第36話 飛び続ける条件
初日はほとんど大きな動きもなく終えた。午後を過ぎた辺りから、固まっていた集団は少しずつ縦長になっていったが、見えなくなるほどまで離れるようなことはなかった。最初に飛び出していった竜使いたちの一部には早々に追いつき、追いつかれた彼らは大人しく集団の後ろにつき直すのだった。
それから日が沈む頃になって、大きな川のほとりに着くと、それぞれ地面に降り立ち、少しずつ周りと距離を置いて、竜征杯が始まるまでと同様に自分たちの陣営を築いていく。
「俺たちも降りよう」
「降りない人たちもいるね」
そのまま飛び続ける者たちも少ないながらおり、二分するような形になっていた。
「少しでも距離を稼ぐつもりなんだろ。体力が持つかどうかはともかく、前に行った竜使いの姿が見えなくなるのは心理的にも圧力になるから、後続が焦って息を乱す可能性もある。俺ならしないけどな」
「さっき話していたように、集団の恩恵にあずかれないから?」
「それもあるが、これは今から俺たちが降りる場所を探すことにも関係している。水の確保のためにも川の近くが良いのは言うまでもないが、なるべく名家の近くに居るべきだと思っている。火が焚いてあるし、人も多くいるから、いざこざに巻き込まれにくいだろ」
「どういうこと?」
「夜の闇において、誰も何もせず、皆揃って大人しく寝ると思うか? 確かにここに来るような人間のほとんどは身分の高い者たちで、少なくとも初日から物資に困っている貧乏人はいない。だが、特に少人数で参加しているような輩の中には、胡散臭い奴らも一定数いる。奴らにとって、竜征杯というのは格好の狩り場なんだ」
「でも王家や名家は当然警戒しているだろ。しかも不審な行動がバレたら袋叩きにされかねないと思うけど。ああ、そうか」
そこでクロードはようやく気付く。
「そう。奴らが狙うのは、同じように単独や少人数編成で参加している竜使いたちだ。その辺の貧乏な盗賊とは違って竜を操るから、いざというときに逃げたり戦ったりも出来る。規定として竜征杯では過度な敵対行為は禁止されているが、逆に言えば多少の傷は見逃されるし、あとで訴えても事故で済まされることが大半だ。そもそも一端の竜使いであるなら自衛ぐらいしろという話になる。だから俺たちがそういうのに巻き込まれないようにするためには、明るくて人がいる場所が良いのさ。もちろん近くでやり合うようなことになったとしても、彼らが止めに来てくれるなどとは夢にも思わないが、目と鼻の先で何かしようとすれば目を付けられるかもしれないわけで、そういう事は出来るだけ避けたがるはずだろ」
「なるほどね。そういうことなら、了解だよ」
二人はあえてアシュフォード家の陣営から近すぎず遠すぎない位置として、彼らがいる川岸から少し離れた場所に降り立って休むことにした。対岸にはアギルド家が陣取っており、皆そこからは距離を取っていた。レースが始まる前に暴れていたとヒートから聞いていたが、始まってからは特にいざこざも起こさずに大人しくしているようで、むしろ今いざこざを起こしそうなのはクロードの方であった。
クロードが手綱を緩めると、アルコルはおもむろに川に飛び込んでいき、バシャバシャと周りを全く気にせず水しぶきをあげる。クロードとしてはもちろん悪目立ちはしたくなかったが、今朝の不機嫌さからすれば、今日一日静かに飛んでくれたことに驚きすら覚えていたので、ある程度は自由にさせてやろうと思っていた。
「やっぱり異様だな。あんな竜、今まで見たことがなかったぜ。特徴もさることながら、なんていうか、普通の竜とはまるで気質が違う感じだ。飼い慣らされることを拒んでいるというか」
ヒートの言うことはかなり的を射ているとクロードは思った。クロードはアルコルに乗るほどに、竜使いとはなんだろうかと考えさせられる。自分とアルコルの関係は、仕事で乗っている竜たちとの間にある主従関係とは違うし、かといってオーヴィーと築いてきた友愛に基づくものともまた異なり、それを形容する言葉が思いつかなかった。
クロードはアルコルが望んでいるとも思えない中で竜征杯に参加させていることから、それはクロードが飼い慣らし切れていないだけの主従関係とも捉えられるが、本気で嫌がっているのであれば、もっと強引に暴れるなどして露骨にそれを知らせるはずでもある。クロードは祖父の発言の意図が分からないようにまた、アルコルの考えていることも分からなかった。
「だが、こういう姿を見せることで、他の連中も迂闊には近づかないだろうから、少なくとも今日のうちは余計なちょっかいは入らないかもな。とはいえ警戒を怠るつもりはないし、常に片方が起きて見張っているようにしよう」
「それなら先に休んでくれよ。僕はしばらくこいつがどこかに行かないか見ていないといけなさそうだから」
「ははっ、そんなことを言う奴は初めて見たぜ」
