♯7 年末の魔物

六月の上旬



 白河しらかわさんと食事に行くまで後三日と迫っていた。


 6月は、スーパーでは比較的落ち着いた時期になる。

 おおまかな鮮魚部門の年間スケジュールはこんな感じだ。



1月 お正月 成人の日

2月 節分

3月 ひな祭り

4月 入学式、売り場替え

5月 ゴールデンウィーク

6月 

7月 土用丑の日

8月 お盆

9月 

10月 

11月 年末に向けての売り場計画

12月 クリスマス 年末商戦



 12月~1月は死人が出るんじゃないかというくらい忙しい。

 

 スーパーのイベントは当日だけではない。

 例えばクリスマスは、24日・25日のみではなく、実際に売り場の用意をするのは20日過ぎてから用意するようになる。


 そうなると、12月は20日過ぎてからは休む暇がない。


 クリスマスが終わったと思ったら、すぐに年末商戦。

 そのまま年始の初売りに突入する。


 やっと終わったと思ったら、すぐに成人式だ。


 少し落ち着けるかなと思いきや、すぐに節分がやってくる。


 更につらいのは、そう言ったイベントがあるごとに我々鮮魚部門の出勤時間は早くなるということだ。


 前に述べたが、お刺身を作るには相当な作業工程がいる。


 生産性で言うと、刺身を切るのに慣れている山上やまがみさんでさえ、一時間で一万円とちょっとのパックが作ることができれば良いほうだ。


 ……年末は、お刺身のパックの売り上げが何十万とかになったりする。一時間に一万円分程度しか作れないのにだ。


 これだけで、想像を絶する時間が必要になるのだ。


 しかも鮮魚部門はお刺身だけを作っている部門ではないわけで――。


 マグロ類、カツオ類、サクなどの生食系、丸魚、切身、冷凍加工品に、鮭などの塩干系、干物、魚卵に海藻、貝類などなど、扱う商品はてんこもりだ!


 そりゃやってられるかー! という気分にもなってくる。


 ちなみに去年の年末の出社時間は朝の3時からだった。

 終わったのは夜の10時。


 これが年末から正月までずっと続くのだ。


 うん、普通にブラックだと思う。


 だからスーパーは働く場所ではないって言うんだ。


「チーフ、こっち終わりましたけどあとどうしますか~」


 去年の年末、そんな過酷な労働環境に耐え切れずに折れてしまった人がいる。


 ――パートの五十嵐いがらしさん。


 三十三歳のシングルマザーだ。


 今は白い衛生キャップをしているので分からないが、黒髪のボブヘアーの毛先には少しメッシュが入っている。


「じゃあ五十嵐いがらしさん、後は山上やまがみさんのほうに入ってもらっていいですか?」

「はーい、分かりました」


 五十嵐いがらしさんの部門内での役割は、足りない人員の配置に入ること。


 つまりは何でも屋さんだ。


 お刺身も山上やまがみさんほどではないが切れるし、値付けやパック作業もできるので部門内ではとても重要なポジションの人間だ。


 でも――。


「そういえばチーフ、子供の具合が悪いので明日お休みをもらってもいいですか?」

「ま、また!? 大丈夫なんですか?」

「病院行けば大丈夫だと思うので」


 こ、こんな感じですぐに休みを取ってくる。

 お子さんの話になると、当然そっちを優先しないといけないのは分かるけど……。


五十嵐いがらしさん、この前はパチンコ屋さんで見かけたって青果の人が言ってたわよ」

「そ、そうなんですか……」


 山上やまがみさんがこそっと俺に耳打ちをしてきた。


 真実は分からないが、あまりにもその休みの頻度が多いので疑い目をかけられてしまっている人だった……。


 なので、部門の人たちからの評判はすこぶる良くない。



(「ぐすっ……! 私、もうやってられません! こんな量の作業をできるわけないじゃないですかっ!」)



 五十嵐いがらしさんは、去年の過酷な年末の作業を乗り越えることができなかった。


 そこから休むことが多くなってしまったように感じる。

 多分、心が疲れてしまったのだと思う。


 これは俺の責任であると感じている。

 俺が作業をもっと上手く回せていたら――。


五十嵐いがらしさん! お子さん早く元気になるといいですね!」

「……」


 真実が分からない以上、俺にできることはこの人を信じてあげることだけだ。

 

 みんな、家族のために仕事をしている。

 だから仕事のために家族を犠牲にしてはいけないと思っている。


 それに――。


「……チーフは本当に優しいね。前のチーフはもっと根掘り葉掘り聞いてきたのに」

「そうですか? 普通だと思いますけど」

「人が良すぎると思うなぁ」

「そういうのじゃないですって。それに俺はこう思っているので」


 毎日、毎日、何時間もこの人たちと過ごさないといけない。


 イベントがあるごとにこの人たちと協力して乗り越えなければならない。


 時間で言うなら、友人や家族以上に、この人たちと一緒に過ごさないといけないのだ。


「部門の人たちは第二の家族かなって思っているので」

「チーフが良いことを言おうとしている」

「こんな生臭いところで、毎日毎日同じ顔を見ていたらそう思いますって。五十嵐いがらしさんの顔もとっくに見飽きましたよ」

「ぷっ、じゃあ今度からは別の化粧の仕方をしてこようかなぁ」

「け、化粧で顔が変わるんですか!?」


 五十嵐いがらしさんが俺に軽口を叩いてくれた。

 今はこれでいいや。一人一人の頑張れる範囲って決まっているのだから。


 ……今度こそは年末は上手く回したいな。


「おはようございます! 今日も一日よろしくお願いします!」

「あっ、おはよう白河しらかわさん」


 五十嵐いがらしさんとそんな話をしていたら白河しらかわさんがやってきた。


 今日は学校が早く終わるらしく、いつもよりも早い時間帯の出勤だった。


「ちょっとー、白河しらかわちゃん聞いてよ」

「なんでしょうか五十嵐いがらしさん」


 五十嵐いがらしさんが白河しらかわさんに声をかけている。


「チーフがね、部門の人たちは家族だって言ってるの。どう思う?」

「ふぇっ!?」


 白河しらかわさんの頭から、ボンっと爆発の音が聞こえてきたような気がした。

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