第32話 帰る場所

 今日も今日とて裏山で練習をしていたクロードであったが、竜征杯の時期が近づいていたので、月が空の頂点に達する頃には地上に降りていた。

「おまえは来ないのか、アルコル」

 そうクロードが尋ねるが、黒竜は川に入ってじゃばじゃばと水しぶきを立てるばかりであった。しかしそれはクロードの竜となった際に付けられた名前が気に食わなかったわけではおそらく無く、いつものことであった。

「あんまり遠くに行くなよ。ちゃんと身体を休めておいてくれ。それじゃあ、おやすみ」

 クロードはアルコルにどうにかして付けた手綱をそのままにして、一人で家に戻る。そしてまもなく家の前に着くと、クロードは厩舎に向かった。

「いたんだ」

 クロードが厩舎を覗くと、オーヴィーとその身体を優しく撫でていたヘラがいた。

「急に出て行ったかと思えばまた戻ってきて、どういう風の吹き回し?」

 彼女はクロードの方を見ずに言う。

「もう一週間前から家にいるじゃないか」

「あら、そうだったの。まったく気付かなかったわ」

「あのときは悪かったよ。でも説明はしただろ?」

「私の質問に全く答えてくれなかったのに、説明した気でいるなんてびっくりだわ。オーヴィーもそう思うわよね」

 ヘラはクロードが家に帰ってきても、ずっとこういった様子であった。

「そうだね。ちゃんとは説明出来ていなかった。僕はただあいつをどうにかしてやりたかったんだ。結局のところ、僕は強い竜を追い求めていただけなのかもしれないけど、それでも全部終わったらまたここに戻ってくるつもりだった。オーヴィーは僕にとってすごく大事な存在で、それは今でも全く変わらない。それだけは分かって欲しい。もちろん怒っているなら謝るさ。許してくれとも言わない」

 しばらく厩舎の中では沈黙が流れていたが、やがてオーヴィーが起き上がると、不機嫌そうなヘラを抱えるようにして、クロードの方に近づいてくる。相変わらずの優しさであったが、以前までよく見せていた無邪気な様子ともまた少し違っていて大人びて見えた。

「あなたは何か勘違いをしているみたいだから、言ってあげるけどね」

 そこで抱きかかえられていたヘラは呆れるような顔をして、クロードに言う。

「あなたの考えていることなんて、ずっと昔から全部丸わかりなのよ。あなたって単純で、すぐ顔に出るし、思い立ったら居ても立っても居られなくて勝手に突っ走っていくもの。何年の付き合いだと思っているのよ。だから、あなたがやるべきことは、自分の行動を許してくれるように頼むことじゃなくて、もう少し落ち着いて私たちの顔をちゃんと見ることなのよ。私たちが何を思っているのか、あなたはちゃんと考えている?」

「それは、もちろん考えているに決まっているじゃないか」

「本当に」

 ヘラが覗き込むようにクロードのことを見る。

「ああ、本当さ。いや、もしかしたらちょっと足りていなかったかもしれないけど」

 そこでクロードは目を逸らした。

「仕方がないから、お馬鹿で前のめりになりがちなクロードさんに教えてあげるけどね、あなたが色々考えているのは、私たちだって分かっているのよ。でもそれなら尚のこと、一方的に押し付けて出て行くんじゃなくて、ちゃんと私たちに話して、それでもって私たちの意見も聞いてよ。あなたの言うことに戸惑うことはあるかもしれないけど、あなたが自分の思っていることをちゃんと言ってくれたのなら、いくら時間をかけてでも分かってあげたいと思うに決まっているじゃない。あなたが私たちのことを考えてくれているように、私たちだってあなたのことを考えているし、あなたのやることはなるべく応援してあげたいと思っているのは分かるでしょ。ずっと昔から言っているじゃない、あなたの思うようにやればいいって。今回は時間もなかったから焦っていたのは分かるけど、そうだとしても自分だけで突っ走って私たちを置いていかないでよ。不安になるわ」

 ヘラはクロードに面と向かって言う。そしてそれがどれだけ有難いことであるか、クロードは身に沁みていた。

「最近、思っていたんだ。自分の意思や目標を持って毎日努力して、他の竜にも乗れるようになって、周りからはようやく一人前のような扱いを受けるようになったけど、何かが足りない気がしていたんだ。もちろんそこには二人に対する後ろめたさも含まれていたと思うのだけど、今やっとはっきり分かった気がするよ。ごめん、それからありがとう、待っていてくれて」

