第44話 宿屋とならず者たち

 ドゴールが二人を連れてきたのは、町の外れにある二階建ての宿屋であった。質素な木造建築でいかにも安そうだが、まずまずの大きさはあった。

「この宿屋の一室を取ってあるんだ。あとで、竜を引き連れてくると話しておいたから外の厩舎も使えるぞ。ただ、おまえの仲間のことまでは考慮していなかったから、一部屋で男三人が寝ることになるが、そこは我慢してくれよ」

 色々と訊きたいことはあったが、わざわざ扉を開けておいてくれた宿屋の主人のためにも、二人ともさっさと厩舎に竜を入れてから部屋に上がっていった。

「もう少し説明がいるか。でも、そんなに語れることもないぜ。たぶんおまえたちの方がよっぽど状況を把握しているだろう。俺たちは今日の昼頃にこの町に着いたんだが入れてもらえなかった。安全上のためとかなんとかで、特に竜使いの出入りは片っ端から断られた。だから他の連中は皆、隣町まで飛んでいったんだが、俺は少し時間をおいてから一般人を装って町に入ったのさ。俺にはよく分からないが、もしかしたら出場者は一晩この町に留まらないといけなくなるかもしれないと聞かされたから、とりあえずお前が休めるように宿屋で部屋を取っておいた。だが、部屋を取るのも大変でな。厩舎のある宿屋はほとんどが臨時休業中、もしくは予約で一杯になっていて、ここはようやく見つけた場所なのさ。どうも話を聞くと、領主様からそのような通達があったらしい。でもこの宿屋の店主は普段からあまり客入りが良くないから、営業をやめるわけにはいかなかったそうだ」

「アギルド家以外の竜使いたちを休ませない気だな」

 ヒートは顔をしかめる。

「でもすごいな。そんな体制の中、町に入って宿まで借りられるなんて」

「それは俺の巧みな話術によって衛兵と親しくなったからだな。奴らも仕事で疲れていたようだったから、少しばかり差し入れと楽しい話を提供してやったのさ。それに俺は竜使いじゃないから、奴らもあまり警戒していなかった。そのおかげもあって、仲良くなった衛兵が非番になってから町を案内してもらったんだが、うっかり賭博場で大負けしてほとんど有り金をすっちまったぜ。宿代だけは靴の裏底に入れておいたから使い切らずに済んだけどな。いやあ、いけると思ったんだけどなあ」

「家に帰ったら、ヘラに怒られるだろうね」

 クロードは呆れていたが、ヒートは彼の豪胆さに驚いている様子だった。

「いや、ヘラも一緒に来ているぜ」

「えっ、そうなの」

「ああ。明日になれば隣町で会えるはずだ。でも、そんときは俺と会った時以上に驚くことになると思うから、楽しみにしてな」

「ええ、疲れたからこれ以上驚きたくないんだけど」

「それもそうか。それならお喋りはこの辺にして、少しでも疲れを取るために朝まで寝るべきだ。ベッドは二つしかないが、俺は床で寝るから問題ない。さあ、休め。寝ろ寝ろ」

 クロードはいまだに突如として現れたドゴールの姿に現実感がなかったが、それでもベッドに寝転がると、これまで溜まっていた疲れが一気に押し寄せるのを感じた。それはヒートも同じだったようで、二人とも泥のように眠るのだった。



 明け方とはまだ言えないぐらいの微妙な時間帯に、クロードは目を覚ました。何故覚ましたのかといえば、何やら低い呻き声が聞こえたからだ。丁度、ヒートも同じタイミングで起きあがる。そして二人は顔を見合わせると、「厩舎だ」とほぼ同時に言った。クロードは空になった酒瓶と共に床に転がっているドゴールの上を飛び越えて扉から出ようとするが、ヒートは逆方向に走りだし、窓を開け放つとそこから飛び降りていく。クロードは驚くが、そちらの方がずっと早く厩舎に行けるのは確かであった。

 クロードが宿屋の入り口から外に出て、裏手にある厩舎に向かう途中にもアルコルの威嚇する唸り声が聞こえ、さらにヒートが「お前たち、何者だ」と呼びかける声がした。

 クロードは出て行く前に、建物の陰で様子を窺う。厩舎の前にヒートが立っており、さらにぼろ切れのような服を着た男が三人ほど取り囲んでいる。

「その質問に、俺たちが答える必要はあるのか」

「向こうからすればあるんだろう。なんたって竜使い様だからな。俺たちとは違って、地位も金も持っている。自分の言葉には皆が従うと思っていやがるのさ」

「偉ぶるつもりは無い。ただ、その手に持っているものは降ろせ。通報されてもいいのか」

 すると男たちは一斉に吹き出してゲラゲラ笑い出す。

「何がおかしい」

「そりゃおかしいだろ。一体誰に通報するつもりなんだよ。すっかり腰抜けになっている審判団とやらか。それともまさか領主様とか言い出さねえだろうな」

「くそっ、罠だったということか」

「俺たちは竜使い様の事情なんてまるで知らねえが、大人しくしておいた方が利口だと思うぜ。そうすりゃ傷つけはしねえ。手足を縛って身ぐるみ剥がさせてもらうけどな。ついでに宿屋の軒先に吊るしておいてやっても良いぜ」

