第34話 彼らの作戦

 竜征杯の幕が開けても、誰も競って飛び出すようなことはしなかった。それもそのはずで、規定としてまず初めに王都の町の上空をぐるりと廻り、それが終わって今いる草原に戻ってきたところから、いよいよレースが始まるというのがしきたりであった。これはスタート時に起こり得る急な混乱を防ぐためでもあるが、単純に民衆への顔見せをして竜使いとしての威厳を示し、国を支える力強い存在であることを知らしめるためのものであった。

 さらに言えば、観衆にとっては竜や竜使いを近くで見られるまたとない機会で、眉目秀麗な王子や精悍な顔つきの側近たちが通れば、黄色い歓声もあがる。それに対して王子も自ら率先して手を振って応えていた。クロードはそんな集団のほぼ最後尾を飛んでいたが、特に訓練したわけでもないのに、竜たちがまるで一匹の生き物であるかのように飛んでいるさまを見て、出場者たちが皆高い技術力を有していることが改めて分かって感心させられた。またそれと同時に自分が彼らと同じように出来ていないことに焦りも感じていた。

「ちゃんと周りに合わせて飛んでくれ。今は前について行くだけでいいんだ」

 クロードはアルコルのことを叱責する。そもそも遅刻しそうになったのは、アルコルの機嫌が悪かったからである。クロードたちは、竜征杯が朝から始まるため、体力の温存も兼ねて王都のすぐ近くにあるラッフェルの親戚の家に泊めてもらっていたのだが、朝起きたときからアルコルは不機嫌でなかなか飛ぼうとしなかった。

 王都への道中からすでに不穏な様子でやたらと吼えており、それでもどうにかなだめて連れてきたが、おかげで王都に入ってからもかなりの低空で飛んでいたので、先ほどのように地上の人々に何度もぶつかりそうになっていた。ある程度は言うことを聞いてもらえるようになったと思っていただけに、クロードは相当不安にさせられた。そもそも他の竜と共に密集して飛んだことはなく、その中で暴れるようなことがあれば妨害行為と受け取られて失格になりかねない。そんなわけでクロードの不安は当分無くならないことが予想された。

 しかしそうやってクロードが不安がっていると、少し離れた塔の上で親に連れられてやってきたと思われる子どもたちの姿を見つける。男の子と女の子の二人で、特に男の子の方は目を輝かせて興奮した様子でこちらに指を向けながら喋っており、はっきりとは聞こえずともどんなことを言っているのかクロードには手に取るように分かった。おそらくその子は竜使いの家の生まれでもなく、だからこそ純粋にクロードの竜に驚いているのだろう。

 そこでクロードは「少しだけ降下するぞ」とアルコルに声をかける。横にいたヒートは「ん、どうかしたのか?」と言っていたが、それに構わず高度を下げると、子どもたちのいる方へ飛んでいく。クロードは塔にぶつかるすれすれまで近づかせて、思わず身体をのけぞった彼らの目の前を横切ると一気に上昇し、再び一団に戻っていった。決して余裕があったわけではないが、その男の子の姿が王都に連れてきてもらって同じように夢中で空を見ていた昔の自分と重なり、ほとんど無意識にそうしていた。そして十年以上の時を経てあのとき勇ましく見えていた竜使いたちの中で自分も飛んでいるのだと自覚し、胸が高鳴った。しかも今の指示はアルコルに完璧に聞き入れてもらえたということもあって、秋晴れの空のようにとまではいかずとも、クロードの不安な気持ちは多少晴れたのだった。



 やがて一行は王都を一周し終えて、再び元居た草原の上に差し掛かろうとしていた。それまでは近くの竜使いと雑談をしている者もいたぐらいであったが今はもう止めており、一気に緊張が高まるのがクロードにも分かった。

 そして先頭を飛んでいた審判長が、その竜の上で大きな旗を振り、横にいた審判員が先ほどと同じ手鐘を鳴らして、脇に逸れていく。それが本当のレースの始まりの合図であった。

 まず動きを見せたのは、クロードの近くを飛んでいたような、つまりそれほど有名な家柄ではない竜使いたちであった。特にその中の数人が各々前方に向かう。それらの竜たちに対して、王家を初めとした名家や旧家は、間延びしていた隊列をぐっと狭めることで、それぞれの中心にいた竜使い、アシュフォード家であればディベリアス、アギルド家であればホワイトの脇と前後を、さらには他の従属する家の者たちが上下やその周辺をがっちりと固め、何人たりともその間に入れないようにする。しかしそうすることで他家同士の隙間が広がり、後方から出てきた竜使いたちは簡単に抜け出せ、彼らのうちの何人かはあっという間に最前列にまで躍り出ることに成功した。

「本当は始まる前に作戦を話し合って、特に出だしをどうするか決めておきたかったんだがな」

 ヒートが前に出て行く彼らを眺めながら言う。

「それはすまなかったね」

「でも、俺は前に出るつもりはなかったから、おまえが動かないのを見て安心したぜ。目立つのは嫌いじゃないし、どちらかと言えば俺は行けるときにガンガン行きたい性格なんだがな」

「逃げ切りなんてまず決まらないから有効な作戦ではないんでしょ。時々かなり上手くやる家もあったらしいけど、レース終盤で両家による連合に巻き返されて飲まれていったって」

 両家というのはアシュフォードとアギルドのことを指すのが、竜使いたちの共通認識である。

「ほう、農村出身と言っていたわりにはよく知っているな。俺の方が竜征杯のことは詳しいだろうと思っていたが」

「いや、僕は全然知らないよ。ちょっと聞きかじっただけだから、作戦と呼べるようなものを考えられるほどの知識もないさ。正直なところ、それぞれの家がどこに付き従っていて、現段階でどこが優勢なのかも全く分からないから、知っているなら教えてほしい」

「そうか。なら、喜んで教えてやるぜ。協定を組んだ以上、情報は積極的に共有すべきだろう。俺は喋るのは好きだし、このまま集団の後方でついていくのであれば、しばらくは時間もあるからな。そもそも竜征杯は長期戦なわけだし、気長にいこうや」

 前に出て行った竜使いたちが、互いにけん制しあいながらも、徐々に集団との差を離し始めているのを見ながら、ヒートは言った。

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