 クロードは感傷的になってそう言うが、彼女たちはあくまで落ち着いていた。

「別にお礼なんていらないわ。私たちは私たちで楽しんでいたから、あなたが帰ってこなくても全く問題なかったわ」

 ヘラはオーヴィーに抱き着きながら、クロードを挑発するように舌を出してみせる。オーヴィーも抱き着くヘラの顔に頬ずりをしており、クロードは自分から家を出たにもかかわらず、なんだか自分だけ仲間外れになったような気分にさせられる。しかし、こうしてオーヴィーとヘラの顔を見ると、心地良い安心感を覚えられた。それはここ二ヶ月間、どこに居ても感じられなかったものであった。

「でも、まさかあなたが本当に竜征杯に出ることになるとはね」

 ヘラはオーヴィーとじゃれつくのをやめて、クロードの方に向き直る。そしてクロードは改めて竜征杯という単語を聞かされると、安らぎに包まれていた心が静かに燃え立った。

「そうだね。じいちゃんがなんで僕に出るように言ったのかは分からないけど」

「昔からあなたが出たがっていたからじゃないの?」

「じいちゃんは以前から竜のことに関しては何かと僕を助けてくれていたみたいだけど、今回はちょっと意味合いが違うような気がしているんだ。むしろ僕を出場させるためにやっていたんじゃないかって思えるぐらいでさ」

「つまりあなたが望むかどうかは関係なく、初めからあなたを出場させるために全部やっていたと。孫に自分も出場した大会に出させたいと思っていたとしても不思議ではないけど、あなたが言いたいのはそういうことではないのよね。これまで周りの人に自分が竜使いであることさえ隠してきたぐらいだから、もしかしたら何か考えがあるのかしら。今度おじいさんにそれとなく聞いてみてあげようか」

「いや、言い出しておいて悪いけどやっぱりいいや。結局何かあろうが無かろうが、僕がレースを飛ぶことには変わりないし、中途半端に聞いてそれが気になってレースに集中できなくなったら嫌だからね」

「それもそうね。なら、たとえ何か分かったとしてもちゃんと教えないであげるわ」

「いや、そこは教えてよ」

 クロードは思わずそう言ってしまい、ヘラは楽しそうに笑う。

「でも確かに、あなたは自分のことに集中するためにも、あまり周りの言うことは聞かない方が良いかもしれないわね。誰が聞いても怪しいと思うような都合の良い話を信じないとも限らないわけだし」

「ちゃんと聞いていたのか」

 クロードは数日前にヒートと会ったことを話したのだが、その時は返事もろくに無かった。しかしそこで彼女がムッとした表情を浮かべたので、クロードは慌てて答える。

「詰所の人たちにも話したら同じように、いやもっと酷く言われたよ。ブティミルさんも竜征杯の直前にもなって組もうなどと言いだす連中は、まず信用しない方が良いと話していた。普通なら、もっと事前にレースについて何度も話し合って一緒に飛ぶ練習だってするんだってさ。だから僕だって全幅の信頼を寄せるつもりはない。本人も状況によっては味方も敵になりえると話していたぐらいだし、何よりも最終的に勝つのは一人だけだからね」

「自信がないようなことを言っているわりには、優勝することを考えているのね」

「そういうわけじゃない。ただ裏切られる可能性も十分に考えているって言っているんだ」

 クロードは早口で否定する。

「私はあなたと違って、あなたが優勝できるとはまったく思っていないし、今でも出て欲しくない気持ちもあるわ。お金のことはともかく、今度はあなたが大怪我をするかもしれない。あなたがアルコルと名付けた黒い竜は気性が荒いし、ちゃんと手懐けられてはいないわけでしょ」

 それはヘラの言う通りであった。先ほどもアルコルを厩舎に入れようとしたが拒絶されたし、いまだにクロードの指示を聞かないことはざらにある。しかしヘラはさらに続けた。

「でも、出るからには簡単に負けてしまうのもそれはそれで癪なのよ。ましてやくだらない手口で出し抜かれるようなことだけは、絶対にあってほしくないわけ。だから、そういうのにはくれぐれも気を付けて、いつも通り頑張りなさいよ」

「うん。ありがとう」

 クロードは頷く。

「僕は今まで一度だって自分の夢を捨て切ることは出来なかった。竜使いになることも、配達の仕事をすることも、竜征杯に出場することも、もちろんそれは助けてもらったから実現できたことばかりだったけど、それでもそれらを選んできたのも竜征杯で飛ぶのも僕だ。だから自分のために全力で飛ぶんだ。ヘラのおかげで決心がついたよ」

「当たり前でしょ。だって、私はあなたの」

 そこまで言って、彼女は言葉を止めた。クロードはてっきり昔からずっと言い続けてきたように言うのかと思ったが、彼女は少しばかり黙ってクロードの顔を見ていたのち、「まあ、いいわ。今は竜征杯に集中してほしいし」と言って再びオーヴィーの身体を優しく撫でるのだった。

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