エピローグ

第60話 伝説の竜使い

 窓の外から入ってくる風は、涼しさを通り越して冷たくなっており、秋の終わりを感じさせられるものであった。そんな中、扉を二度ほど叩いてから室内に足を踏み入れたのは、わずかに少女の面影があるがだいぶ大人びた顔つきになってきた女の子であった。

「ねえ、起きてよ」

 彼女はベッドに横たわるクロードに言うと、その顔を覗き込む。半分ほど包帯で覆われた顔は穏やかな表情をしており、自分の気持ちなど全く知ったものではないといった様子に見えたので、ちょっとばかし腹が立った。

 彼女はふいに部屋の扉の方を見る。それは人が来ないか確かめているようであった。そしてそれが無事に済むと、彼女は身体を震わせながらもゆっくりと自分の顔を彼の顔に近づけ、やがて彼のがさついた唇に自分のものが触れる、その直前に彼の目が開いた。驚いたヘラは飛び上がるようにして顔を引き離す。

「ん、ヘラか。おはよう」

 クロードはかすれた声で言った。

「ああ、うん。おはよ」

 彼女はぶっきらぼうに答える。

「もしかして僕に何かしてた?」

「いえ、何もしてないわよ。アンタがいつまでも呑気に寝ているから起こしに来てあげたの」

「なんだか柔らかい感触がしたような」

「夢でも見てたんでしょ」

 クロードは首を傾げていたが、それ以上は言及しなかった。

「それより、パン粥作ってあげたからちゃんと食べなさいよ」

「それは助かるな。まだ固い物を飲み込むのは辛いんだよね。昨日も試しにチーズをかじってみたんだけど、喉が痛くて仕方なかったよ」

「お医者さんに大きな固形物を食べるのはやめとくように言われてたでしょ。もう、私がいないところでそんなことして」

 ヘラは眉をひそめる。

「でもここ数日は良く眠れて、寝起きもすっきりだよ。これもヘラの看病のおかげだね」

「はいはい」

 すかさずご機嫌取りをするように褒めるクロードであったが、それが効果てき面であることは彼女の表情を見れば明らかだった。

「今日は誰か来た?」

「誰も来てないわよ。あっ、うちの馬鹿兄貴たちは来たけど、うるさかったからすぐに帰らせたわ。ただでさえ、毎日のように来客が絶えないのだから少しは休まないといけないでしょ」

「有難いことに皆来てくれるよね」

「そうね。それだけあなたが凄いことをしたってことなんでしょ」

「あれ。どうしたの急に。ちょっと前までは、どうしてそんな無茶なことをしたのって散々怒っていたのに」

「それは今も思っているわよ。あなたが危険な真似をしてまで巨大な竜を追い払う必要はなかったじゃない。でも、あれだけ毎日ひっきりなしに人がやってきて、しかも凄い人たちばっかり来るのだから、残念ながら認めざるを得ないのよ」

「そうだね。皆、僕よりもずっと凄い人たちさ」

 クロードは深く頷く。

「でも、そんな人たちをあなたはまとめあげたのでしょ」

「そんな大げさなものじゃないよ。僕はただ、必死だったんだ」

「まあ、あなたが考えてやったとは思ってないけど。でも、あなたのそういうところが他の人にも伝わったのでしょうね。私も少なからずそれに影響を受けたわけだし」

「僕も早くオーヴィーにまた乗りたいな。でも、乗せてくれるかな。なんだかちょっと不安なんだよね。最近妙に大人びてきている気がするし。やっぱり聖歌隊に見学しに行ったからかな」

「そうでしょうね。でも、入れるかは分からないと指導員の人にハッキリ言われてしまったからね。飛ぶときにちょっと不格好になっちゃうことがあるから」

「恨まれても仕方ないね」

「そんなことを思う子じゃないでしょ。可愛くて人目を惹くのは間違いないわけで、だから色々言ってくれたのだろうから、チャンスはあると思うけど……って、あら」

 そこで彼女は窓の外を見る。クロードも風と共に気配を感じる。それからヘラが窓際に行って窓を思い切り開けると、そこからにゅっと顔を出してその青いつぶらな瞳をクロードに向けた。

