第53話 三すくみ

 そうして犠牲を払いながらもベース家とアギルド家は、王子のいるところまでようやく追いついてきていた。しかし皆、息をあげ、顔色も決して良いとはいえなかった。

「それはそうさ。疲れるのは竜だけじゃない。竜に乗ったことのない人は時々勘違いしているのだけど、頭はもちろん、手綱を握る手も、それを振る腕も、足や腰、身体全体を使って、竜使いも一緒に空を飛んでいるんだ。まして今は果てしなく高い山を登っているのだからね。突然ぶっ倒れたって全くおかしくはないのさ」

 そう言っている王子は空気の薄い中でも軽快に喋っている。

「僕はそれはまるで赤子のように大切に大切に揺りかごに乗せられて運ばれてきたからね。悩みと言えば、多少の睡眠不足ぐらいのものだ。僕は結構長く眠る方でね、普段なら九時間ぐらいはふかふかのベッドの上で寝ているわけだけど、さすがに竜征杯にベッドは持ってこられないだろ」

 彼はそんな与太話をしていたが、そこでロリアンとホワイトがほぼ同時に追いついた。すると王子は顔をあげた。

「わざわざここまで待ってあげたのはね、君たちが丁度一息つきたいと思ったタイミングで飛び出すためさ。それじゃあ、追いかけっこを始めようか。もちろん僕が先行だ。もう二度とレース中に顔を合わせることもないだろうから、さよならを告げておくよ。それじゃあ、またね」

 すーっと滑らかな動作で手綱を握り直すと、彼の青い竜はまるで舞うように優雅に飛び出す。それは最も静かな開戦の合図であった。竜の飛行速度は平地と比べればその半分程度の速さであったが、それでも他の竜も竜使いも皆辛そうにする中、王子だけが悠然と前に出て行く。さらにそこに少しも遅れずについていく男がいた。

「大丈夫かい」

「それはこちらの台詞です。予定では祠を過ぎてから仕掛ける予定でしたよね。特にこの辺の山は気候が安定せず、予期せぬトラブルに見舞われる恐れがありますので、護衛を外すのはまだ早いと話したじゃないですか」

「そうだっけ。でも、なんだか皆疲れている様子だったし、何より僕が待ちくたびれちゃったよ。それに、どうせキミはついて来てくれるのだろ」

「そういう問題ではありません」

「まあまあ、あんまり固いこと言わないでよ。どうせ僕が勝つんだからさ」

「慢心してはいけないということです」

「僕が一度だって慢心したことがあったと思うかい」

 王子は話している間もずっと前だけを見ていたが、そこで初めて振り返った。そしてそれは護衛のことを見ようとしたからではなく、さらにその後ろから追いかけてくる存在を気取ったからだ。

「そうあっさり離せるとでも思っていたのですか」

 先にロリアンが追いつき、その後ろにはホワイトもいた。王子は無言でさらに前に出ようとする。

「まさか答える余裕が無い、なんてことはないでしょうね」

「自分の言ったことを訂正したくないのだろう。上に立つ者が言うことは絶対であり、それが簡単に覆るようなことがあれば、不信感が生じる。だからこそ意見は慎重に述べるべきだというのにな」

「なるほど。さすがに西方の荒くれ者を束ねる家の次期当主だけあって説得力があるな。どこかの軽薄な男とは違って」

「否定できないのが辛いところですね」

 ロリアンとホワイトだけでなく、護衛にまでちくちくと口撃される王子はすっかり不貞腐れていたが、それにより王子は手綱を振るって青い竜にさらに速度を出させ、山をぐんぐんと登っていく。

「そんなに飛ばして最後まで持つのか」

 ロリアンは一同の気持ちを代弁するように言う。

「持たせるのでしょう。万が一持たなかったとしても、そのときは私がどうにかしますから」

 そこで護衛がロリアンとホワイトの竜の進路を阻むように立ち塞がる。そうなることが分かっていた二人は左右からそれぞれ追い抜こうとする。護衛はわずかに迷ったが、先に潰しに行ったのはホワイトの方であった。彼の方が体力的にも余裕があり、優先して削るべきだと判断したのだ。ホワイトはそれを真っ向から受ける。竜同士が肩をぶつけ合う。

「以前から思っていたが、アギルド家の竜にしては小さいな」

 護衛の男はホワイトの身体の大きさに合わせたものかとも思ったが、あくまでも荒くれ者どもからも抜擢されるというアギルド家の親衛隊と比べればそれほど大きくはないというだけで、彼の背丈は平均ぐらいだ。

「あと一枚剥がせば王子に辿り着くのだから、もういいだろう」

 ホワイトは護衛の方を向いていたが、唐突にその目がどこに焦点を当てているのか護衛には全く分からなくなり、その不気味さに高山を登っているときに感じるものとはまるで性質の異なる寒気を感じ、全身が危険を訴えると同時に、思わずその手綱を引っ張り自分の竜を引き下がらせた。

 次の瞬間、ホワイトは竜の上で立ち上がり、まるで獣のように吼える。さらにその手綱で鞭のようにその白い竜を何度も叩きつける。何故立ち上がっても手綱が手から離れないのかといえば、それは服の裾の中で自分の腕に巻き付けて短く持っていたからであり、そのことに今初めて護衛は気付かされた。するとそれまで大人しくしていたその白い竜は、唐突に狂ったように耳をつんざく鳴き声をあげると白目を剥き、鷹のようにしまっていたナイフのように鋭利なかぎ爪を出して襲い掛かった。



