第29話 新たな道
竜使いたちは驚き、思わず動きを鈍らせる。黒竜は先ほどよりも遥かに嫌がって喚き、彼らから離れながらもクロードを振り落とそうと足をばたつかせていた。
「何かを掴みたいのなら、掴みに行かなければ駄目だったんだ。そんな簡単なことを、僕は気付かなかった。でも、これでようやく捕まえたぞ。さあ、覚悟し……って危なっ」
しがみついていた腕がずるりと滑る。
「おい、ちょっと待て。僕は君に危害を加える気はない。ただ、その刺さっている短剣を抜こうとしているんだ」
しかし、やはり黒竜は躍起になってクロードを振り落とそうとし続ける。
「その気があればもうとっくに攻撃しているだろ。せっかく、他の竜たちから遠ざかったんだ。一度降りて簡単にでも手当てをしよう」
それに対しても返ってくるのは「ギャース」という烏のような喚き声だけであり、クロードの腕にはさらに力を要される。このままでは本当に落ちかねないので、クロードは身体を前後に揺らし、自分の足を黒竜の足に引っ掛け、虫のようにしがみつくと鍛えた筋力でよじ登ろうとする。しかし鋭いかぎ爪で太ももを引っかかれ、ズボンは破け、血が噴出する。クロードは痛みで顔を歪ませたが、それでも尻尾と背中の間まで登りつめた。
背中にはその短い手足も大きな翼も届かないので、今度は身体を振るってクロードを落とそうとするが、クロードは背中のごつごつした幾つものこぶを掴んではよじ登っていく。すると黒竜は身体をぐるりと回転させて空中で腹ばいになるが、必死で身体に抱きついて落ちないようにする。
そこまで来るとさすがに死さえ意識させられるが、オーヴィーに乗り始めた頃にもオーヴィーが空中でバランスを崩して何度も今と似たような状況になったことを思い出し、懐かしさを感じた。
「聞いてくれ。勝手に乗った僕が言うのもおかしいかもしれないけど、ここで僕らがやりあうのは不毛だ。役人たちがもうすぐ後ろまで追いついてきている。飛ぶスピードは決して負けていないんだから振り切れるはずだ」
しかしそれでも黒竜は身体を揺さぶるのをやめず、さらにその尻尾を振り回し、クロードを叩き落そうとぶつけた。その瞬間、クロードの腕が黒竜の身体から離れた。しかしそれは意図的なものであった。背中から叩かれたことによって、クロードの身体は前に飛んでいく。
そしてクロードはもう一度素早く腕を伸ばし、今度は首にしがみついた。そしてその勢いのまま息を思い切り吸い込むと、耳元で叫んだ。
「話を聞け!」
黒竜はそこで初めて振り向いてクロードの方を真っすぐに見ると、鋭い目つきでギロリと睨みつけた。しかしクロードも睨み返し、数秒ほど目を合わせた後に、「話を聞くんだ」と再度ゆっくり言い聞かせるように言った。
「今から、翼に刺さった剣を抜く」
クロードはそちらを指さし、さらに引き抜くような仕草を加えて説明する。そして飛んでいる最中にもかかわらずクロードは片手を離し、背中から身を乗り出してその手を伸ばした。幸い、刺さっている部分は胴体から近く、どうにか届きそうな距離だったが、当然のことながら、クロードは片手を離しているので、黒竜が彼を振り落とそうと思えば、いつでも簡単に出来る。しかしクロードはもう黒竜の顔色を窺うことはせず、ただ冷静に手を伸ばしていた。
黒竜の身体がぐらりと揺れた。しかしクロードはそれでも慌てなかった。それが後ろから迫ってきていた竜たちを引き離すために方向転換したものだと分かっていたからだ。やがてクロードの手が剣の柄を掴み、「引き抜くぞ。痛いだろうが我慢してくれよ」と言って剣を抜いた。
黒竜は短く呻き声をあげると、身体をよじれさせた。クロードは足元が傾いたことに加え、短剣を引き抜いた勢いでひっくり返り、あっという間に背中から滑り落ちると、浮遊感を覚える。クロードは唇を噛んだ。
しかしその直後、着ていたローブがビリビリと破けながらも黒竜のかぎ爪に引っかかり、クロードの身体は空中で宙づりになって止まった。そこでようやく息をついた。