「オーヴィー」

 クロードは身体を起こして、オーヴィーの身体を撫でようとするが、手に痛みが走って「うっ」と呻き声をあげる。

「まだそっちの手は動かしちゃダメでしょ」

 ヘラはたしなめ、オーヴィーは心配そうにクロードを見ていた。

「来てくれてありがとう、オーヴィー。でも、それ以上首を突っ込んだら家が壊れそうだからもういいよ」

 すでにオーヴィーは窓に首の下辺りまで身体を押し込んでいたが、それをやめて少し身体を引くと高い鳴き声をあげる。何かを伝えようとしているのだとすぐに分かり、「どうかした?」と尋ねる。

 すると空からバサバサと翼を羽ばたかせる音が近づいてくるのが聞こえ、まもなく窓の外に降り立った。

「よう、クロード。元気か」

「ヒート」

 クロードはその名を呼ぶ。

 まもなく、自分の竜をオーヴィーのいる窓の外の近くにあった柵に繋ぎ、クロードの母親に挨拶を済ませると部屋に入ってきた。

「まさか来てくれるとは思わなかったよ」

「ずっと見舞いに来られなくてすまなかったな。色んなことが片付いてきて、ようやく暇が出来たんだ。へえ、話には聞いていたけどなかなか美人な彼女じゃねえか」

「わざわざ遠方からお越しいただき、ありがとうございます」

 ヘラはあくまでもおしとやかにお礼を言うので、クロードはその様子に思わず笑ってしまうが、案の定ヘラに睨まれる。

「領主が捕まったのは、ロリアンさんからも聞いていたよ」

「ああ、脱税以外にも脅迫やら何やらの証拠が次々と見つかってな。家ごとお取り潰しになるそうだ。そんでその代わりにその領地はベース家が治めることになった。おそらくそういった取り決めを予めしていたのだろうな。竜征杯での健闘ぶりからしても文句は出にくいだろうし、王家もそういったことで手を打ったわけだ」

「竜征杯か。もう随分昔のことに思えるよ。まだひと月ぐらいしか経ってないのに」

「おまえは特に大変だったからな。でも、あの光景は誰もがその目に焼き付けただろうよ。俺も王都に着くちょっと前に追いついたが、すげえ光景だったよ。なんせ、先にゴールした竜使いたちだけでなく、来賓席にいた国王様まで同じように胸に手を当てて頭を下げていたのだからな。竜使い以外の観客も事情を、ちょっとばかし美化されたものだが、知っていただけに、誰もがおまえの名前を呼んで讃えていたんだぜ」

「正直なところ、今でもまるで想像出来ないよ」

 クロードはその光景を自分の目で見てはいなかった。それはもちろん気を失っていたからである。では何故、意識を失っていたにもかかわらずゴールまで飛んで来られたのか。

 巨竜を追い払ってから程なくして審判団がやってきて、山頂にて審判団によってクロードは応急手当を受けたのだが、アルコルは処置を受けたクロードを自ら背中に乗せると勝手に飛び出したそうだ。さすがに皆、慌てて止めようとしたようだが、頑なにアルコルは拒み、さらにはクロードがずり落ちないようにゆっくりと飛んでいたこともあって、それから審判団がアルコルの周りを固め、クロードを護送する形で王都まで飛んできたそうだ。さらに、山頂で巨竜と戦った竜使いたちには特例として、いかなる形でも王都に辿り着けば、正式にゴールとして認められることになった。

「残念ではあるよな。せっかく竜征杯のゴールまで辿り着いたのに、自分の目でその瞬間を見られなかったなんて」

「それは別に良いよ。本来であれば竜に乗っている竜使いに意識が無ければ、ゴールしても認められないからね。そもそもいずれにしても優勝ではなかったのだから、飛び切ったところで自慢にもならない」

「ははっ、どこまでもおまえらしいな」

 ヒートは心底楽しそうに笑う。

「結局、ベース家はロリアンさんが消耗しきっていたから優勝争いには加われず、下馬評通りに王子が優勝したけど、王都に着く間際まではアギルド家と接戦だったみたいだからな。おまえに意識があれば、チャンスもあったかもしれない」

「そうだね。でも、アルコルが竜征杯を飛んでくれていたのはあくまでもあの巨竜に打ち勝つためであって、僕があいつを手懐けられていたわけじゃなかったから、やっぱりレースには勝てなかったと思う。勝つためには、まずあいつを説得するところから始めないと」

「それを言うなら、身体を治すことの方が先でしょ」

 そこでヒートのために紅茶を持ってきたヘラが口を挟む。しかしクロードはそれに返事はせず、「戻ってきてくれると良いんだけどな」とこぼす。

「あれから一度も姿を見せていないのか」

「うん」

 おそらくロリアンに聞いたのだろう。クロードは頷く。アルコルはクロードを王都に送り届けると、すぐにどこかに消えて行ってしまい、それっきりであった。

「でも、気長に待つさ。こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、あいつと心が通じ合った瞬間が竜征杯を通して何度かあった気がしたんだ」

