♯30 ちゃんとしたい

 それから二週間が経った。


 普通通りに出社して、普通に仕事をしているが、あれから白河しらかわさんと前みたいな会話をすることはなくなってしまった。


 俺はずっと悩んでいた。


 俺ってなんでそんなにちゃんとしたいんだっけ……。


 白河しらかわさんのため?


 会社のため? 


 それとも社会人だから?


 白河しらかわさんのことだけを考えるなら、付き合ってしまえばそのまま楽しくできるのに。


「……」


 みんながそうしているように、俺も普通に付き合えば良かったのだろうか。

 そうすれば、ずっと彼女の笑った顔を見ることができたのに。


「――チーフ」

「あっ! すみません!」


 五十嵐いがらしさんに声をかけられてしまった。


「珍しいですね、チーフがぼうっとするの」

「あははは、なんでしょうね……。疲れているのかも」

「お盆が終わったら、すぐに年末が来ちゃいますもんね」

「後、三か月かぁ……」


 年末……。

 スーパーで働く者にとって、最も鬼門となる日。


 その頃、俺たちはどうなってるんだろう。


「……チーフ、私謝りたいことがありまして」

「謝りたいこと? いいですよ、別にちょっとのミスくらい」

「まだ何も言ってないのに許しちゃってるし」

「あっ、すみません」


 そういえば、五十嵐いがらしさんの勤務態度がお盆のころから随分変わった。前みたいに急に休まなくなった。


「チーフ、作業の配置転換したでしょう?」

「最近、朝の値付けは五十嵐いがらしさんにお任せしてますね。どうですか、慣れましたか? おかげで朝は大分回るようになりました」

「分からないことはほしさんに聞いてますからね。ほしさんもちょいちょい間違ってますけど」

「あははは、でもほしさん単独でやっているときよりは断然ミスが減りました。なので五十嵐いがらしさんに任せて良かったと思ってます」


 俺の言葉に、五十嵐いがらしさんは少し照れくさそうに笑っていた。


「……正直、この部門で一番器用に仕事ができるのは五十嵐いがらしさんだと思ってます。なので――」

「チーフ」

「はい?」


 急に五十嵐いがらしさんに言葉を遮られてしまった。


「ちゃんと見ていてくれてありがとうございます」

「え?」

「私、去年の年末のことは反省しています。自分だけラクをしようと思ってました」

「……」

「大の大人が泣きわめいてみっともなかったですよね。今年はそうならないように頑張りますので」

「いや……」

「この仕事って、頑張っても自分の仕事を評価してくださる方はいないと思ってました。値付けの件も頼ってくださって嬉しかったです」

五十嵐いがらしさん……」

「なので、できれば時給アップを……」

「ちょっとほっこりしてたのに!」


 最近までやる気のなかった五十嵐いがらしさんにそんなことを言われてしまった。時給アップの件は照れ隠しみたいなものだと思う。


「私、自分のためにも家族のためにももう少し仕事を頑張ろうと思います」

「もう少しって……」

「はい、去年の年末の後は仕事をやめようかと思ってました」

「そんな――」

「あっ、けど今は全然ですよ。チーフは優しいですし」

「……そう言ってもらえるとチーフ冥利に尽きますね」


 ただ淡々と仕事をして、ただ淡々と帰宅する五十嵐いがらしさんが初めて仕事に対して前向きな姿勢を見せてくれた。


(……自分のためにか)


 今までそんな風に考えたことなかったかも。


 正社員になってからは、何よりも会社を優先するようになった。


 会社ではお客様が一番だと教育される。


 責任者になってからは、シフトも休みも自分の部下になった人を優先して――。




※※※




「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」


 白河しらかわさんが出社する時間になった。

 今日は作業が早く終わったので、他の部門の人は早々と帰宅してしまった。


「あれ? 皆さんは?」

「今日の作業は早く終わったからみんなあがったよ。白河しらかわさんも今日は気張らなくていいからね」

「そうですか……」


 白河しらかわさんは、俺が思っているよりもずっと大人だった。

 この前の件を一切顔に出さずに仕事をしてくれている。


「……チーフ?」

「どうしたの?」

「この前はすみませんでした。待ってほしいと言われているのに焦ってしまって……」


 みんながいないからか、今日は白河しらかわさんが自分からその話をしてきた。


「俺のほうこそはっきりしなくてごめんね」

「私、この一週間、チーフとメッセージのやり取りがないほうが不安でした……。だから、この前の私の話はなかったことにして下さい。チーフの重荷になりたいわけじゃないんです」


 白河しらかわさんが、俺にお願いをするかのようにそう告げてきた。


 ……彼女は本当に自分の思ったことを素直に話してくれる。


 俺は、白河しらかわさんみたいにまだ真っすぐでいたかったのかもしれない。


 まだスーパーの汚い部分に染まってないぞって自分で思いたかったのかもしれない。


 だから、彼女に惹かれながらも卒業するまで待って欲しいと思って……。


白河しらかわさん」

「はい」

「ごめん、やっぱりの俺は君とは付き合えない」

「そう……ですか……」


 明らかに白河しらかわさんの声のトーンが下がってしまった。

 じわっと目元に涙が浮かぶのが見えてしまった。


「でも……!」


 ――ちゃんとしたい……って。


 もしかしたら自分の保身のことしか考えていなかったのかもな。


「俺、できれば二人でいるときは君の名前を呼びたい!」

「えっ?」


 真面目だけが取り柄だった俺が、コンプライアンスを破ろうとしていた。

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