「危うくおまえの身体を掴んで、手に持っていた短剣で傷つけるところだった」
クロードが唇を噛んだのは、反射的に動きそうになった腕を止めるためであった。
「でも、これで言い逃れは出来なくなったな」
後ろを振り返ると、役人たちが近づいてきているのが見えた。
「おい、野生の竜を逃がすつもりか」
「そんなつもりはありません。ただ、治療を施そうとしただけです」
「せっかく遠くに逃げられないように打ち込んだのに、それを取り外すとは立派な職務妨害だぞ」
「こいつはただ人間に慣れていないだけなんです。野生として、安息を得るために敵になりうるものを排除しようと躍起になっているだけで、処分されるような罪はありません」
「だから何度も言っているだろう。罪を犯してからでは遅いのだ。これが最終警告だ。これ以上、こちらの邪魔をするというのなら、おまえごと始末する」
先ほど彼らが黒竜に向けていた殺気を、今度はクロードも向けられることになる。離れていても、まるで心臓が締め上げられているようであった。それでもクロードの抵抗する意思は失せることはなかったが、全く勝算のない戦いであるのも分かっており、もはやクロードには打つ手はないように思われた。
そこで黒竜がまたしても大きく吼えた。クロードとしては、敵意を剥き出しにするようなことはやめて欲しかった。案の定、役人たちはさらに速度を上げて、クロードたちに迫ろうとしていた。
「待ってください」
ところがそこで最後尾にいた竜使いが他の二人を呼び止める。
「何だ。こいつらはもはや我が国に仇なす存在なのだ。かけるべき情はないぞ」
「いえ。そういったことではなく、向こうから竜が飛んできています」
「なんだと」
クロードが目を凝らすと、確かに竜の影があり、その背中には二人ほど乗っていることまで確認できた。さすがに役人たちも一度減速させた。その間に逃げてしまおうかともクロードは考えたが、黒竜も止まって吼え続けていたし、何よりそこに乗っていた竜使いに見覚えがあったので停止せざるを得なかった。
「夜中にひとんちの近くで騒いでんじゃねえぞ。眠れねえじゃねえか」
その不機嫌そうな声は、間違いなくグレッグのものであった。
「なんだ、おまえたち」
「だから言っているじゃねえか。うるせーから追い払いに来たんだよ」
「それなら、そこの野生の竜を我々が捕まえるまで待つんだな」
「野生の竜だと? お役人さん方は王家に尻尾を振るのに夢中になるあまり、自分が何を喋っているのかさえ分からなくなっちまったのか」
「そこにいるだろ。明らかに我々の乗っている竜とは違う類のものが」
「ああ? 竜使いが乗っているじゃねえか。目ぇ付いてんのか?」
それは紛れもない事実であり、彼らはわずかだが顔をしかめる。
「その若造はしがみついているだけで、むしろ逃そうとしている張本人だ」
「あのさ、今アンタたちが言ったことを他の竜使いに話したとして、信じると思うか?」
「我々は中央から直々に派遣された視察団だぞ。ごちゃごちゃ言って仕事を妨害するようなら、おまえもそこの竜使いと同罪に扱うぞ」
「そうか。そいつは困っちまうな」
グレッグは言葉とは裏腹に余裕の笑みを浮かべている。
「だとすると、俺たちもアンタたちをそこの頭のおかしい竜使いと同じように扱わないといけないことになるんだが」
「何をわけわからんことを言っている」
クロードも彼らと同様に、グレッグの言っていることの意味が理解できなかった。しかしそこでグレッグは懐から何やら一枚の羊皮紙を取りだした。
「書いてあるのさ。報告を受けた黒い竜は、一時的な保護観察処分としてその一切の扱いを南東竜管理局相談役に託すってな。まあ、その役職についているのはもちろん俺ではないんだが」
すると後ろから、開いているのか閉じているのか分からない目をしたクロードの祖父の顔がにゅっと出てくる。
「ふうむ」
