第56話 彼は笑っていた

「大丈夫ですか?」

 クロードは思わず尋ねる。

「ん、ああ。血の気が抜けて良い感じだよ」

 こんな状況でも王子は笑みを浮かべている。一度は止まったアルコルだが、彼らを避けて突き進もうとする。しかし王子を乗せた青い竜が行く手を遮る。アルコルは威嚇するが青い竜は落ち着いた様子でじっとアルコルを見ていた。それでも何度か突破しようと試みるが迅速に対応され、当然苛立ちを募らせていたが、突き飛ばしてまで越えていこうとはしなかった。

「話を聞かせてもらおうよ、アルコル。王子はなにも逃げ出せとおっしゃられているわけじゃない」

「そうだ。ここで退却するという選択肢は無いんだ。なあ、黒竜よ。少しばかり僕に協力してはくれないか」

 彼もまたアルコルを真っすぐに見て言う。竜と対話を図る竜使いの姿がそこにはあった。アルコルはまだ鼻息を荒くしていたが、それでも前に出ようとするのを止めた。

「勇敢に立ち向かうことと蛮勇を振るうことを履き違えないことこそが、勝利への第一歩さ。それじゃあ、ついて来てくれ」

 王子はそう言うと、祠から離れるように飛んでいく。

 山頂から少し降下したところに広まった場所があり、そこには王家とベース家の竜使いが数人ほどいた。

「戦えそうなのはこれで全員だね」

「すみません、本来なら私が召集すべきところを任せてしまって」

 いつも王家に仕える竜使いたちに指示を送っていた護衛はぐったりした様子で言う。彼の竜もまた深い傷をいくつも負っていて横になっている。

「別にいいさ。彼らに関しては、僕が行かなくては駄目だったろう」

「そいつはあの巨竜の子どもなのか」

 それはクロードに向けた質問であった。

「分かりません。でも何かしらの関係はあると思われますし、この山岳地帯から僕の家の近くまで飛んできていたのは間違いないようです」

 クロードは正直に答える。竜使いたちは皆、真面目な顔つきでクロードのことを見ていた。

「どこの家の者だ?」

 おそらくは王家側の者が尋ねる。

「僕はただの農家出身です」

 その竜使いは露骨に眉をひそめる。

「言っていることは本当だよ。ただの、というわけではないようだけどね」

 王子がそう言うと、「ええ、王子の言う通りです」とロリアンが引き継ぐように答える。

「彼の祖父は元々竜使いであり、何十年も昔の竜征杯で単独で出場して上位で入着したこともあったらしい。一時は話題になったが目立つことを好まず、たまに竜使いの指導をする程度で、表舞台で活躍することは無かったそうだ」

「なるほど」

 そこで王子が納得した顔を見せる。

「だから彼にその竜を任せたのか」

「そのようですね」

「ようやく僕の中で繋がったよ。彼を竜征杯に送り込んだのも、このためだったわけだ」

「王たちは隠していたのですよね、巨竜の存在を」

 今度はロリアンが王子に尋ねる。

「どうせキミたちもどこかで聞いているだろうけど、視察をしていた竜使いたちがボロボロになって帰って来たんだ。それはまさにここであの巨竜が現れて、一網打尽にされたからでね。しかしそんなことが明らかになれば、国民の不安を煽り、不信感を抱かれかねない。そして理由を明かせないからこそ、竜征杯を延期することも出来なかったし、討伐に行く時間もなかった。竜征杯の前後は国中で警備を強めないといけなかったし、出場する家は危険な任務を受けたがらないから、人手も足りなかった」

「つまるところ、巨竜がこのままのさばり、人里近くに降りてきて被害をもたらすようなことがあれば大問題となり、王家もその責任を問われることになるから協力しろということですね。そういうところが昔から変わらない故に、私たちは距離を置かせてもらったわけですが」

 ロリアンは冷たく言い放つ。

「防ぎようのなかったことだし、誰であっても同じ判断を下したと思うけどね。いずれにしても付け込む隙を与えてしまったのは事実か。だからこそアギルド家は一切協力しないと言い張っているわけだし。幸い、祠の中の台座にそれぞれの家の紋章の入った品を納めないといけないという取り決めがあるおかげで、彼らも足止めされているけど」

 隙を突けば祠に入ることは出来るかもしれないが、出入り口が一か所しかないので、巨竜に狙われたら逃げ場が無くなってしまう。

 改めてここにいる竜使いたちがバラバラであることをクロードは知る。これまでそれぞれの家を背負って戦ってきたのであり、そんな中で突然、協調して戦おうなどという話になっても、まとまるのは難しいのだろう。第一、それは主催である政府ひいては王家の都合であり、他の家の者たちにとっては虫の良い話に思える。クロードがやってきてからも見かけられたのは散発的な攻撃であり、連携は皆無であった。自分たちの戦力だけが削れられるようなことは避けたいという思惑も当然あるだろう。しかしこのまま続けても無意味な犠牲が増えるだけであり、そもそもここまで辿り着いた竜使いの数自体、見た限り十人強程度しかおらず、程度の差はあれども皆が疲弊し傷ついているのだから、壊滅するのも時間の問題に思えた。

