第三章 竜征杯

第30話 人助けをする竜使いたち

 王都は相変わらずの賑わいであった。クロードは仕事でやってきていたが、ついでに竜征杯出場の届け出を提出するために、中央合同庁舎の一角にある司法省の入っている建物に向かっていた。

 基本的に竜征杯を運営するのは竜征杯特別委員会である。国土を大回りに一周するようなコースを設置するため、各地方を治める名家や豪族の協力が不可欠であり、彼らの代表者も委員会に名を連ねて運営に参加している。またそれは公平性を保つためでもあった。竜征杯は政治的にも重要な位置づけにあり、始まるまでの水面下での情報収集や本番での協力要請などは認められているが、あくまでも純粋に各家の持つ竜の力や竜使いとしての技量を競うスポーツ競技として定められている。それ故に、単純な物量や金策で競技性が損なわれないようにと、各家の竜使いの出場数には限りがあり、競技中の物資の補給等も特定の場所のみとされ、外からの妨害行為はもちろん、選手間での過度な攻撃、具体的には相手を負傷させるための行為は禁止されている。とはいえ、クロードもこれまで散々聞かされてきたように、審判員が見ているのはほんの一部の場所だけであり、そもそも公平な審判が行われる保証はない。彼らもまたどこかの派閥に属し、名家と呼ばれる家々の配下にあるのだ。

 ただ、それでも出場する以上はどんな家の人間にもチャンスがあるといえる。実際の議会や政治の場よりは番狂わせを期待できる。だからこそ、クロードは竜征杯に出られることを、そして優勝するという大それた夢に挑めることを喜ばしく思えるはずであったが、今のクロードはそもそも競技として成立するほどにちゃんと飛べるのかという不安しかなかった。

 それはひとえに、クロードがまだ黒竜を手懐けられていないことにある。一応、クロードが呼んだときに近くを飛んでいればふてぶてしくもやってくるぐらいにはなったのだが、まだ背中に乗っても自分の指示に沿っては飛んでくれず、さらにはその身体に手綱を付けることをひどく嫌っていた。それは野生の本能でもあるだろうが、以前捕まえられそうになった際に鎖の付いた網縄で捕らえられたことを思い出すらしく、発狂するように暴れるのだ。保護観察期間が終わり、祖父の力添えもあって書面上では正式にクロードの竜となっただけに、問題を起こせばクロードにその全責任がある。だからこそ、出場することに一層不安を感じているのだった。出場費用は以前から貯めていたし、参加するように命じた祖父は自分の貯蓄から肩代わりしようとまで提案してくれたが、それがかえって彼を怯ませた。何故自分に竜征杯に出場するように言ったのか、その理由はいまだに聞けていない。聞こうとしても、あのときの祖父が放った威圧感を思い出すのだ。それまでクロードは、祖父が凄腕の竜使いだと色んな人が持て囃しているのを聞いてもどこか信じ切れない気持ちがあったが、あの瞬間にその全てを信じた。暴れていた黒竜さえも動きを止めてその身体を強張らせたのが伝わったし、祖父が普段の様子に戻るや否や逃げるように遠くへ飛んで行ったのだ。おかげであの日は野宿を強いられ、家に帰れたのは翌日の昼前だった。

 ただ、そんなことを考えながらも、結局は司法省の建物に向かって飛んでいる。届け出の提出期限は今日の午後四時までとなっているが、現在は三時前であり、つまり期限まであと一時間しかないので多少急いでいた。何故そんなギリギリになったのかといえば、本当に出ていいものかと悩んでいたからに他ならない。

 しかしそこでクロードは考え事から気が逸れた。丁度向こうから竜が飛んでくるのが見えたからだ。そのこと自体はそこかしこで竜が飛び交っているので珍しくもなんともないが、その竜には人が三人も乗っていたから目についたのだ。

 若くて背の高い竜使いが後ろに老夫婦を乗せており、あれほどの大きさの竜であれば、三人乗ったところで重量に関しては特に問題はないだろうが、乗る側がバランスを取るのはそう簡単なことではない。明らかに老夫婦は竜に乗ったことも無さそうな様子で、その上体はふらついている。

 馬に乗る時も同様だが、基本的に股下や足で竜の身体を挟むように跨るため、そこに筋肉が付いてないと安定しない。しかも大きな竜になればなるほど身体の横幅も広くなり、足をより広げなくてはならないので座るのであれば股下の長さは長いに越したことは無い。しかし老夫婦は当然そんなに身体が柔らかいはずもなく、筋力だって衰えているのでぐらつき、それを竜使いがその長い腕を背中に回して支えているが、竜の上ではあまり望ましい恰好ではない。

 クロードは見かねて、その竜にうっかりぶつかって大惨事になることのないように気を付けながら慎重に近づいていき、まだ離れた場所から「あの、大丈夫ですか」と声をかける。

「えーと、何のことですか?」

 すぐに気付いた青年は軽やかに聞き返す。

「いや、後ろにお二方も乗せてらっしゃるので」

「ああ、そういうこと。たぶん大丈夫ですよ。俺、ときどき妹たちを後ろに乗せたりしていて、こういうの結構慣れているんで」

 そう言った途端、急に吹いてきた突風に煽られ、後ろの老婦人が倒れかける。しかし青年はもはや竜の手綱を完全に手放すと、にゅっと腕を伸ばして婦人の身体を支える。

「やっぱり地面に降りた方が良いと思いますけど」

「そうですか?」

 彼は後ろに乗っていた老夫婦に尋ねると、彼らは少し悩んでいる様子だったが「降りますよ。ここまででも十分ですから」と申し訳なさそうに答える。

「いや、駄目でしょ。この辺りは人通りが多くて混雑しているから危ないよ。ましてや怪我をしているんだし」

「怪我?」

 今度はクロードが訊く。

「お二人は王都に用事があって歩いて来ていたみたいなんですけど、途中で婦人が足を挫いてしまって道端で座り込んでいたのを俺が見つけたんです。それでとりあえず王都にある病院に連れて行った方が良いと思いまして」

「いえ、ここまで送って頂けただけでもとても有難いことです。これ以上竜使い様のお手を煩わせるのは申し訳ないです。王都にはもう着いたわけですし」

「でも病院って、ここからまだまだ距離があるよ。ハブのある広場も通らないといけないし」

「いえいえ。十分ですから。それに我々は貧乏で、全く謝礼といえるものも出せません」

「謝礼なんかいらないって。いや、どうしてもくれるというのならもらっちゃうけどね」

 クロードはそのやり取りを見て、おおよその事情を察した。そうなればクロードは、少なくとも彼にとって当然の提案をする。

「それなら、お二方のどちらかが僕の竜に乗りますか? いえ、こちらに乗るのは御爺様の方が良いですね。怪我をしている婦人に乗り降りさせるわけにはいきませんから」

「えっ、よろしいのですか?」

 老紳士はその提案に大層驚いていたが、青年も少なからず奇異の目をこちらに向けていた。

「はい。仕事を終えたばかりで時間に余裕もあるので。それに、そうでなくても困っている人たちがいたら放ってはおけませんよ」

 老紳士は老婦人と顔を見合わせてから、「でしたら、お願いします」と帽子を外して深く頭を下げた。

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