「丁度アンタたちと入れ違いだったんだよ。俺たちは今朝方出掛けて、王都でこの国の竜に関するすべての最高責任者、つまりアンタたちが尻尾を振っている相手に会ってきて許可書をもらい、今になってようやく帰って来られたわけだからな。もしもアンタたちに遭遇したら王都に戻ってきて構わないと言っておくように頼まれていた」
「そんな馬鹿な話があるわけないだろ。俺たちよりもお前らの方が偉いとでも言うのか」
「しかしそこに押してある印は、確かに国王様のもののようだ。偽造でもしていない限りはな」
「そんなことをするほど、俺は暇じゃねえんだよ。さあ、仕事は終わりだ。正直羨ましいぐらいだぜ。俺たちに会えずに仕事に専念していたとでも後で報告すれば、一日ぐらいは遊んでいられるぜ。俺もそんなことをわざわざチクりにはいかないしな」
グレッグはニヤニヤしながら言う。
「どうしますか。とても本当のことを言っているようには思えませんよ。管理局はともかく、その相談役なんて聞いたことがありません。竜の密売業者の詐欺などではないですか」
「いや、あの印鑑はそう簡単に偽造できるようなものではない。我々に出来るのは、王都に戻って確認を取ることだけだ」
「でもそれで違ったら、私たちはとんだ笑い種ですよ」
彼らがにわかに信じられないのも無理はないだろう。クロードも祖父が腕利きの竜使いだったことを知らなければとても信じられなかったはずだ。
「まあ、頭の固い役人が唐突にこんなことを言われたって信じないとは思っていたさ。だから爺さんの家から持ってきてやったぞ」
またしてもグレッグが懐から取り出したのは、リボンの付いた金色に輝く星型のバッジであった。その真ん中には、勇ましく吼える竜とそれに跨る竜使いの姿が刻まれていた。クロードは初めて見たのでそれが何かは分からなかったが、役人たちは息を呑んでいた。
「まさか選ばれた竜使いにだけ授けられる勲章までも、偽造したとは言わねえだろ」
グレッグは彼らにそれを突きつけると、竜使いたちはしばらく黙ったのちに、「これは、戻ったら詳しく話を聞く必要があるな」と呟き、そのまま撤収していった。
「はあ、まったくつくづく人使いが荒いぜ。畑仕事もろくに出来ず、一日中連れまわされた挙句に向こう見ずな若造の尻拭いまでさせられるとはな」
「どうしてここに来られたんだ」
「ブティミルの野郎が、家の前にいたのさ。役人どもがこっちに向かうのを見てから後を追ってきたそうだ。俺は一日中爺さんに付き合わされてようやく寝られるかと思ったのによ」
「その書類も本物ってことだよね」
「爺さんの役職は名誉職だが、業務の内容として一応は含まれていたからな。だから申請を受理してもらうよりも、ジジイどもの長い世間話が終わるのを待つことの方が余程しんどかったぜ。まあ、そうは言っても今回ばかりは向こうも慎重な様子だったがな」
「野生の竜だからだよね」
「そいつが山火事でも起こせば、爺さんの面子は丸つぶれってわけよ。そもそも今にも襲い掛かってきそうだしな」
黒竜は竜使いたちが去ったにもかかわらず、まだ明らかに警戒心を解いておらず、威嚇するように呻っていた。おそらくはグレッグたちを新たな敵と思っているのだろう。ひとまずクロードは黒竜に乗ることには成功したが、とても制御できるような様子でない。
「彼は敵じゃない。さっきおまえを傷つけた人たちを追い払ってくれたんだから分かるだろ」
クロードがグレッグのことをそのように言うのは皮肉めいてもいたが、それでも事実である。しかしそんなクロードの言葉も聞き入れず、黒竜はグレッグたちを追い払おうと翼で風を起こして圧をかける。
「おまえは、一ヶ月以内にそいつを乗りこなせるようにならないといけない」
「一ヶ月?」
「それが保護観察の期限だ。いくら爺さんといえど出来るのは、せいぜい昔馴染みのまた別の爺さんに口利きするぐらいだ。それ以降で、いや、期間内であっても人に危害を加えるような事件を起こせば、今度こそ処分されるだろう。そいつの炎で焼かれたのが、竜征杯で王家と対立しているベース家の人間だったのが幸いだったな」
彼らしい発言だったが、そういったことが影響することも今のクロードには理解できた。
