第38話 落盤事故

 洞窟内は当然のことながら陽の光が入ってこないので暗かったが、洞窟の両側に等間隔に松明が置かれており、目が慣れると周りも見えるようになった。またヒートの言うように、洞窟は至る所で分岐していたが、照明によって分かりやすく行き先が示されており、迷うようなことはなかった。飛行速度は、その暗さと狭さから空を飛んでいた時と比べたら半分ほどまで落ちていたが、洞窟を抜けるのにはそれほど時間はかからないはずである。

 しばらく経って、そろそろ出口が見えるはずだとヒートに聞かされるが、その時遠くから何やら地鳴りが聞こえてくると、洞窟全体が揺れて天井の石ころが幾つも落ちてきた。

 クロードたちは顔を見合わせながらも、そのまま進んでいったが、やがて前にいる竜使いたちが、出口が近づいているのにもかかわらず速度を落とすので、クロードたちもそれに合わせるしかなく、しまいには完全に止まってしまった。

 彼らが止まった理由はすぐに分かった。集団の先頭にいた王家までも止まって地面に降り立っており、彼らのすぐ目の前が土砂と岩で塞がっていた。さらにやかましく喋る声が反響して聞こえてくる。

「俺たち、見たんですよ。アギルド家の方々が丁度洞窟から出たところで、洞窟が急に揺れて上から土砂が降って来たんです。おそらくあれは彼らの協力者が引き起こしたものです」

「間違いないです。アギルド家はかなり早く出たにもかかわらず、この町に着いてからやけに速度を落としていました。王家の方々を狙ってやったことなのでしょう。飛べなくなるほどの怪我を負わせられなくとも、道を塞ぐことで足止めが出来れば有利な状況を作り出せます。なんという卑劣なやり口、卑怯な盤外戦術。彼らは相応の罰を受けなくてはなりません」

「それでアギルド家は夜も明けぬうちに我々を先んじて出たということか」

 クロードにも見覚えのある王子の護衛の一人が言う。

「そうです。ここは王家の方々による正義の鉄槌を下すときです」

「彼らがやった証拠はあるのか」

「いえ、それはありませんが」

「ですが、間違いありません。何せ、完璧なタイミングでしたから」

「証拠がなければ検挙することは出来ないな。我々に今出来ることは別の道を探すことだ。ここに来るまでに無数の分かれ道があり、出口も一つではない。行くぞ、おまえたち」

 護衛の号令によって、王家に仕える竜使いたちは速やかに竜に乗り直す。

「ま、待ってください。こんな横暴を許して良いんですか。一度審判団と掛け合って、竜征杯を中断するべきです。これではレースになりませんよ。落石によって負傷した方もいますし、我々の竜も怪我を負ってしまいました。ここは皆で立ち上がりましょう。王家の方々とここにいる皆の力があれば、彼らの協力者も証拠も見つけ出し、悪事を暴き出せるはずです。彼らがこの国の竜使いたちの品位を落としているのは、昨朝のやり取りからも明らかです。人を脅して黙り込ませるような竜使いはこの国には必要ありません」

「竜征杯が中断されることなど、まずあり得ない話だ。ましてや我々は飛べなくなったわけではなく、不運な事故で足止めを食らっただけだ。必ず追いつき、追い抜く」

「いえ、ですから何度も言っているようにこれは不運な事故などではなく、アギルド家の卑劣な策略です。それが分からないあなたたちではないでしょう」

「おまえたちは先ほどからアギルド家のことを卑劣だなんだと言っているが、おまえたちのその大量の荷物の中に、他人の寝首を搔いて奪い取ったものがいくつもあるではないか。それとどう違うというのだ」

「人聞きが悪いですよ、旦那。そんなことはしておりません。もしもあったとしたら偶然紛れ込んでしまっただけでしょうし、そもそも私たちがどうにかした証拠が一体どこに……」

 そこまで言って彼らは黙りこんだ。もはや誰もそのことを指摘する必要すらないだろう。

「こんなこともあろうかと洞窟内の地図は持ってきてある。不明確な部分もあるが、しらみつぶしに辿っていけば外に出られるはずだ。いくつかの小隊を編成して斥候に出す。出口で待ち構えている可能性もあるから、見つけても外に出るときは慎重に窺うように」

 すでに竜に乗り直していた竜使いたちは、彼の指示に従って幾つかの捜索隊として派遣された。他の竜使いたちも王家の捜索隊が道を見つけ出すまで待つことを選び、腰を下ろして休息をとっていた。

 クロードも同様に待機するつもりであった。王家が捜索隊を出してくれているのに、わざわざ自分たちで出口を探しに行けば、余計な体力の消耗に繋がり、最悪の場合は迷って戻れなくなる。他人を利用するようで心情的には多少の抵抗があったが、それよりもクロードは怪我をした竜や竜使いの状況が気になった。

「ちょっとここで待っていてくれないかな」

「それは良いが、俺がそいつの面倒を見られるとは思えないぜ」

 洞窟の入り口でぶつかり合ったときから時間が経っているにもかかわらず、まだアルコルの血は騒いでいるようで、地面を蹴り飛ばしている。さっきまでは不満そうに翼を壁にぶつけており、さすがに落盤事故があったばかりであるのに壁に余計な衝撃を加えさせるのはまずいと思って止めさせたが、今も周囲からは訝しげに見られている。

「とりあえず食べ物でも与えて気を紛らわせておくしかないかな」

 クロードは荷物の中から、ピーナッツと乾パンを取り出し、それを布の上に広げてから顔を近づけさせ、食べるように促す。するとアルコルはガツガツと食べ始めた。それもすぐに食べ終えてしまうだろうが、その少しの時間を使って、クロードは集団の最前線、つまり事故現場へ向かう。

