第33話 開始前の二つの騒ぎ

 さっぱりした澄んだ空気、空は抜けるように青く、まさに文句のつけようのない完璧な秋晴れであった。王都はこの数年のうちで最も多くの人で賑わい、出店からは食べ物の匂いが漂い、道は興奮した面持ちの人々が行き交っている。数日前から王都の竜の客船運送の運行は数を二倍以上に増やしており、今も竜征杯の様子を一目見ようと遠方からやってくる人々を運んできている。

 誰もかれも浮き足立っており、そこを狙ったスリや泥棒も活発に活動しているが、それを取り締まるのは街頭に立つ警備隊であり、その中には当然竜使いもおり、ときおり竜を飛ばしては悪人を捕え、それを目撃した人々は拍手を送る。そんな中でも竜使いは毅然とした態度で注意喚起を呼びかけるが、目を大きく見開いて夢中で竜と竜使いを見ている子どもなどに対しては少しだけ手を挙げて対応することもある。

 王家はもちろんのこと政府の高官や役人、それぞれの町の地主や領主、さらにその土地を守る者たちなど、それらの多くは竜使いであり、彼らは日々活躍しているが、今日ほど彼らが国の誇りとして扱われることも無いだろう。それほどまでに竜征杯というのは、全土を盛り上げる大きな催し物であった。

 そんな盛り上がりの中心と言える場所は、王都の外れにある広い草原にあった。なんせ何百体という竜が一斉に飛び立つのだから、広大な土地が必要なのは明らかだ。竜征杯は選挙が行われる年は必ず王都から始まるが、毎回この草原がスタート地点となっている。そして最終的にはまた王都に戻ってくるが、そのときはたった一人と一匹、せいぜい数人と数匹ばかりなので、噴水広場がゴールとなっており、そこに向かう大通りで凱旋パレードが行われるか、もしくは瞬きさえ許されないようなデッドヒートが繰り広げられるのだ。

 すでにスタート地点のすぐ近くでは、観衆が入ってこないように簡易柵を取り付けられたその中で、それぞれの家の者たちやその関係者が垂れ幕を張って拠点を築き、出場する竜使いは身体を温めながら、もしくは休めながら作戦の確認を行うなど最終調整に励んでいた。

 しかしじきにそれも止めると、選手たちはそれぞれひと固まりになり、裏方の人々に激励の声をかけられながら、屈強そうな竜を引き連れて出てくる。縦横に広がって出場する竜と竜使いが並び立つと、それは壮観な光景であった。

 審判団がそれぞれの家ごとにその人数や本人かどうかの確認、さらに荷物検査を行う。食料や飲み物などは基本的に自分たちで持ち込まなくてはならず、さらに武器の携帯も認められているがあまり大きなものは禁止されていた。竜征杯は普通の競竜とは違い、飛ぶ速さも重要だが何より生き残ることに重きが置かれているので、非常事態にも自分の力で対処しなければならず、短剣や火種などはむしろ持っている方が望ましいとされており、だからこそ特に人目のないところでは他の出場者に隙を見せてはいけないのだ。

 審判たちは書類を見ながら確認作業を行っていく。先頭にいる王家や名立たる家々は、本当にちゃんと見ているのかと思うぐらいにすぐに済み、後ろに行くに従って厳しくねちっこく調べられるが、それは恒例のことである。しかし、名家揃いの前方でも例外として審判団がたかるように何人もその荷物を検査していた。

「なんだよ、さっさと次に行けよ」

 顔に傷のついた厳めしい大男が、顎をしゃくりだして背中を指し示す。

「ローブの内側も見せてください」

「ああっ? アッシュフォードの奴らにはそんなことさせなかっただろ。あんまりふざけたことをしているとぶっ殺すぞ、てめえ」

 柵の向こうにいる観客にも聞こえるほどの大声で罵声を浴びせ、さらに彼の仲間と思われるいかめしい風貌の竜使いたちは、ガンを飛ばしながらあっというまに審判団を取り囲む。

「これは審判への脅迫行為とみなしても良いですか」

 しかし審判団は怯むことも無く、無理やりに調べ上げようとする。

「くそっ、アッシュフォード家の犬どもが。さっさと失せやがれ」

「審判長、ローブの内ポケットに大量の投げナイフがあります」

「押収しなさい」

「おい、刃渡りの短いナイフは許可されてんだろうが。てめえは規定も覚えてねえで審判長を任されているのか、ああ?」

「数が多すぎます。他の出場者やその竜に危害を加えるために仕込んでいたのではないですか」

 するとその竜使いは、大きな舌打ちをしながら、行き場のない怒りをぶちまけるように自分の竜を蹴り飛ばす。竜使いと同様にはち切れんばかりの筋肉の付いた竜なので痛くはなさそうだったが、不愉快そうに顔をしかめていた。そんな彼らのことを、近くにいる他の家の竜使いたちは冷めた様子で見ており、さらにその後ろの方にいる竜使いたちは目を合わせないようにしながら無関心を装う。