「そいつは愉快だな。竜使い様の身を張った渾身のギャグなら、きっと町人たちも喜んでくれるに違いないさ」

 話している間にも包囲はじわじわと狭まっており、ヒートは追い詰められていく。クロードはいつ出るべきかタイミングを窺っていたが、出て行ったところで荒くれ者どもを相手にどうにかできるとも思えなかった。

「おいおい、抵抗するようなら後ろの竜にも手を出しちまうぞ。繋がれた竜であれば、俺たちでもどうにでも出来る。大切な竜を二度と飛べないようにされたくはないだろ」

 クロードは危うく感情のままに、彼らに殴りかかるところであった。しかし息を吐いてその拳をもう片方の手で包み込む。

「分かった、大人しく降参しよう。大して持っていないが有り金も服も全部くれてやる。望むなら裸踊りでも何でもしてやるさ。だが、こいつらにだけは手を出さないでくれ。おまえたちの言うように大切なんだ」

 するとヒートは両手をあげた。

「ふっ。そこまで言うとは、ちっとは根性あるじゃねえか」

「それしか選択肢がねえんだから、根性でも何でもねえだろ」

「そうだな。だが、賢い判断ではあった。さすが毎日暗い地べたを這いずる俺たちの上を悠々と飛び回る竜使い様なだけはある。よし、良いか。そこを動くんじゃねえぞ。ちょっとでも変な行動をすれば、そんときはどうなるか分かっているだろうな」

 荒くれ者のうち二人ほど、彼に近づいていく。一人は縄を持ち、両腕を前に降ろすヒートの手首に巻き付けようとする。しかしそこでヒートはその両腕を振って縄をどかし、そのまま男の方に踏み込むと長い腕を上から頭めがけてハンマーのように振り落とした。男はもろにそれを受けて悶絶するが、それと同時に横にいた別の男がヒートの横っ腹を蹴り飛ばす。ヒートは顔を歪ませたがそれでも倒れず、すぐに殴り返そうとする。

「この野郎、もう容赦しねえからな」

 また別の男が今度はその手にナイフを持って近づくが、ヒートは最初に蹴られた男の蹴りを避けながら、ナイフを握る男の腕を掴むと、「今だ、クロード。俺の後ろから行け」と叫んだ。

 ヒートとはその直前に目が合っていたので、クロードにも意図していたことは分かった。彼が荒くれ者たちを相手している間に、クロードに竜を解放させるつもりだったのだ。クロードは出て行くと、ヒートの後ろを抜けようとする。しかしそこで悶絶していた荒くれ者の最後の一人がクロードの前に立ち塞がる。

「そうはいかねえぜ、坊ちゃん」

 男は頭を押さえながらも、ところどころ錆びの付いた短剣を手にしていた。それが血の付着したことによる錆びであることはクロードにも分かった。

「宿屋の店主から二人に増えたことも聞いていたからな。急に言われたから人は割けなかったが、こんな青い若造なら俺一人でも十分だろう」

 クロードは思わず立ち往生してしまうが、ヒートはナイフを握る男ごと振り回してその短剣を持つ男にぶつけようとする。

「面倒な野郎だな。だが、それなら先にてめえを始末するまでだ」

 そう言って、彼はその短剣の切っ先をヒートの方に向けて鋭く突く。ヒートはどうにかそれを避けるが、そこで蹴ってきた方の男に腕を押さえつけられてしまう。

「死ね」

 彼は短剣でヒートを突き刺そうとするが、そこでヒートはもう片方の腕を振り回し、自らその短剣の刃を掴んだ。さすがにその行動は予測できなかったのか、彼は戸惑いを見せる。

「行け、クロード」

 彼の奮闘を無駄にするわけにはいかなかった。しかしクロードにはヒートの心中が分からなかった。距離的に考えれば危険な役割を担ったのは合理的な判断であったが、このままでは仮にクロードが竜たちを解放できたとしても、その間に彼が大怪我を負いかねない。そしてそれは、クロードの考えていることには沿わない。ヒートにとってはこのまま縛りつけられて竜征杯を離脱することになれば元も子もないからこそ捨て身の作戦に出ているのかもしれないが、それよりも先に自分を身代わりにしようと試みるべきだったのではないか。それとも自分の考えやあの中年の竜使いが言っていることが間違っていたのだろうか。

