第54話 追いかけてきたもの

「ロリアンがいなくなったね。まさかコースを間違えたわけではないだろうけど、どう思う?」

 王子はそうホワイトに訊くが、ホワイトは何も答えない。

「そろそろ集中力も切れてきただろ。ちょっと休戦といかないか」

 ホワイトはそこでようやく王子の顔を見た。

「奴は敗れた。それだけだ」

「まだそうとも限らないよ。先は短くないし、ひょっとしたらまた追いついてくるかも」

「冗談を抜かすな。脱落するに決まっている。今ついてくる体力もない奴が、後で追いつけるはずがない」

「その尽きそうな体力を回復出来るだけの時間があるとしたら?」

「もうよせ。敗者を語るな。それに、これ以上おまえと喋りたくはない。アギルド家とアシュフォード家はこの国が出来る前から今までずっと争い続けてきた。血を血で洗うような闘争を無数に繰り返し、その度に互いに憎み、討ち取った敵の数を数え、煽り、そしてまた生死のやり取りをしてきた。今さら、停戦などするわけがなかろう」

「そんなのは昔の話じゃないか。今は議会や竜征杯を開催することで平和が保たれている。もちろん、僕の立場から言わせてもらえば、キミたちはそれもお構いなしだから手を焼かされているし、今回の竜征杯だってそうだ。だけどそれでも、竜使いの民に卑怯者はいたとしても臆病者はいないと胸を張って言える。精神論でどうにかなることではないとキミたちもお上の人たちも言うけど、でも忘れてはならないことだってあるだろ」

「そんなものは無い」

 ホワイトはあっさりと否定する。

「おまえには分からないだろうな。次点と言われ続けている苦しみを、怒りを、苦悩を。私は次男ということもあり、家でも常にそういった扱いだったからよく分かる。今回の大会が始まる直前にも、おまえも含めて周りは我々に冷笑を浴びせ、晒上げるような仕打ちをしていたではないか。たとえ、おまえたちと馴れ合っていくとしても、今のままではその関係は永遠に変わらない。だがそこまで言うのであれば、約束しよう。私が竜征杯で勝ち、将来国王の座に就いたときには、おまえたちとも友好関係を築いてやる」

「なるほど。でも、それは無いね。何故なら、今後何が起ころうが、少なくとも竜征杯での勝利は僕のものだからね」

「全くもって無駄な話し合いだったな」

 ホワイトは白い竜を王子の竜の懐に入り込ませようとする。

「そうでもないさ。きっと近いうちに分かるよ」

 白い竜が飛び込んで振り回した細長い腕を、今回は避けるのではなく青い竜は細長い手でガッチリと受け止める。そこで白い竜が頭を少しのけぞらせて頭突きをかまそうとしたが、それは首を逸らして躱す。すると今度は青い竜の方が上から押しこむようにしてその固い額で後頭部に頭突こうとする。白い竜はそれをギリギリで横に避けた。

 ホワイトの竜は互いに掴みあっていた手を相手ごと引っ張るようにして上に飛び、その腕力で振り回そうとする。しかし王子はむしろ青い竜に力を緩めさせることで、相手に引き寄せさせてそのままぶつかっていく。それにより白い竜がよろめいた。ホワイトはその手を離させて一旦逃げようとする。王子は追おうとしたが、そこで白い竜はすぐに反転し、青い竜が自らその細長い腕の圏内に入ってくるところを鋭いかぎ爪で身体をえぐり取るように思い切り引っ掻こうとした。

「それを待っていたよ」

 青い竜は腕を引っ込めて胴体をうつぶせるようにグイっと下に降ろすと、勢いを殺さずにその頭でがら空きになっていた腹に向かって突っ込んだ。もろに頭突きを食らった白い竜は悲鳴をあげて落ちていく。

 王子は白い竜が霧の中に消えていくのを見届けると、これ以上の追撃はさせず、代わりに先を急がせる。単純な飛ぶ速さであれば自分の竜が一番速いと自信を持っていたので、距離を稼げば追いつかれることも無いと思ったからである。そうして一人と一匹になった空でただ前に飛ぶことだけに専念する。それから程なくして霧の向こうにぼんやりと建物の影を見つけた。それは山頂にある祠に間違いなかった。

 しかし祠に近づくにつれて、青い竜が王子に警戒を促すように短く何度か鳴いた。それまで王子は少しだけホッとした様子を見せていたがそれを引っ込め、先ほどの戦闘のときよりもよほど険しい顔つきでじっと目を凝らし、耳を澄ましていた。すると祠へ続く石畳と両脇に建っている黒い石柱が見えたところで、祠の上で巨大な何かが蠢き、地鳴りのようなうなり声が聞こえてくる。それをはっきりとその目と耳で見聞きした王子はため息を吐いた。

「まったくもう、少しぐらい僕の予想を裏切ってくれてもいいんだけどな」

 ここまでの展開は全て、王子が竜征杯の前から予想していたものとほとんど違わず、蠢く存在の出現さえもその範疇であった。



 最後に山に入ったクロードは、やはり祠を目指してひたすらに登っていたのだが、それは登っているというよりも猛然と駆け上がっているといった方が相応しく、クロードはほとんど引きずられるようであった。