「おい、てめえら。じろじろと見てんじゃねえぞ。そうやって良い気でいられるのも今のうちだからな」

 それは王家の取り巻きに向けられた言葉であった。

「さすが、アギルドの狂犬は違うな。誰かれ構わず喧嘩を売る。まさか審判に歯向かうなどという一歩間違えれば棄権にされかねないことも、平気でするとは思わなかったよ。ちゃんとご主人様に躾けられなかったのかい」

 その中の誰かがそう言うと、周りではにわかに嘲笑が沸き起こる。しかしそこで「それは私のことを言っているのか」と低い声が聞こえると、彼らは笑うのをやめた。その声の主は、アギルド家の軍勢の中央に位置する場所にいた白髪交じりの男だった。白髪があってもまだ若く、細身の痩身で落ち着いた様子だったが、その場の誰もが黙って彼のことを見る。

「審判長、並びに審判団の方々。私の部下が脅迫行為と思われかねない失礼な態度をとったようですね。王家の方がおっしゃられていた通り、部下の失態は全て私の責任だ。詫びよう」

 彼はくわえ煙草を手に持ち直すと、背筋を伸ばし綺麗に直角に上半身を倒した。

「分かっていただければいいですが」

 審判長は明らかに面食らった様子だったが、さらに男が顔を上げると、今度は審判長の隣で彼の部下のローブを引きはがそうとしていた審判の一人の方に向き、「申し訳ありませんでした」と周りがびくつくほどに大きな声で言って、もう一度同じように頭を下げた。

「私の部下がお手を振り払おうとしたとき、お怪我はされませんでしたか」

「だ、大丈夫ですよ。謝罪の気持ちは伝わって来たので、もうそのお顔をお上げください」

「今度直々にお詫びの品を持って参ります。しっかりお顔の方も覚えさせていただきましたから」

「本当に大丈夫ですから。こちらもちょっと手荒なところがあったかもしれません。ですからどうかお顔を上げてください」

 その審判員はもはや怯えた様子を隠さなかった。

「そこまでおっしゃられるのでしたら」

 男は顔を上げるが、それでもまだまっすぐにその審判員の顔を見据えており、さらに「ああ、私もローブを脱げばよいのですよね」と言って自らローブを脱ぐとそれを彼に渡す。そのときには、その審判員はすっかり青ざめており、脇が汗で濡れていた。

「いえ、もう結構です。全ての方ではなく、あくまでも抜き打ちですから。次に行かせてもらいます」

 ろくに話せなくなってしまった審判員の代わりに審判長がそう言って、ローブを返す。

「そうですか。それは失敬しました」

 そこで彼の取り巻きの竜使いたちが、ローブを着せ直そうと集まってくる。そして審判団が去っていくと、先ほど注意されていた竜使いが「すみませんでした」と文字通り頭を地面にこすりつけた。

「若旦那に頭を下げさせるような真似をさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。言い訳のしようもありません」

 先ほど怒鳴り散らしていた大男が謝り倒す。

「別に構わない。この頭を下げれば済むことであれば、何度だって下げて見せよう。それが私の仕事だ。しかし失態は必ず取り戻せ。おまえの仕事でな」

 それから彼は先ほど大男を笑っていた面々のいる方向、王家の方に向かって歩いていくが、誰もそれを邪魔せず、むしろ道を開けた。

「この度、アギルド家の次期当主として竜征杯に出場させていただくことになりましたホワイトと申します。どうぞ、今後ともよろしくお願い致します」

「ああ、ようやく決まったんだ。キミが継ぐのは納得だよ。こちらこそよろしく」

 先ほどまでの一連のやりとりさえもどこか楽しげに見ていたディベリアス王子は、相変わらずの爽やかな笑顔で答えるが、その後さらっと「でも、この竜征杯は僕が勝つよ。気張っているところ申し訳ないけどね」と言う。

 当然その場には緊張が走ったが、ホワイトは「胸をお借りさせていただきます」とだけ言って自分たちのところへ戻っていった。

 集団の前方ではそんなひりついたやり取りが行われ、それはまもなく竜征杯の出場者たちのほぼすべてが知るところとなったが、後方は後方でまた別のちょっとした騒ぎがあった。こちらは近くにいた一部の人間しか知ることはなかった。

 竜征杯は名誉あるレースであり、参加費などお金もかかることに加え、何日も家を空けて飛ばなくてはならないので、財力と権力を有した余裕のある家しか出場しないと思われるが、実際は規模が小さく決して有名とはいえない家、もっとくだけた言い方をすれば名家や旧家からは相手にされないような人間や戦力が足りていない家、さらには仲間もおらずに単独で参加する酔狂者と呼ばれるような竜使いたちもいる。