「おい、今の」

 彼らの少し前で王子の後を追っていたロリアンも思わず振り返るが、霧のせいで下の様子は見えない。

「彼は体裁を気にする方だから、人前でその姿を見せることは無いと言われているけど、僕たちは拝めそうだね。まあ、拝まないで済むに越したことは無いのだけど。でも、まもなくやって来るよ」

「王家直属の護衛でも止められないと」

「止められないだろうね。ホワイト家の当主争いを制したのは伊達じゃないのさ」

 まもなく霧の中から竜の影が見えてくると、そこを突き破るように白い竜が現れた。そして猛然と二人に向かってくる。

「せっかくなら以前のようにキミに護衛してもらおうかな。どうせキミたちは本気で王位を狙っているわけではないのだろう」

「申し訳ありませんが、今回ばかりはお断りさせていただきます」

 二人は一斉に逃げるように前に飛びだす。しかしホワイトの竜の勢いは止まらず、あっというまに追いつく。彼らがその道を開けるように避けたにもかかわらず、ホワイトは抜かそうとはせずに彼らに襲い掛かる。

「一応レースなんだから、せめて前に出ようとする素振りぐらいは見せてくれよ」

 王子は呆れるように言う。白い竜は腕で駄目なら翼で、翼で駄目なら尻尾で、尻尾で駄目なら胴体で押しつぶそうと、次々と攻撃を繰り出してくる。その間にロリアンは抜け目なく前に出ようとするが、王子もホワイトもきっちりと進行方向に飛んでいるために、むしろ彼もそれに巻き込まれ、白い竜の翼での一撃を受けてしまう。しかしロリアンはすぐに立て直し、続きの攻撃を躱すと、彼は方針を変え、同様に攻撃を避けていた王子の竜に自分の竜の身体をぶつけに行く。王子の竜はそれに素早く反応したが避けきれず、さらにホワイトの波状攻撃を浴び、王子の腕にローブの上からその爪が入った。それでも王子はどうにか後ろに下がることでそこを逃れると、すぐにポケットの布を引き裂き、患部の止血をする。

「まったく、僕は武闘派じゃないんだけどね」

 王子はロリアンの不意打ちにも冷静な様子であった。この場には話し相手はいても、味方はいないことは分かっていた。しかし彼にとって幸いなのは、ホワイトとロリアンが協定を組んで潰しには来ないことだ。ここまで来ると彼らも互いに警戒しており、仮に協定を組んだところでいつ背後を襲われるか分かったものではない。どちらも単純にどちらでも良いから一人減らしたいのであって、それが誰であるかは問わないし問えない。実際、逃げた王子をロリアンは追いかけようとしたが、そこでホワイトがすかさず彼の背後を突こうとしたので、今は二人で争っていた。だから王子は二人の争う横を抜け出ようと試みるが、それにはすかさず二人とも反応する。もちろんそのときももう片方への牽制を怠らない。

 そうして完全な三つ巴となり、それぞれがそれぞれを出し抜こうと、もしくは潰そうとしている間に、山頂近くまで登り詰めていた。天を突き刺すような高い山々が連なり、雲を見下ろす中、一方で霧は一層深くなっており、もはや少し離れただけで互いの姿が見えなくなりそうであった。しかしその状況もじきに終わることがすでに窺えていた。

 皆が消耗しているが、王子の竜は相変わらずその機敏な動きを維持していたし、ホワイトはまだ立ったまま竜を操縦し、彼の竜は一時攻撃の手を休めたかと思ったが、すぐにまた凶暴化した。彼らの中で最も厳しい状況なのはロリアンであった。ロリアンの竜は、実は彼らの乗っているものの中では最も大きい。地面と平行に飛ぶときは体重が力に比例するが、空に向かって登るときは、その重い身体を上に持ち上げなくてはならない。それだけでは一概に不利とまでは言えないが、これまでずっと最後方から追いかける立場であり、神経も体力も使ってきたので二人よりも疲労が溜まっているのは間違いなかった。彼が乗るのは、気性として追いかける方が得意な竜であったが、今は追いかけるのではなく抜け出さなくてはならない。

 ロリアンはこういった展開も予想していたが、そもそも無理をしなくてはこのような状況を作ることすら出来なかったのだから、選択としては最善だったと思っている。しかしずっと守られてきた二人と比べてしまえば、体調面で大きな差がある。少しずつではあるが、徐々に彼らとの差が開きつつあった。おかげでホワイトの攻撃は今や王子にしか向けられていなかったが、それに加勢することも、背後を突くことも出来ない。

「大丈夫か」

 ロリアンは自分の竜に呼びかけるが、彼自身すっかり息が切れており、高山病の症状か頭痛もあった。今はなだらかなほとんど平面に近い傾斜が続いており、祠まではもう一度坂を登っていかなくてはならないが、降りて休む場所としては悪くない。しかし今地面に降りてしまえば、もう二度と追いつけない可能性が高い。彼は悩んでいたが、そこで突然ガクッと身体が揺れた。

「どうした」

 考え事をしていたロリアンは慌てて竜の様子を確認すると、先ほどからの攻防で傷ついた翼が上手く羽ばたかせられず、バランスを崩したのだ。すぐに持ち直して飛ぶが、それを見てロリアンは決断した。

「少し休むぞ」

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