 山に入ると、アルコルの様子はいよいよおかしくなっていた。竜征杯も終盤に差し掛かろうとしており、いくら無尽蔵の体力を誇ろうとも疲労の色が濃く出てくる頃合いで、それはアルコルも例外ではなかったはずだが、今は平地とさほど変わらない速度を出して、突き出した尾根や大岩にぶつかろうが全く気にすることなく、ぐんぐんと登りながら幾度となく吼えていた。背中に乗っているクロードはまるで荒れた道を走る馬車に乗っているように揺さぶられ、背中から落ちないように両腕の内側で背中の大きなこぶの一つを挟みこんでしがみついている有様だ。

「ちょっとは落ち着けよ」

 先ほどから何度もそう呼びかけているが、アルコルは前に進むことしか考えていないようで、まるで聞いていない。体力の配分については今さら言っても仕方ないと思っているが、クロードが高山病になる心配もある。ただ、地形を良く理解しているような迷いのないその飛行からして、アルコルがこの辺りの生まれであることはほぼ間違いない。その飛びっぷりは竜征杯を飛ぶ上では嬉しい誤算でもあるが、ここがアルコルの故郷であり、帰ることを望んでいたのだとすれば、クロードは脱落することになるだろう。老人に言ったことは嘘ではなかったが、やはりクロードとしては竜征杯を最後まで飛び切りたいし、もしここで降ろされるようなことがあれば、無事に帰れるかも分からない。

 そんな気持ちの間で揺れ動き、ついでに身体も激しく揺れ動かされながら飛んでいたが、アルコルがまたしても吼えた。しかもアルコルは今や明確に何かを捉えているようであった。

 初めクロードはそれが雲の中で発生した雷の音かと思ったが、霧は乱層雲によるものではなく、山の天気が崩れやすいとはいえ、荒れている様相ではない。しかしそこで続けて、空気だけでなくこの地にあるもの全てを震わせる生き物の咆哮と思われるものが聞こえた。アルコルが発するときも十分に周りを震わせていたが、今聞こえたのはさらに何倍にも大きなものであった。

 それに対して、アルコルは全く驚くことも無く、吼え返した。明らかに大きさに差がある動物と向かい合い、しかし臆さずに吼え立てているような、そんな様子であった。そしてさらにアルコルは荒れ狂ったように翼を羽ばたかせ、尻尾を振りまわして飛んでいき、気付けば頂上に辿り着いていた。

 霧の向こうからはいくつもの竜の鳴き声と人の叫ぶ声が聞こえる。さらに祠の建物がうっすらと見えてくるが、そこには巨大な影が落とされ、霧で途切れがちな日の光を完全に遮断していた。黒い石柱に挟まれた石畳の上を飛んでいき、やがて岩で造られた一軒家ほどの大きさの祠がはっきりと見えたところで、クロードはその光景を目の当たりにした。

「なんだよ、これ」

 まず目に入ってきたのは、石畳の上に倒れている竜と竜使いたちであった。彼らは血を流し、ぐったりとしているが、看護にあたる者はいない。

「おまえか」

 クロードがやってきたことに気付いたのは、自分の竜を壊れた石柱の上に止まらせているロリアンであった。彼もまた負傷していた。

「何が起きているんですか」

「祠の上を見れば分かる」

 特にその辺りは霧が靄のようにかかっていたがそこに大きな影があり、アルコルはそれに向かってしきりに吼えていた。すると、ふいにそこから数匹の竜が落ちてくる。それは王子と王子の護衛たちであり、彼らもまた大なり小なり傷を負っていた。

「大丈夫ですか、王子」

 護衛の方がよほど酷い有様だったが、それでも自分の傷よりも王子のことを気にする。

「ろくに有効打を当てられないね。どこかに弱点はないのかな」

 王子は険しい表情で言う。

「あれって」

 クロードがそう口走ったとき、靄が晴れてその姿が鮮明に目に映りこんでくる。その全身は少し緑がかった黒くて分厚い皮膚で覆われ、先が枝分かれしている燃え上がった炎のような形をした尻尾だけは絵の具が剥がれ落ちたように白く、両足は大岩がそのままくっついたようであり、それがくっつく胴体の腹部らへんにはあばら骨のように幾つも筋が入っている。そして長い首を伝っていくと、深いしわが刻まれた厳めしい顔には人の顔ぐらいの大きさの濁ったガラス球のような赤い目が付いており、そこには今叩き落された竜たちが映っていた。しかし何よりも特徴的だったのは、異様なほど横に伸びた翼であった。

 ごつごつした黒い皮膚と赤い瞳、そして蝙蝠のような翼。全て良く見覚えがあったのは言うまでもない。クロードは目下を見る。アルコルのその赤い瞳はその巨大な竜をまっすぐに捉えていた。

 ゆっくりと降りてくる巨竜を目の前に、アルコルが自身を奮い立たせるようにその身体を震わせるのが伝わってきた。それが武者震いであることは、クロードもまた竜征杯を飛ぶときに同じものを感じていただけに分かった。そしてこれまでのアルコルの挙動がようやく腑に落ちる。

「おまえも、ずっと追いかけていたんだな」

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