「おい、おまえたち。なんだ、その荷物は。鉄砲でも持ち込んでいるのか」

「いえいえ、武器などは全く持っていませんよ。刃物ですら、このポーチに入れているだけで全部です。隅々まで調べて頂いても結構ですよ」

 審判に咎められている二人組は、一ヶ月以上の長期旅行の団体客が持っていくような量の積み荷を自分たちの竜の背中に積み込んでいた。二匹とも身体こそ大きかったが、明らかにそれでは速く飛ぶことなど出来まい。審判団が積み荷の一部をほどくが、そこには衣類や毛布、さらには保存の利く食料ぐらいしか見当たらない。

「二人だけでこんなにいらないだろう。持ち込みすぎだ」

「いえいえ、これは私たちが使うためのものではありませんよ。竜征杯に参加する方々のうち、必要な物資が不足して困っている方がおられた際に、あらゆるものを提供させていただくために持っているのです。もちろん、ほんのちょびっとばかしの謝礼はいただくかもしれませんがね」

「まさかこんなところで商売をする気なのか」

「彼らはシャキーラ兄弟といってな、竜使い随一のがめつさで毎回こうしているのさ。迷惑をかけるつもりはないみたいだし、武器の売買などはしていないようだから、仕方なく許可することにしているんだ」

 別の審判員が呆れまじりに説明する。

「そんな言われ方は心外ですね。我々は健全なレースになるように支援しているだけですよ」

 他にも酒臭い息を吐く赤ら顔の竜使いなど明らかな変わり者がいたが、それでもさすがに竜征杯に出場するだけはあって、優勝争いに無縁であったとしても大多数は緊張した面持ちで出発の時を待っており、そこにはあわよくば他の出場者を出し抜き、少しでも上位を目指そうという野心が見え隠れしていた。

「そちらも終わったか」

 やがて審判員たちが続々と最後方に集まり、審判長が一人ずつ声をかけていく。そのほとんどが確認を終えたことを報告するが、出場者のリストの最後の一列を担当していた審判員だけは、「一人だけまだ確認が取れておりません」と言った。

「どこにもいないのか」

「ええ、そうみたいです。初参加者なので、顔は知らないですが」

「だとすると棄権だな。特に報告はなかったが、もう時間だ」

 しかしそこで、彼らからすぐ近くの柵越しにいた観客がざわつき、それから彼らは悲鳴をあげると、一斉に左右に走って逃げ出す。そしてその開けた道を地面すれすれに飛ぶ黒い影が見えると、周りを蹴散らすような咆哮が聞こえてきた。

 それを見た審判員たちは、鞘から長剣を取り出して構えた。しかしまもなくそれが巨大な蝙蝠のような異形ながらも竜であることに気付き、さらにそこに乗っていた竜使いが「すみません、通ります」と声を張っていたので、彼らは顔を見合わせる。そして彼らがどうすべきか悩んでいる間に、目の前までやってくると草の上に転がり込むように降り立った。

「すみません、遅くなりました。まだ始まってはいないみたいですけど、間に合っていますか?」

 クロードはアルコルの背中から飛び降りると、審判団に向かって言う。

「なんだそれは。竜なのか」

 そんな声が聞こえてくるが、その場にいた皆が同じように思っていただろう。

「あの、おそらく確認が取れていなかった出場者かと」

 参加者リストの最後を担当していた審判員が、おずおずと言う。

「ええ、そうです。レース前の確認の時間でしたか。これは本当にギリギリだったようですね。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 物腰の低い若い青年と我関せずと言わんばかりに鼻を鳴らす異様な体つきの黒竜という不釣り合いな組み合わせに、審判員たちは戸惑っている様子であったが、「荷物検査をするんだ」と審判長が呼びかけることでそそくさと動き出す。

「おい、こっちだ。クロード」

 すると竜使いたちの中にいたヒートがその大きな手を振ると、以前見たときと同じ竜を引き連れて近づいてくる。

「ずっと探していたんだぜ。前の方まで行ってもいなかったから、ほらを吹かれたのかと思ったが、ほらどころか謙遜も良いところだったとはな。なんだそいつは、見るからに普通じゃねえぞ。俺はてっきりあのアマンドとかいう竜で来るもんだとばかり思っていたぞ、懐いていたようだったしな」

「あっちは仕事のときに乗る竜だから」

「そうなのか。でも、やっぱり俺の目に狂いはなかったな。おまえのおかげで俺もちょっとばかし美味しい立場になっているわけだからな」

「どういうこと?」

「見れば分かるだろ。気付いているのは後ろの方の奴らだけだが、皆おまえの竜に圧倒されている。必要以上に警戒されるかもしれないが、少なくとも下手に手出しはしてこないだろう。なんたって普通じゃねえからな」

「そういうものなのか」

「そうそう。前の方でもアギルド家がさっそく暴れて面白いやり取りが繰り広げられていたみたいが、少なくとも俺の心はおまえとその禍々しい竜に全部持ってかれたよ」

 そんなやり取りをしている間にも審判団はクロードの荷物を入念に調べていたが、やがて問題がないことを確認すると、前の方に戻っていった。それから程なくして、審判長が号令をかけて合図をすると、手鐘が響き渡る。そうして竜征杯は始まったのだった。

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