 そもそもヒートとは一時的に協定を組んでいるだけの関係であり、彼がそのように仕向けているのであるのなら、仮に結果として彼が犠牲になったとしてもそれは彼の責任であって、クロードにとっては競合する相手の戦力が削がれることになるのだから、迷わず厩舎に向かえば良いだけだった。しかしそれでもクロードはそうはせず、むしろ短剣を持つ男に向かって突っ込んでいく。

「なっ」

 それに最も驚いていたのはヒートであったが、男がクロードに気を取られたので、その隙を突いて短剣を振り落とす。クロードはとにかく無我夢中で掴みかかる。

「なんだ、てめえ。離せ」

 クロードは簡単にあしらわれそうになるが、どうにか腕にしがみついて妨害する。その間にヒートは自分の腕を掴んでいた男の顔面を裏拳で殴り倒して脱出することに成功する。しかしそこで彼は動きを止めた。

「それ以上、一歩でも動いてみな。お前のことをめった刺しにしてやんぜ」

 もう一人の男がヒートの首元にナイフを突きつけていた。

「でかしたぞ」

 短剣の男がそう言うと、腕にしがみついていたクロードを引き剥がして蹴り飛ばす。その蹴りによってあばら骨の上から肺が圧迫され、クロードは一瞬呼吸が出来なくなったほどであった。

「雑魚がはしゃぎやがって。てめえらはもう許さねえからな」

 地面に転がるクロードは何度も蹴り上げられ、その度に各部に激痛が走る。さらに彼は落ちていた短剣を拾い上げると、それをクロードに向ける。

「俺に歯向かったらどうなるか、知らしめてやる。なあにすぐに死なせやしねえさ、たっぷり苦痛を味わわせて、仲間にも悲鳴をじっくり聞かせてやるよ」

 そう言って、彼は短剣をクロードの背中に突き刺そうとする。クロードは身体中が痛み、ろくに動くこともままならなかった。しかしクロードは信じていた。先ほど厩舎を覗いたときに、その縄が緩んでいたのを見たのだ。

 そこで耳鳴りのするような咆哮が響き渡り、さらに厩舎の中がパッと明るくなったかと思うと、一気に厩舎が燃え上がった。

「なにが起きている」

 荒くれ者たちもヒートも一斉に厩舎の方を見るが、すると厩舎の天井を突き破って出てきた黒竜が空に向かって吼えた。その間にもクロードは地べたを這いずって離れようとする。

「てめえ、逃がすかよ」

 ボスはその動きにいち早く気付くが、そこで「火事だぞ!」といつのまにか起きていたドゴールが叫びながら、酒瓶と部屋に備え付けてあった呼び鈴を打ち鳴らす。すると近くの建物や家の窓から寝ぼけ眼の人々が顔を出し、厩舎から火があがっていることに気付くと一斉に騒ぎ始めた。

「ちっ、人目に付くのはまずい。引き上げるぞ」

 厩舎に彼らが目を向けている間に、ヒートが自分にナイフを向けていた男をなぎ倒していたが、彼らは仲間のことなど構わずに逃げ出した。

「ヒート、大丈夫?」

 クロードはのっそりと起き上がりながら尋ねる。

「ああ、俺は平気さ」

「手は」

「ちょっと切った程度だ。おまえのおかげですぐに手放せたからな。それより、なんであんなことをしたんだよ。さっさと厩舎に行けば良かったじゃねえか。いや、そんなことを言う前にまずはここから離れないといけないな。やってきた衛兵に参考人としてあれこれ聞かれて時間を取られるわけにはいかない」

「そうだね」

 ヒートは燃え盛る厩舎の中に入っていき、自分の竜に乗って出てくる。

「すまねえ、クロード。俺が間抜けだったばかりに罠だとも気付けなくて」

 ドゴールは涙目で謝っている。

「とにかくここから離れよう。アルコル、こっちに来てくれよ」

 アルコルは興奮した様子で飛び回っており、クロードの声にも反応を示さなかったが、近くまで降りてきたときに手綱を掴んで引っ張ることでどうにか地面に留まらせ、素早く背中に乗るとドゴールにも手を差し伸べる。

「いや、俺はここに残って時間を稼ぐ。火事の原因については適当に誤魔化しておけばいいんだろ。あいにくここにおまえたちがやってきたのは深夜だったから、近所の人間には見られていないし、どこかにいるはずの宿屋の店主が誰に繋がっているのかは分からないが、俺の名前しか知られてはいないはずだ。少なくともおまえたちがこの町を出るまでは食い止めておくぜ。それがせめてもの俺の詫びだ」

「ドゴールが悪いわけじゃない。でも、そう言ってくれるならお願いするよ」

「クロードの方こそ頑張れよ。何より、おまえ自身のためにな」

 挨拶はそれだけであり、クロードはアルコルに乗り直すと、ヒートの後に続いてなるべく人気のない町外れにある森の方に飛んでいくのだった。

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