 まもなく辿り着くとそこには何人か倒れこんでおり、それぞれ無事だった仲間が治療をしていた。むしろそんな場所に来たクロードが、彼らに対して余計な警戒をさせていることに気付き、申し訳ない気持ちになる。しかしクロードの予想した通り、仲間がおらず治療を受けられていない人も見つけた。

「あの、大丈夫ですか?」

 その中でも顔が青ざめていて具合が悪そうな男に、クロードは話しかけた。彼はびくりと身体を震わせた。

「何も奪えるものはないぞ。荷物はほとんど岩の下だ。だから、どうか放っておいてくれ」

 彼は呻くように、言葉を絞り出していた。

「いえ、そういうことではありません。簡易ながら救急箱を持ってきました。せめてその足から流れている血は止めた方が良いと思いますよ」

 そう言ってクロードはその場に腰を下ろして、手荷物を広げる。

「施しなどいらん。このぐらいどうにでもなる」

「そういうわけにはいかないでしょう」

 クロードは酒で布切れを湿らせるとパックリと割れている傷口の泥を拭き取ろうとした。

「やめろと言っているんだ」

 竜使いは完全に怒っており、その声で周りの注目を浴びるが、クロードは「やめませんよ」と頑なに答える。

「恩を売るつもりだか知らんが、何もやらんぞ」

「勘違いしているようなので言っておきますが、これはあなたのためだけではありません。あなたが竜征杯を辞退するかどうかはともかくとして、ひとまずこの危険な洞窟から出なくてはなりません。王家の方々が道を探してくださっていますが、いざ見つけられた際に、あなたも竜に乗らなくてはならないのですよ。次にまたここで落盤事故が発生すれば、あなたの竜も巻き沿いになってしまいます。すぐそこであなたの指示に忠実に従って待っている竜を死なせるつもりですか」

 彼はそばでじっとしていた竜のことを見る。その竜も尻尾と肩の辺りが青くなっていた。彼はそう言われてもまだ悩んでいた様子だったが、そこで背後から「なるほど、その意見は一理あるかもね」という言葉が飛んできた。

「ディベリアス王子」

 倒れていた男が驚いた様子で目を見開くのでクロードも思わずそちらを見ると、そこには悠然と歩いてくる王子の姿があった。

「事故に巻き込まれたのは竜使いの責任とはいえ、その後の二次災害で竜までも犠牲になるのは確かによろしくない」

「王子、勝手に一人で出歩かないでください」

「僕は箱入り娘でも何でもないんだけどな。まあ、いいや。とりあえず、怪我をしていて仲間がいない竜使いたちには治療を施すよう命じておけ」

「お言葉ですが、それは不要なことです。竜征杯に参加している以上、その身に降りかかることは全て自身の責任です。それに彼らも竜使いなら、我々と同様に誇りだってあるでしょう」

「誇りなんてどうでもいいよ。僕は竜征杯の後のことまで考えて言っているんだ。竜使いや竜を失うことはこの国の戦力が減ることと同義だ。ついでにいえば、助けてやった方が国民の心象も良いだろ。それともまさか彼らに少しばかり治療を施した程度で、僕の勝利が揺らぐなんて言わないよね」

 彼はあくまでも飄々としていたが、有無を言わせない雰囲気であった。しかしそれでも護衛は言い返す。

「もちろん私とて、あなたが勝つことは微塵も疑っていませんが、甘さを見せることが良いこととは思えません。仮に人道的に正しいとしても、敵に塩を送るような行為は、隙を見せることと同義であり、最終的に破滅への道に繋がりかねません。それにどういった状況であれ、勝つために手を緩めれば、味方の士気に関わらないとも限りません。私を含めて皆、全てをあなたに尽くすつもりでいるわけですから、相応の振舞いを見せるべきです」

「面倒くさいなあ」

「王子」

 護衛は彼をいさめるように言った。王子は口を尖らせるが、それでも護衛の厳格な態度は変わらず、やがて深いため息をついた。

「分かったって。だったら竜征杯を辞退する人に限り、治療を施すことにしよう。これならレースに直接は関わらないし、文句も出ないでしょ」

「まあ、良いでしょう」

 護衛はしぶしぶであったが承諾すると、専用の救護班にまた指示を出してから、彼らに怪我人たちに治療を受けるか否か聞きに行かせた。クロードはそのやり取りの間にも、むしろ竜使いが王子たちに気を取られている隙に、勝手に手当てを済ませてしまう。終えたことに気付いた竜使いはそれでも「名前は聞かないし、礼も言わんぞ」と言うので、クロードも「別に良いですよ」と答えて立ち上がると、元居た場所に引き返そうとする。

「ちょっと、キミ」

 しかしそこであろうことか王子に声を掛けられた。

「戻らなくてよろしいのですか」

「うん、大丈夫だよ」

「大丈夫なことはありません」

 先ほどとはまた別の護衛が口を挟んで言う。

「なんとなく見覚えがあるんだけど、どこかで会ったかな」

「なんですか。その、女の子を口説くときのような声のかけ方は」

 護衛は呆れている。

「違うって。本当に思ったんだよ」

 クロードはもちろん宝石店でのことは覚えていたが、それでも「いえ、お言葉ですが勘違いか何かだと思いますよ」とだけ言うと、頭を下げてさっさとその場を立ち去った。

「あら、行っちゃった」

「いくら竜使いとはいえ、王子に話しかけられたら驚いてしまいますよ」

「彼はそういう性格ではなさそうだったけどなあ」

 王子は首をかしげていた。

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