第41話 中年竜使いの話
そうして再び集団はひと固まりになって動き始めたが、先ほどのような提案があっても仲間を前に出したがるような家はほとんど無く、クロードも含めて相変わらず後ろからついていくだけの竜使いたちが大多数であり、結局はベース家が責任を取る形で集団をコントロールする中心的な存在として回していくことになった。それでもこの集団にいる竜の数は飛び去って行った王家の隊列よりも上回っており、まだ追いつける可能性があるように思えた。
ヒートはそれこそクロードの分まで、積極的に前に出ては引っ張り続けていた。その姿にクロードはひどく困惑していた。自分のためと言ってしまうのは傲慢かもしれないが、実際そうなっており、そのことが解せなかった。
「仲間の行動の意図が分からないといった顔だね」
いつのまにかクロードの横には、先ほど場を落ち着かせた中年の男がいた。突然現れたように見えたのはアルコルも同じようで、驚いたようにそちらを向くとうなって威嚇する。
「おい、やめろ」
「ずいぶんと元気が良いね。もう丸一日飛び続けていて、皆疲れているのに」
今やアルコルがうなっても、クロードたちが注目されることもなくなっていた。
「すみません、前を引いてくださっているのに」
「謝ることなんか何もないさ。勝つために他人を上手く利用することは、当たり前のことじゃないか。たとえ王子であろうとも、自分だけの力で勝てるわけではない。本人が一番上手く飛べる必要もない。竜征杯が始まる前とレース中の立ち回りで勝敗は決する」
「このまま行って、前まで追いつけると思いますか」
彼にそう訊いたのは、彼がこれまで三度も参加していると言っていたからであり、まさに先ほど言っていた経験則に基づいた意見が聞きたかった。
「微妙なところかな。あまり期待はしない方が良いかもしれない」
「そうですか」
「でも可能性はあると思うよ。いつもは本気で上を目指そうとしている竜使いが少ないこともあって、一時的な協力関係はグダグダになってしまうのだけど、今回はちょっと違うみたいだ」
「ベース家ですね」
「彼らは王家の懐刀とまで言われていたからね。本来ならこのレースで王家に仕える竜使いたちを指揮するのはロリアンだったはずだ。そんな彼らが離れたわけだから、王家の戦力は落ちているし、この集団の推進力はその分上がっている。ダントン家が協力してくれているのも大きい。彼らは人数で言えばこの集団で最も多い勢力だ。彼らは慎重派であり、毎回安定志向でゴールに辿り着くことを第一に考えている。ゴール出来るだけでも間違いなく上位入着が約束されるからね。そうして彼らは地位を保ってきたのだけど、そんな彼らが今は犠牲を払って前に追いつこうとしている。私も言ったように、こういった状況になればほとんどの場合は途中棄権になってしまうから、それは彼ら自身のためでもあるんだけどね」
「なるほど。やはり大きな力があるというのは大事なのですね」
「そうだね。でもその大きな力を動かしたのは、小さな力だった。そう、君の友人のことさ。第三者である彼が言い出しっぺとなり、今も自ら前を飛ぶことで、上に上がるという意思を見せ、周囲を鼓舞している。彼は全て分かってやっているのだろう。若いのに大したものだ」
「でも、あの場をまとめてくれたのはあなたです。あなたがいなければヒートの進言も、戯言と済まされていたでしょう」
「そう言われると嬉しいが、彼が言い出さなければ私は何も言わなかった。似た状況で毎回脱落していったのにも関わらずね」
「三度も出場されているんですよね」
「そうだ。前回で最後にしようと思っていたのに、不完全燃焼で終わってしまい、未練がましくまた出場したんだ。妻や息子たち、さらには親戚中からも呆れられていて、応援に駆けつけてくれたことなど一度もないけど、当然のことだと思う。でも、どうしてもゴールまで辿り着いてみたいのさ。せっかく竜使いの家に生まれついたのだ。国を挙げて行われる竜征杯に自分の名を刻みたいじゃないか」
それは以前のクロードとほとんど同じような考えであり、彼のような歳になってもまだその目を輝かせながら話せていることに素直に驚かされる。
「すごいですね」
「お世辞でもすごいなんて言われたことは、初めてかもしれないな。普通に考えて、いい年をして不相応な夢を語るおじさんにかける言葉ではないだろう」