「僕は一ヶ月以上前からずっとこの黒竜を追いかけてきて、さっき初めて背中に乗れたんだ。落とされはしなくなったけど、正直自信はないよ」
自分に機会を与えてくれたグレッグに対してそんな弱音を言えば、また馬鹿にされるのではないかと思ったが、グレッグは「ふん」と鼻をならす。
「出来るかどうか分からないことを安請け合いしなくなっただけ、多少は成長したってわけか」
「成長したかどうかは分からないけど、グレッグの言っていたことの意味は多少分かるようになったと思う。相変わらず竜に乗っているという点では、賭けの話は守れていないけど」
そこでグレッグは少しだけ何か言いあぐねるような様子で口をもごもごとさせたので、クロードは何かと思ったが、すぐに彼は口を開く。
「俺は半端な気持ちで竜に乗るなと言ったんだ。今のお前は、まあ、辛うじてだが賭けの内容を破ってねえと言えるかもな。他の竜にも乗れるようになったみてえだし」
「グレッグ」
クロードは感激した様子で彼の名前を口にする。
「そんな目でこっちを見んじゃねえ。てめえがまだまだ甘ちゃんなのは変わらねえ」
「分かっているよ。助けに来てくれなかったら、僕らは死んでいた。いや、今日だけじゃない。色んな人に助けられたから僕は竜使いになれて、今日までやってこられた」
「そうだ、特に爺さんはおまえにだけは甘いからな。あのピンク色の竜を飼えるようにしたのも、竜使いとして国から承認されたのも、はては配達員になれたことさえも、おまえの祖父さんが上部の連中やブティミルの野郎に口利きをしたからだ。他の竜使いと同じように、家柄や血筋など生まれついて持っていたものが恵まれていただけであって、おまえの功績でも何でもない。だからこそあの役人たちと同様に、おまえのことも嫌いだ」
「そんな風に思っていたから、グレッグは家を出ていったの?」
「どこで何を聞いたのかは知らねえが、それに答える義理はねえ。確かに家を出て行ってここにやってきてから、爺さんに世話になったという点ではおまえと同じだが、俺の場合はちゃんと金だって払っているし、こうやって用事を手伝うことで借りを返している。爺さんが孫の面倒を見るのとは訳が違うといえば、それまでだがな」
「じいちゃんにちゃんと礼を言わないといけないのは分かっている。もう言い切れないぐらいだけど」
「ふうむ」
祖父はいつもと変わらない様子だったが、いつもより上機嫌な反応にも見えた。
「クロードよ」
「何?」
「わしに礼など言わんで良い。恩義を感じる必要はないし、ましてや何かを返そうなどと思わなくて良い」
「いや、そんなわけにはいかないよ。そりゃあ僕に出来ることはまだまだ少ないけど、でも」
クロードはそう答えるが、途中で止めた。動きを止めたのはクロードだけではない。先ほどから落ち着きのなかった黒竜も同様だった。その理由は、祖父の目がしっかりと開かれたからだ。事象として何が変わったのかと言われたらそれだけだが、直接何かをされたわけでもないのに、それだけで皆を黙らせてその場に留めさせるほどの言い知れぬ圧があった。
「それでもわしに何かを返す気があるというのなら、その黒い竜を乗りこなせるようになれ。おまえは他の竜使いたちと違って、これまでの経験からすでに必要な素養を持ち合わせている。わしから教えることは何もない。そしてその竜に乗って竜征杯に出場するのだ」
祖父が強い口調を使うのは、クロードの前では初めてのことだった。足腰こそ頑丈だが、いつものんびりした空気を纏う祖父とは、まるで別人であった。おかげでクロードは、祖父が自分を評価してくれていることやその後の言葉にも驚きの反応さえ示せなかった。
しかしそこで祖父が一度その目を閉じてから普段のように目を細く見開くと、クロードたちが感じていた圧は元よりなかったかのように雲散霧消した。それからまたいつも通りの様子で「ふうむ」と唸るのだった。
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