「あの、どうすれば協力してもらえますか」

 クロードがそう言うと、皆黙って彼の方を見た。

「何故おまえがそんなことを聞くのだ」

 ロリアンが眉をひそめる。

「もしもあの竜が人里までやってきたら、大変なことになるからです」

「確かに放っておくには危険な存在だが、下界まで降りてくるとは思えないな」

 ロリアンはすげない態度で言う。

「そうは言っても、あなたの目の前にその実例があるじゃないですか」

 それを聞いてロリアンは顔を強張らせた。

「自分の縄張りに入ってきたから怒っているだけなのかもしれませんが、こいつのように僕の住んでいる村までやってくることだってあるかもしれません。だからこれは僕にとって他人事ではないのです」

 それは紛うことなき正論であり、あまりに真っすぐな言葉であった。

「僕はこの通り、農家出身で政治のことは何も分かりませんが、あなた方にそれぞれ考えがあることは分かります。僕だって勝ちたいと思ってここまでやってきました。だから、竜征杯の続きを飛ぶためにも、ここは一旦協力して巨竜を追い払うべきです」

「そう思うのであれば、なおさら王家の判断を責めるべきであり、その旨を表明させるべきだ。そもそもこうなっている時点で竜征杯は正常に運営されておらず、もはやレースとして成立していない」

「それを言うなら、バルムでアギルド家が城門を開けなかったことの方がよほど咎められるべきだろうね。こっちは洞窟の落盤事故と一緒さ。あくまでもレース中の不慮の事故に該当し、竜征杯はそれを内包したものだと正式に認められている。そもそも竜征杯というのはただ優れた竜使いであることを証明するためだけでなく、国内で何か問題が無いか見て廻るのを兼ねたものであったというじゃないか」

「そんなのは昔の話です。詭弁でしかありません。不慮の事故というのは、自然災害などの想定できないことを示すのであって、視察の段階で分かっていた場合はそれに当てはまらないでしょう」

「それじゃあ分かった上で、開催に踏み切っただけのことじゃないか。それにあくまでも巨竜が邪魔をする可能性があるという話でしかないのなら、それは自然災害などと変わらない」

 二人とも自分の主張を一歩も譲る気はないようだ。しかし正直なところ、クロードにとってそれはどうでも良いことでしかない。

 クロードは強く握り続けている手綱の先のアルコルを見やる。今にも飛び出しそうなほど落ち着かない様子で身体を揺り動かしている。それを見てから再び王子たちの様子を眺めるが、やはり場が収まることは無さそうだった。そこでクロードは、あくまでも冷静に口を開いた。

「おっしゃられていることは分かりました。それなら、僕が討伐隊を編成します」

 皆が一斉にクロードの方を見た。ロリアンが何か言おうとしたが、クロードはあえて何か言われる前に続ける。

「見て分かる通り、僕の竜はあの巨竜と戦いたがっています。ですから、僕らがあの巨竜を出来る限り引きつけます。その間に他の方は安全に配慮しつつ攻撃してください。もちろん、強制は出来ませんから、参加したい方だけ参加してください。ただ、僕が編成したことにすれば、あなた方が競技内外で責任を問われることも、多少は無くなるはずです。僕が引きつけている間に祠に入って紋章の刻まれた物を置いて、レースを続行させても構いません。その場合、審判団に遭遇した際には巨竜のことを伝えて頂き、正式な部隊を派遣してくださると有難いですが、正しい対処の仕方は私には分からないことなのでその辺りは全てお任せます。どんな状況であれ、僕たちには退くという選択肢はありませんから。僕の話はこれだけです」

 王家や名家の人間の前でも、臆することなくすらすらと言葉が出てきた。しかしそれでも反応は芳しくなく、彼らは顔を見合わせるがその顔はどこか冷めた様子であった。それからロリアンと王子の方を窺う。見ようによっては無礼にも当たる発言であったが、彼らはただ黙っていた。

「それでは、失礼します」

 クロードは手綱を引っ張ってアルコルに合図を送る。アルコルは鼻を鳴らし、身体を屈めながら足に力を込める。どう考えても勝ち目の薄い戦いになるにも関わらず、やはり本気で倒しに行こうという気概を感じた。クロードはそんなアルコルの背中に飛び乗ると、再び手綱を振るって飛び立たせた。クロードが飛び出した後も、しばらく誰も何も言わなかったが、やがて王子は見たものについて口にした。

「笑っていたね、彼」

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