「もちろん信じるさ。なんせ、アシュフォード家とアギルド家の両家を束ねて、巨竜を追い払った伝説の竜使い様だからな」

「もしかしたらその人も僕と同じ気持ちだったのかもしれない」

 クロードは言う。

「とにかく必死だったんだよ。だから巨竜を追い払った後も、まだまだ修行が足りないと思って旅立ったんだ」

「そうか。それならついでに言わせてもらうが、俺も最近ちょっとした考えを思い付いたんだ。今日の見舞いがてら、おまえが元気そうならそのことも確かめてみたいと思ってな」

「へえ、どんな話?」

 クロードはその口ぶりに興味が湧く。

「あの伝説の竜使いがさ、実は旅を終えた後にこっそりこの国に帰って来たっていう噂があるんだよ。でもかなり時間も経っていて、何より本人があまり目立ちたがらなかったから、小作農家として移り住んできてひっそり暮らしたという話でさ。まあ、あんまり信じられてはいないんだが、それが竜使いのいない田舎であれば気付かれないだろうから、あり得る話だと思ってな。そんで確認したいことなんだけど、おまえが祠に置いてくるために持っていた懐中時計があっただろう」

「あったけど」

 クロードは突然話が飛んだ気がして、首を傾げる。

「そもそもあの祠は伝説の竜使いたちが巨竜に打ち勝った際に造られたもので、あそこに竜使いが家の紋章を刻んだ物を置いて行くのは、巨竜へのお供え物としての意味があるんだ」

「へえ、それは知らなかったな」

「それからも今回のように巨竜が姿を見せることが何度かあったそうで、上の人たちは時代の流れの中で適切な時に竜使いに警鐘を鳴らす存在として現れるのではないかと思っているふしがあるらしい。それこそにわかに信じ難いことだがな。そしておまえの懐中時計の話だ」

「話がどう繋がっているのか、全く分からないんだけど」

「おまえはそいつを置いてこなかったんだよな。意識が無かったし、あの黒竜が乗せてさっさと行っちまったから」

「そうだね。そういう意味でも僕のゴールは認められないはずだった」

「ちょっとだけで良い。そいつを俺に見せてくれないか」

「いいよ。そこの戸棚に入っているはずだから」

 するとヒートは戸棚を開けてすぐにあった懐中時計を無数の傷跡が付いているのにもかかわらず慎重な手つきで取った。それから「見て良いか」といちいち尋ねるので、「好きにしていいって」と答えると、彼はやはり恐る恐るその銀色の蓋を開けると蓋の内側を見る。すると彼はその目を見開き、そこで息を吐いた。

「伝説の竜使いの名前ってさ、不思議なほど知られてないんだ。ちょっと調べたぐらいでは、古い話というのもあって、その名が全て記されているものは見つからなかった。そんでもって、この時計もずっと昔に造られたものであることは、刻まれている無数の傷が物語っている。さらに言うと、おそらく戻って来た伝説の竜使いは偽名を使っていると思うが、普通に考えれば持ち物に刻んだイニシャルには沿ったものにすると思うんだ。そこに理屈があるわけじゃないし、そんなの気にする必要もないと思うけど、別にやましいことがあって紛れたかったわけではないし、そっちの方が何かとボロが出にくくて良い気がしないか。それでここに来る直前、ベース家の権限を使って、王立図書館の最下層に行ったんだが、そのとき彼が署名したと思われる文書を見つけたんだ。そしてそこに記されたイニシャルが、この懐中時計のものと、ついでに言えばおまえのものとも一致していたのさ。俺たちが司法省に届け出を提出しに行ったときにもちらっと見えたんだけど、これは決して馬鹿にする意味合いじゃねえんだが、なんかお前らしいなって思ったんだよ。家名の始まりの文字が、竜使いの家系の序列を示すと言われる文字列の最後のものだったからさ」

 ヒートはその文字を口にする。懐中時計に刻まれたイニシャルを見たヘラは驚いた顔でクロードの顔を見る。クロードもそれをまじまじと確認する。そしてその後でクロードはうなってから、「何も教えてくれないからなあ、じいちゃんは」と言うのだった。

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竜使いの民 〜竜征杯と黒い竜〜 城 龍太郎 @honnysugar

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