「そうかもしれませんが、身の丈にあっていないと思われるような夢を抱き続けることは、誰にでも出来ることではないと思います。あらゆることが叶うわけではない現実を日々知らしめられ、周りを見ては妥協することを覚え、しかしそれは怠慢などではなく、精一杯に生きていく中で折り合いをつけるわけですから」
「それは君自身のことを言っているのかな」
クロードははっとして顔をあげる。男は柔和な笑みを浮かべていた。
「私だって、もちろん君の言うところの現実に相も変わらず直面し続けているけど、でもそれをどう判断するのかは私次第だ。私は私がやめようと思うまではどうにかして抗うよ」
「強いですね」
彼の竜も、彼と同じように歳をとっていて、また身体も決して大きい方とはいえず、活気と呼べるものはほとんどない。そばに来てもクロードたちが気付かなかったほどだ。その竜は今もしんなりと飛び続けており、その姿は乗り手とよく似ていた。
「強さにも部類があると私は思っている。一つは他人を蹴散らすような圧倒的な力のこと。これは誰にでも分かるだろう。そしてもう一つは、どんなことがあっても折れない力、これはつまり執念やら決意やらであり、人によってはもっと気の緩いものでなんとなくやめられないでいるという状態も当てはまると思う。止めようと思っても結局は戻ってきてしまうといったようなね。でも、それこそ前人未到の偉業といわれるようなことを成し遂げるには、その両方が必須なのだと思う。ただ強いだけではいずれ折れてしまうし、決して折れない固い意志を持っていたとしても、それだけでは大きな事は成し遂げられない。正しい手順で適切な力を身に付けなくてはいけない。でも恥ずかしいことに私がそれに気付いたのは、ごく最近のことさ。昔はそれこそ優勝してやろうという意気込みだったんだ」
ひょっとしたら彼は自分の未来の姿なのかもしれないと、クロードは思わされる。それを告げるために、今こうして話してきているのではないかとさえ思えた。
「現実は非情だ。いや、非情といってもそこに必ずしも冷たさを有しているわけではなく、そう位置付けているのは僕自身なのだろう。だから僕も折り合いをつけるために、今回こそ本当に最後の竜征杯にするつもりさ。そしてそのためにゴールをするという目標を是が非でも達成しなくてはならず、同時にそのチャンスを得るためにもここで終わるわけにはいかなかった。それでもあの場で言い出す勇気が無かったところを見るに、僕の覚悟は所詮その程度だったのだとようやく冷静に見極められた。独りよがりにならないでなりふり構わずに交渉し、一時的な利害関係の一致でしかなかったとしても仲間を作って挑むべきだった。君には僕のことがどう見えているのか分からないけど、失敗ばかりを積んできただけの平凡以下の竜使いなのさ」
彼の言いたいことはクロードにはよく分かった。いや、クロードだからこそよく分かったと言えるかもしれない。それだけ彼の話は、自分に当てはまるものがあると感じていた。
「いや、すまないね。こんな話に付き合わせて。年を重ねるにつれて、自分の話が長くなっているのを感じるよ」
「いえ、勉強になります」
「でも、僕は自分の話をするためにわざわざ話しかけに来たわけじゃない。君に忠告しようと思ってね」
「忠告?」
「ああ、君の仲間のことさ。先ほども話した彼のことだよ」
「ヒートがどうかしましたか。もしかして体力が持ちそうにないとかそういうことでしょうか」
「まあ、彼の飛びっぷりはゴールに辿り着こうとしている人間のものではないね。でも交代はしているし、まだしばらくは飛んでいられるだろう。彼は体力を残さなくてはならないからね」
「それは別にヒートに限った話ではないのでは」
「それはそうなんだけどね」
彼は明らかに含みを持たせた言い方をする。
「これまではともかく、これからは彼のことをあまり頼らない方が良いと思うよ」
「はい。それは分かっています。彼にはすでに相当な負担がかかっているので」
「違う。そういう意味じゃないんだ」
男は首を振る。
「それでは、どういう意味ですか」
クロードが尋ねる。すると彼は一呼吸置いてから口を開いた。
「僕はね、彼が近いうちに君を裏切ることになるから頼るべきではないと言いたいのさ」
「裏切るってどういうことですか」
当然クロードは訊ねる。
「彼はすでにその兆候を見せている。あくまでも僕の経験則だけど、彼はほぼ間違いなく君と袂を分かつことになるよ」
「そう言われても、にわかには信じがたいのですが。いえ、もちろん全面的に信頼し合っている関係とまで言えないのは事実ですが」
