第50話 王子は軽く口を滑らせる

 クロードと同様に防衛線を突破することが出来たのは、両手で数えられるぐらいの人数であった。しかもそれはほとんどが名家や旧家の一、二番手であり、盾となっていた竜使いが引き剥がされてしまい、彼らが揃って苦々しく顔を歪めていた。その戦力では前の三つの家に太刀打ちするのは厳しく、実質的に掃討作戦は成功していた。それでも残ってきたのは強者たちであり、そこで諦めるような者は誰一人おらず、再びその面々で何も言わずとも協調関係を築き、小さな集団を形成した。その後は順繰りに前を引き、そのおかげもあって、まもなく前方の集団に追いついたが、その頃にはもう深い渓谷地帯が見えてきていた。

 クロードは目の前に広がる光景に思わず魅入ってしまう。低い場所には木々が植わって緑が生えているが、中央に流れている川の両側にはひたすらに高い岩山がまるで巨大な門のようにそびえ立ち、山の上の方は緑ではなく白っぽい岩肌が剥き出しになっている。

 この先はほとんど人が踏み入らない領域であり、町といえる規模で人が住んでいる場所は無い。渓谷の入り口付近にある小さな村で待っていた審判員の確認を受けると、またすぐに飛び出し、一行は狭い渓谷の中をひたすらに進んでいく。

 審判団の目もあって、一旦は争う事をやめたが、見えなくなるとすぐに再開される。渓谷の幅は場所によって異なり、今はまだ横に並んでいられるほどだが、ところどころ幅が狭くなっているので、そこで争いが激化するのは目に見えていた。しばらくはなだらかな道のりであったが、進むにつれて傾斜が急になっていき、高度も上がり始めている。ここから下がることはほとんどなく、気温も下がっていく。クロードに限らず、荷物の補給を行った際に竜使いたちは厚手のマントをもらっており、股引などを履いて防寒対策をしていた。クロードも手を冷やさないようと今のうちに手袋を生地の厚いものに変えながら、情勢を見極める。

 前方にいた三家は、クロードたちが掃討部隊と戦っている間に、それぞれが抜きん出ようとしていたようだが、互いに消耗し合っただけで未だに三すくみの状態は維持されており、それはクロードなど後方からやってきた者たちにとっては有難いことであった。しかしその中で明確に勢いがある一派がおり、それはアギルド家であった。

 審判員が見えなくなってから真っ先に仕掛けたが、それが本気のものであるとすぐに分かった。しかも今度は正攻法であり、たとえ審判員が見ていても許されるものであった。特に大きな竜を前方と左右に出して、ホワイトを護送しながら前に出ていく。王家もベース家もそれを防ごうとするが、その大きな竜たちが力でねじ伏せる。数は王家の方がまだ多いが、彼らは皆ろくに休めていないため、疲労の溜まり具合からアギルド家が優勢であり、徐々に差が広がり始めていた。

「逃がすな、追うぞ」

 ロリアンがそう言うと、ベース家の面々も残って邪魔をしてくるアギルド家の竜使いをあしらいながら、あとに続く。そして真っ先に反応すると思われた王家が取り残されることになり、クロードと同じように上がってきた竜使いたちもその様相に戸惑う。

「どうして前に出ようとしないのですか」

 護衛の男が王子に言う。

「人のいない場所って、どうしてこうも空気が美味しいのだろうね」

「王子、話を聞いていますか」

「竜の上に乗っているからちょっと寒いぐらいだけど、下に降りて川岸を歩いていれば涼しくてさぞ気持ち良いことだろう」

「王子。何を呑気なことを言っておられるのですか。このまま離されたら、今度こそ追いつけなくなるかもしれませんよ」

「問題ないさ」

「何故そこまで断言できるのですか」

「それはキミも知っているじゃないか。何故って、僕がこの目で選び抜いた精鋭部隊は、まだ皆ほとんど無傷だからだよ」

 王子は自分の周囲に集っていた竜使いたちを指さす。クロードが彼らに見覚えがあったのは、競竜場で見ていたからだ。

「王子のおっしゃる通りだ。おまえもその一員なのだから、もう少しどっしり構えろ」

「あなたたちが揃いも揃ってのんびりしているから、こうして私が急かしているんですよ。まだまだ渓谷は続き、その後には最難関の祠への上り坂もあります。だからこそ余裕のあるうちに差を詰めておかないと。何が起こるか分からないと王子もおっしゃっていたじゃないですか」

「おっしゃったねえ」

 王子は呑気に言う。

「でも今から飛ばして他の人たちはついてこられるのかな。今回はいつもと違ってちょっと不穏だからね、せめて祠に辿り着くまではなるべく多くの竜使いを連れて行きたいんだ。掃討部隊を突破してきた彼らも含めてね」

 そう言うと、王子は振り向いてクロードたちの方を見る。クロードと同様に、他の竜使いたちもその言葉の意味を分かりかねていた。

「どういうことですか」

 クロードは王子に尋ねた。普段ならおいそれと口を挟めなかっただろうが、あくまでも竜征杯に参加する一選手としては同等であるとクロードが考えていたからこそ口に出来たのだ。護衛を含めてクロードが訊いてきたことに少なからず驚いていたが、王子は「こんなこと言われたら気になるよね」とやはり気にする様子もなく言う。

