飲まないといけない。


「クリスマスもあるよなぁ……」


 今までは憂鬱だった年末がほんの少しだけ楽しみになっていた。

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