口ではそう言うが、クロードには彼がこのレース中ずっと良くしてくれており、今も自分に引かせずに楽をさせてくれていることからも、彼に心を許しつつあった。
「実は君たちのことはずっと見させてもらっていた。もちろん、きっかけは君の連れている竜さ。三度も竜征杯に出ている僕でも、それほどまでに荒々しい竜は見たことがなかったからね。しかも引き連れているのはまだ少年の面影が濃い若者だ。どこからそんな竜を手に入れたのか、今も気になっているよ。昔の噂では、南の方の渓谷にはまだ野生の竜がいて、それらは長い間人間によって手懐けられてきた竜とはまるで違った体つきをしていて性格も凶暴だそうだが、それを君のような有名な家の出身でもないであろう人間が飼っているというのはさすがに妄想が過ぎる。しかし君の身体に付いている無数の傷跡が、まるでそいつを捕えてきて身体を張って手懐けているように思わせるのさ」
彼はじっとアルコルのことを見る。アルコルは相変わらず不機嫌そうに彼と彼の竜を睨んでいる。彼の竜は警戒こそしているが、奇妙な仲間を見て珍しがっている様子にも見えた。
「レースの序盤では、気性が荒くて力のある竜を手懐けているようでも、実際は振り回されているだけという若い竜使いにありがちな粋がりに見えて、そのうち離脱していくだろうと思っていた。だが、君たちには、そう、ここで君たちと主語にしたが、驚かされた。シーシアの洞窟に入るところで、僕もなるべく列の前に行こうとしていたのだけど、少し前に君たちがいた。名だたる竜使いの家のすぐ後ろにつけているだけでも驚きではあったが、背の高い彼の方は竜征杯での立ち振る舞いをしっかりと理解しているようだったから、納得はした。しかし君たちはあろうことか双方が争っている隙をついて突っ込み、彼らの前に出た。たった二人で二つの家を相手にするなんて普通じゃないし、見たことが無かった。しかし君たちの連携は本当に見事で、特に蹴散らすように突っ込んでいった君とその竜には数の差を覆してしまえる強さがある。そしてそれこそ僕が欲していたものであり、それを支えたのは彼の冷静さと立ち回りだ。君たちは良いコンビと言えるだろう。人数は少なくとも、そういった相乗効果を生む関係はやはり強く、こういう過酷なレースでも生き残ってくる」
男は自分たちのことを手放しに褒めてくれるが、それだけに何故裏切るなどと言いだしたのか、クロードには分からなかった。
「ただ、君たちには決定的に欠けているものがあり、それ故に崩壊する。疑ってもらっても構わないが、これは決して君を揺さぶり、二人の関係をぐらつかせるために言っているわけではない。ハッキリ言おう、君たちの関係が破綻に終わるのは目的の違いによるものだ」
クロードは彼が言ったように、自分を揺さぶるために適当なことを言っているのではないかと疑っていた。しかしそれは核心をついていることが、クロードがこれまで彼に対して感じていたものと状況にしっくり当てはまっていた。
「その顔は思い当たるふしがあるといったものだね。安心したよ。君がこれで食い下がってくるようであれば、僕も言わなければ良かったと思っただろうからね。そう、これはただ君に対して慈善で言ってあげたわけではないということだよ。でも、こういったお互いに信用するのが難しい状況では、そっちの方が分かりやすくて良いだろう」
「あなたは何を求めているのですか」
クロードは訊く。
「至極単純な話だ。この竜征杯の後半戦、僕と協力してくれないだろうか」
クロードは彼の顔を見るが、真面目な様子であった。
「正直なことを言うと、全く予想もしていない返答でした」
「そうかな。客観的に見ても、君は利用するには、なかなか良い人材だと思うよ。誰も見たことのないような荒々しい竜に乗り、若くて無名なことも相まって得体が知れず、それでいてまだ言動に幼さがある。声も掛けにくいが、それは今さっき越えてきた」
「随分な言い様ですね」
クロードは清々しささえ感じるほどであった。
「ここまで言えば分かるだろう。僕が背の高い彼に追従したのも全ては君に話しかけるためさ。周りがまだ分かっていないことを、私だけがハッキリと分かっていて、その考えを理解できたからこそ出来たことなのだよ。それが何かと言えば、君もまたロリアンと同じようにこの竜征杯で優勝することを狙っている一人ということさ。だから初めに言ったのだよ、この集団には上を目指す者たちがいると」
彼はクロードの顔を見て、そう言った。
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