♯28 秋の人事異動

 八月の暑気払い、お盆商戦も無事に終わり、秋の匂いが近づいてきた。


 鮮魚部門としては新物の生さんまが入荷されると、いよいよ秋だなと感じるようになる。


 新物……市場に出始めたばかりのお魚のことを指す。


 生さんまだと、大体八月の下旬くらいには出荷されるだろうか。


 出始めのお魚は漁獲がとても少ないので、金額はとても高い。


 下手をすれば旬のときの十倍くらい値段のときもある。


 中々、売れるものではないのだが、スーパーは季節感を出すために少量だが入荷する場合がある。


「もう生さんまかぁ」

「やっとお盆が終わったと思ったんですけどねぇ」


 小西こにしさんが今日も気だるそうに仕事をしている。


 うちは大体、季節ごとに売るものが決まっている。


 春から夏にかけてはカツオがメイン。


 秋はサンマ。


 冬になると、生鮭やブリの季節になる。


 もちろん地域性もあるので一概には言えないが、おおよそはこんな感じだと思う。


 ……ちなみに、お魚に限っては値段が高いものが美味しいとは限らない。


 むしろ安いほうが、旬で美味しいものが多いと思う。


 お魚の“高い”は、数が少なくて供給が少ない場合が多いからだ。


「サンマがきたってことは、そろそろあの季節かなぁ」

「あの季節?」

「秋の人事異動がそろそろでるんじゃない?」


(……)


 小西こにしさんの言う通り、秋の人事異動が発表される時期が迫っていた。




※※※




 人事異動は、本部からFAXの紙で通達される。

 それなりの数の異動が出るので、いつも二・三枚の紙でくるのが通例だ。


 その紙は、店長が休憩室にあるホワイトボードに張り出すことになる。


水野みずのチーフ! そろそろみたいですよ!」


 午後の休憩時間に、ホワイトボード前でそわそわしていると、江尻えじりさんに声をかけられた。


江尻えじりさんも休憩?」

「はい! 水野みずのチーフと同じ時間にしてもらいました!」

「め、メンタル強いなぁ……」


 この前、あんなことがあったのに江尻えじりさんが至って普通にしている。


「ダメですか?」

「ううん、この仕事に向いてると思うよ」

「それ、誉め言葉になってないですよね」


 江尻えじりさんが一瞬不服そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。

 この前の件があったから心配していたのだが、この様子ならとりあえず安心してもいいのかな。


 ……この切り替えの早さもこの仕事に向いているなぁとは思う。


「それで、それで、最近どうなんですか?」

「最近?」

白河しらかわさんとの関係は」


 江尻えじりさんがにひひと笑っている。


「普通だよ。普通」

「あんな可愛いデートをしておいて?」

「可愛い?」

「公園でお弁当デートなんてめちゃくちゃ可愛いじゃないですかー!」


 江尻えじりさんの声が弾んでいる。


「絶対に白河しらかわさんって尽くすタイプですよね!」

「そうなのかなぁ」

「分かってるくせに!」


 江尻えじりさんにわき腹を肘で小突かれる。

 こ、こういう無意識なボディタッチが良くないんじゃないかなぁ……。


「あんまり言いふらさないでよ。俺は慣れているけど、白河しらかわさんはアルバイトだから」

「分かってますよ。私、口が固いんで。それに――」

「それに?」

「好きな人に嫌われる真似したくないじゃないですか! 諦めないって言いましたよね!」

「すげーツッコミづらいから!」

「あははは、今水野みずのチーフの素が少し見れた気がします!」


 江尻えじりさんとそんな話をしていると、休憩室の扉が開く音がした。


「おっ、人事異動出たぞー」


 大河原おおかわら店長が、人事異動の紙を持って休憩室にやってきた。




※※※




 店長がホワイトボードにその紙を貼り出す。


 き、緊張するな……。


 この瞬間はいつも慣れないなぁ。


「あっ、精肉のチーフが隣の店舗に異動になってますね」


 江尻えじりさんも異動の通達を興味深そうに眺めている。


 俺の名前……。


 俺の名前は――。


 ……異動が決まったら、真っ先に白河しらかわさんには言わないといけないよな。


 白河しらかわさんは俺がいなくなっても、この店舗で仕事をやってくれるのだろうか。


 やってほしい気持ちと、俺が目の届かない場所で仕事をやってほしくない気持ちが半々がある。


 異動が出たら、親にも言わないといけないよな……。


 引っ越しの準備とかも早めにしないといけない。


「……ん?」


 じーっと紙を眺めるが、うちの店舗は精肉のチーフの名前しか書いていない。


 もう一度、隅々まで紙を眺める。


「うちの店舗は精肉だけみたいですね」

「……みたいだね」


 ちらっと後ろにいる店長を見る。


 店長に手招きをされてしまった。


水野みずの君、ちょっと事務所までいいかい?」

「は、はい!」


 店長に呼び出しをくらってしまった。




※※※




「ごめんね、呼び出して」

「い、いえ……」

「そこに座って」

「はい」


 店長のデスクの前に座らせられる。

 店長が神妙な面持ちで、俺を正面にとらえた。


 悪いことをしているわけじゃないのにドキドキしてきてしまった。


 ……もしかして白河しらかわさんの件がバレた?


「それで異動の話なんだけど」

「は、はい! 覚悟はしていたのでびっくりしましたよ!」


 ど、どうやら白河しらかわさんの話ではないらしい。

 ちょっとだけほっと胸を撫でおろす。


「これはまだここだけの話にしておいてほしいんだけどさ」

「はい?」

「この前、インター店のリニューアルの話はしたでしょう?」

「はい、聞きました」

「社長の判断でね、老朽化もあるから思ったよりも大規模工事になるみたいなんだ」

「そ、そうなんですか…」

「これからうちの会社は、古い店舗をどんどんリニューアル化する方向に舵を取るみたい」

「へ、へぇ……」

「インター店はそのモデル店舗として、会社としても力を入れていくみたい。水野みずの君はそこの鮮魚部門のチーフで行ってもらうことに決まったから」

「はい?」

「だから、今回の異動は出なかったけど。来年の四月には間違いなく異動になると思ってて。正式な通達は来年の一月に出ると思う」

「えぇええ!?」

水野みずの君には、そのために今ある数字をしっかり維持してもらうのを期待しているからね。しっかりこの店舗で年末を越えてから、ステップアップでリニューアル店舗に行ってもらうから。期待しているからね」


 う、うそぉ……。

 店長にそんなことを言われてしまった……。


 思ったよりも大規模プロジェクトのチーフに抜擢されてしまったらしい。




※※※




 夕方の値下げの時間。


 俺は、白河しらかわさんにそのことを言うべきか悩んでいた。


 四月からリニューアル店舗……。

 丁度、白河さんが卒業そつぎょうして新しい進路に進む季節だ。


 白河しらかわさんは大学に行く予定らしいけど……。


「チーフ、値下げ終わりました!」

「あっ、お疲れ様」


 白河しらかわさんが売り場の値下げから戻ってきた。


「……チーフ?」

「ん?」

「疲れているみたいですが大丈夫ですか?」

「い、いやそんなことは……」

「あっ! 私、チーフがいつも飲んでいるコーヒーがバッグに入っているんで手が空いたら持ってきますね!」

「い、いや大丈夫だから!」

「本当ですか? 私、心配です。栄養ドリンクもバックに入ってますので――」

白河しらかわさんのバッグって何でも入ってるじゃん!」


 やっぱりちゃんと言おう!

 変に悩んでいたら、必要以上に白河しらかわさんに気を使われてしまう。


白河しらかわさん実はね」

「はい?」

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