「キミが乗っているその竜さ、ロリアンを焼こうとした例の野生の竜なんだろ」

「えっ」

 王子の言葉に周囲はさらに驚く。クロードは彼には伝わっているのだと理解し、「はい、その通りです」と素直に答える。

「野生の竜って、そんなものが」

「ロリアンの言っていたことは全部本当さ。僕も少し調べたけどね、やっぱりそんな異様な特徴を持った竜の捜索願や失踪届はなかった。だからほぼ間違いなくそいつは野生だよ」

「でも野生の竜なんて、もう居ないと言われて久しいじゃないですか。私たち竜使いが国中で捕らえ、長年かけて飼い慣らしたのですから」

「いるじゃないか、捕らえられなかった竜が。それについては、国中の人間が知っているだろ」

 そこで護衛は息を呑む。

「そう。僕らの先祖と共に伝説の竜使いが追い払ったというあの巨竜のことさ。先日、竜征杯の視察も兼ねて、竜使いの師団がコースを飛んだんだ。でもそのとき、彼らは酷い怪我や火傷を負って命からがらに戻って来た。選挙の年にもあたる大事な竜征杯を中止させないために、このことは極秘事項になったのだけど、ここに残るような竜使いになら話しても問題はなかろう。お父様たちが勝手に隠したのだから、勝手に知った僕が勝手に言いふらしても良いはずだ」

「いえ、全く良くないと思いますけど」

「えっ、そうなの?」

「さすがに極秘事項を話すのはまずいかと」

「やっぱりそうかな」

 二人はいまいち締まらない会話を交わす。

「じゃあ、皆。今のは忘れてね」

「それは無理ですよ。私だって聞きたいことがありますし」

「そうか。なら、置いて行かれないように努力したまえ。僕たちについてこられた人にだけ、この続きを話してあげよう。さあ、行くよ」

「まったく、王子は腰が重い割に突然やる気を出すのですから困ったものです」

 護衛は文句を言いながらも、少なからず嬉しそうであった。そして彼らは王子の号令と共に、彼とその精鋭部隊が飛び出した。それにはクロードたちだけでなく他の王家の盾として残っていた竜使いたちまでも遅れをとり、慌てて追いかけ出す。



 彼らの速さは異次元なものであり、見えなくならないように追うだけで精一杯なほどであった。クロードは絶対に千切れるわけにはいかないとアルコルを鼓舞するが、飛んでいるのは最後尾だ。

 竜の出せる力の大きさは身体の大きさに依存し、ゆえに大きな方が速いと言われている。しかしアルコルは他の普通の大きさの竜よりも少し遅いぐらいであった。それはおそらく体型が洗練されたものではないからだろう。決して太っているわけではないが、腹は出ていて角や背中の突起も大きいのでそれだけ空気抵抗も増す。逆に、それでもどうにかついていけるのは、その並外れた大きな翼によって一回の羽ばたきで長い距離を進めるからであり、そして何より前に目指すものがあることがアルコルにとっては良い効果に働いているようで、普段よりも明らかに速く飛んでいた。おかげでどうにか集団から遅れることはなく、あっという間に前を飛んでいたベース家とアギルド家を捉えた。

 彼らは彼らでしのぎを削っていたが、後ろに気付くと追いつかれまいと逃げようとした。しかしそれでも差はどんどん縮まっていき、やがては王家の一団が完全に追いついた。そして追いついても全く速度を緩めずに、彼らの間をその隊列を細め、ほとんど曲芸のように優雅にすり抜けていく。本来であれば王子や護衛を攻撃するまたとない機会であったにもかかわらず、二つの家はその速さに対応できず、触れることさえ出来ない。

「だから言っただろ。多少の小細工を施そうが、僕らの勝利は決して揺るがないとね」

 王子たちはいともたやすく前に躍り出た。もはや誰にも止められずに、そのまま突き進むと思われた。しかし王子はすぐに後ろを振り返る。すると王子の隊列にいた竜使いが一人だけ、ベース家の竜使いに捕まっていた。

「あぶねえ」

 それはヒートの声であった。彼は自分の竜の機敏さを生かして、王家の隊列の間に割って入っていたのだった。その甲斐あって、王家の隊列に乱れが生じる。

「でかしたぞ、ヒート」

 すかさずロリアンたちも隊列に割り込むようにして王家の陣形を崩しにかかる。それとほぼ同時にその巨躯を使ってアギルド家の竜たちも押し込めるようにぶつかっていく。

「そう簡単にはいきませんよ」

「ふうん」

 竜征杯が始まってから初めて、王子は不服そうに眉をひそめた。

「でも、それぐらいでは止まらないさ」

 ヒートに絡まれた竜使いはアギルド家とベース家の竜たちを突き飛ばしながらその合間を縫って自力で隊列に戻っていく。

「すみません、不覚でした」

「もう一度速度をあげるよ」

 王子が何事も無かったかのように言う。

「ここからは少しでも遅れた者は置いて行く。全力を出せ」

 ロリアンが声を張り上げる。

「おまえたち、命令だ。私についてこい。それが出来ない奴は、あとで潰した敵の数でも聞かせてもらおう」

 ホワイトも静かに言う。男たちは一斉に吼える。ここまでくれば単純な力比べであり、策略や作戦よりも地力がものを言うことを誰もが理解していた。

 クロードは思わず震える。これこそが竜使いとしての誇りを賭けた竜征杯なのだと実感させられ、つまりその震えは武者震いであった。そして、初めて見たときから心を惹かれながらも、同時にどうやっても追いつくことの出来ないと思わせられて絶望したあの隊列と同じ舞台に立って飛んでいることに感動さえしていた。しかしまだ喜べはしない。彼らに追いつき、さらには追い越さなくてはならないのだ。クロードは手綱を握り直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る