ヒートは荷物の中からその手よりも大きい黄色の固形物を取り出すと、自分の竜に与えた。それは麦や大豆などをすり潰して固めて乾燥させた保存の利く食べ物であり、人間も竜も食べられて腹持ちも良く、持ち運びやすいので竜使いご用達の店ではよく売られていた。クロードも似たようなものをヘラに作ってもらっていたのだが、アルコルは自ら川の魚をそのかぎ爪で刺すように獲って、それを食している。周りの竜使いたちも自分たちのことで忙しくしているとはいえ、さすがにその様子には戸惑いをみせていたが、規定では食料の現地調達は許されており、誰にも口出しは出来ない。
そういった意味ではヒートもそうだが、ヒートが乗っていた竜もアルコルにそれほど怯えることなく隣を飛んでおり、ずっと落ち着いた様子であることに感心させられる。そんなクロードの視線にヒートも気付く。
「こいつは俺の家の竜の中では一番肝が据わっていてな、身体は平均より少し小さいが体力もあるし、どんなときも一定の速さで飛んでいられる優秀なやつなんだ。大抵のことでは動じないから俺も冷静でいられるし、頼りにしている」
その身体を軽く叩きながらヒートは言った。
「他の竜使いと野営するなんて初めてのことだからか、こうしているとちょっとした旅行にでも来た気分になってしまうよ。でもヒートが寝ている間は僕が見張り番なわけだし、もっと気を引き締めないといけないね」
「そうだな。それに、旅行気分でいられるのも今日のうちだけだろう。覚悟しておいた方が良いぜ。それじゃあ俺はもう寝るよ。休めるときに休んでおくべきだからな」
ヒートは、自分は何も食べずに、すぐそばに生えていた低木に寄りかかって目を閉じると、一分と経たないうちに寝息を立て始めた。アルコルが川から上がって身体を震わせてそこいらに水を飛ばしても、全く反応せずに眠っている様子を見て、その適応力の高さが窺える。それでも一応、アルコルには「おまえもその辺で休んでくれ。あんまり動いていると起こしてしまうかもしれないだろ」と声をかけておく。
翌日、まだ日も出ていないうちにクロードは起こされた。
「おい、そろそろ出発するぞ」
一瞬、ここがどこで彼が誰なのかと考えてしまったが、竜征杯の最中であることを思い出すと、一気に目が覚めた。
「王家はもう出る支度を済ませて、今にも飛び出すところだ。俺たちもあの後についていこう」
彼らはすでにほとんどの荷物をまとめ、ほぼ全員が一ヶ所に集まって話していた。周りにいた他の竜使いたちはすでに同じように周りを伺いながら待っているか、もういなかった。
「アギルド家は少し前に出ていった。さすがにあそこについていくのは勇気がいるからな」
「でも今のところは、あまり目立ったこともしていないよね」
「ああ、いつにもまして大人しい。正直なところ不気味だし、嫌な予感もしている」
まだヒートは話を続けるつもりのようであったが、そこで王家とそれに仕える竜使いたちが一斉に竜に乗って飛び出すので、クロードたちも同様に自分たちの竜に乗って飛ぶ。そして近くにいた他の竜使いたちも合わさって再び大きな集団となった。それでも昨日よりは確実に小さくなっており、それはすでに出発していた竜使いたちがいないからだとクロードは思ったが、飛び出してまもなくまた別の理由が明らかになる。
「やっぱり川のそばにいて正解だったな」
クロードはヒートの視線の先を見る。すると草原から林にかけて、それぞれ少しずつ離れた場所に身ぐるみを剥がされた人間が数人ほど倒れており、木に繋がれた竜たちは戸惑ったように鳴いている。
「まさか、誰かに襲われたのか」
「だろうな。どこの誰だかは知らねえが、荷物が散乱している辺り、ローブや金品の盗難が目的だったのかもしれない。竜使いのローブにはバッジやボタンが付いているからそれなりの値打ちがある。特に竜征杯は晴れ舞台であり、竜に乗るとはいえ、出来るだけ身なりを整えようとするから、それほど財力のある竜使いでなくても、見劣りしないものを選んで着ている」
クロードは普段そういった竜使いと接する機会が少ないため、あまり違いが分からなかったが、程よく着古して動きやすくなっている上で、服がよれたりもせずに良く形が保たれているとは感じていた。
「心当たりがあるとすれば、兄弟で参加している商人たちだな。暗闇に紛れて二人がかりで襲ったのかもしれない。さしずめ、盗んだ物はあの膨大な荷物に隠しているのだろう。奴らも近くには見当たらないし、今頃はどこかで盗品整理にいそしんでいるのかもな」
「いくら自衛が竜使いの習わしだとしても、助けは呼んだ方が良いんじゃないの」
「それに関しては問題ない。審判団のうちの何人かが、そろそろ王都を出る頃だろう。怪我や体調不良などで飛べなくなっている竜使いたちを回収するためだけではなく、遅れている竜使いたちに失格を告げるためにな。参加者全員を際限なく待つわけにはいかない。これから飛んでいく先々で俺たちをふるいにかけるような出来事が幾つも起こるだろうが、そこで遅れを取ったのちに彼らに追いつかれたとき、竜征杯は終わる。これがゴールまで辿り着ける者が少ない最大の理由さ」
「つまりここからが本番というわけだね」
「そういうことだ」
クロードは倒れている竜使いたちの上を通り過ぎながら、彼らが無事であることを祈ると同時に、自身の気持ちを入れ直すのであった。
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