第28話 そのために必要なたった一つの儀礼
「そこの洞穴にいたんです」
「岩で陰になっているせいか真っ暗で何も見えんな」
「周囲の木々の枝が蹴散らされたように折れていて、足元の茂みにも大きな動物に踏まれたような跡が見受けられますね。それに空から探しても見つけ辛そうでもあります」
「地元の人間だからこそ知っていたというわけか」
「どうします、入ってみますか」
「これだけ外に人がいれば、すでに何かしらの反応がありそうだが」
「不安でしたら、私が先に入りましょうか。万に一つもあなた方を罠に嵌めるような真似をする気がないことを証明しますよ」
「あまり深くもないのであれば、入るだけ入ってみるか」
彼らの言うようにクロードにも黒竜がいる気配を全く感じられず、役人たちの先を行くその足取りは少し軽かった。そこから彼らの持っていたカンテラを灯しながら洞穴の奥まで進んでいったが、反響する足音と衣擦れの音以外は何も聞こえず、あっさりと最深部に辿り着いた。
「やはりいないみたいですね」
「ん、なんだこれは」
すると竜使いの一人が何かを蹴飛ばしたらしく立ち止まって、足元を照らす。
「網だ、鎖も付いている。ベース家の竜使いが野生の竜を捕まえようとした際に使ったものか。黒い血の跡もついている。いや、よく見ると岩や地面にも飛び散っているな」
「本当に竜がいたような形跡がありますね」
クロードはさすがに自分がそれを外したとは言えず、代わりに話を逸らすつもりで、「ですが、どうして最近になってこの辺りに飛んできたのでしょうかね」と困ったように口にしておく。
「それはこちらが聞きたいぐらいだ」
「気になるところではあるが、分からないな。そもそもその竜を我々は見ていないのだから」
彼らは口々に言ったが、そう答える前に、ほんのわずかな間であったが、互いに目配せをしたのをクロードは見逃さなかった。
これまでもクロードは、彼らの様子を不審に思うことが何度かあった。そもそも、クロードは彼らが予想以上に早くやってきたことに驚いていた。ベース家は王家と対立しており、いくら国民を守るという大層な使命があったとしても、さすがに何十年も目撃もされていなかった野生の竜の話を鵜呑みにしてやってくるとは思えない。だからこそ視察も兼ねてやってきたのだろうが、それにしては彼らの間には深刻な雰囲気がある。そこから考えられるのは、彼らが何か自分の知らないことを知っているのではないかということだ。クロードはそれを少しでも聞き出したく思っており、だからまだしばらくは彼らを連れ回すつもりだった。しかし、そこで外に残っていた竜使いの声が聞こえてくる。
「竜が、大きな翼の竜が飛んでいます。こちらに接近してきているようです」
「なんだと」
竜使いたちが洞窟の入り口の方を振り返ったところで、あの空気を震わせるような咆哮が聞こえてきた。
なんて間の悪いときに出てきたのだとクロードは思わざるを得なかったが、黒竜にとっては関係の無いことなのだろう。あの好戦的な性格からして、手負いでもなく、近くで動物の気配を感じれば、大人しく隠れていようなどとは絶対に考えないはずだ。しかしこの前、三匹の竜と竜使いにしてやられたのに、また同じような状況で姿を現すのは、あまり利口とはいえない。
急いで洞穴から出ると、すでに交戦が始まっていた。力任せに翼を振り回す一辺倒なところも変わらないが、単純に力の差で押しており、重い一撃で相手の竜は体勢を崩し、ほとんど一方的に攻め立てていた。しかしそんな状況も長くは続かないと今のクロードには分かっている。
竜使いの乗っていない二匹の竜は黒竜に警戒した様子で距離をとって空を飛んでいたが、「戻ってこい」と役人の一人が怒鳴り声をあげると、すぐに降りてくる。
「さすがに真っ先に攻撃をしかけられたことには驚かされたが、あのぐらいの大きさの竜ならなんてことはない。むしろ当てが外れたのが分かって拍子抜けだ。おら、行くぞ」
役人はその足で横腹を蹴り飛ばす。先ほどの怒鳴った様子といい、竜を服従させていると表現するのが相応しかった。しかし彼の竜使いとしての腕前が優れていることもすぐに分かった。先ほどまでは腰の引けていた竜が、黒竜に向かってみるみると近づいていき、黒竜がそれに気づいたときには足元に入り込んでおり、黒竜はどちらを攻撃すべきか迷わされる。
「野生の竜に出会うのは久方ぶりだが、大抵は闘争心こそあるがあまり賢くない。何より人間の乗った竜と戦い慣れていないからな。余程デカいやつでもない限りは大して苦労しない。そしてこれはどちらかといえば残念なことだが、こいつはその余程のうちには入らない」
これまで防戦一方だった竜の方も、活気を取り戻して反対方向から揺さぶる動きを見せる。もはやそれは前回の再現といっても過言ではなかった。クロードは今にも黒竜に逃げるように呼びかけたかったが、もちろん彼らの前では言えず、見ていることしかできない。
しかしそこで黒竜は首を振りながら、大口を開けたかと思うと、前回は追い詰められるギリギリまで見せなかった炎を早々に吐き散らした。他の竜たちはそれをすんでのところで避ける。
「とはいえ、そう簡単にはいかないか」
「ロリアンが竜の炎で火傷を負ったというのも嘘ではなかったようですね。聞いていなかったら、我々も危なかったかもしれません」
竜使いたちは煤けたローブをバタバタと仰ぎながら言う。クロードは黒竜が全く学習していないわけではないことを知り、ほっとする。しかしロリアンも言っていたように、木々に燃え移れば大火事になる恐れがあるので、そう安心してもいられないし、捕まって欲しくはないが、脅威とみなされて本格的に害獣として扱われるようになれば、即殺処分されることになる恐れもあり、クロードにとってはいわば板挟みのような状況であった。
何か、きっかけがあれば。
以前からずっとそれを探していた。そして今も探している。これまでこの山森で何度も遭遇し、その度に黒竜に呼びかけてはいたが、それでも決定的な何かが足りないことを、クロードも分かり始めていた。黒竜にとって人間は未知なる存在であり、警戒し攻撃してくるが、それはこうして二度も捕えられようとしているのだから当然の反応でもある。
「これは本気で倒しにかかるしかないかもな。こうなると手加減の出来るものでもなかろう」
「そうだな」
クロードの横にいた年長の竜使いも頷く。
「待ってください。それって運が悪ければ、殺してしまうってことですよね」
「何を言っている。運が悪いというのは、我々が全滅し、山火事が起きて、人里にも被害が出ることだ。それに比べれば、何も悪いことなど無い。これ以上ここで油を売る暇があるのなら、近隣住民に警戒を呼び掛けにでも行ったらどうだ。火竜は飼い慣らされていてもボヤ騒ぎになることが珍しくないのは、竜使いなら知っているだろ。ましてやあの竜には轡が付いていないのだ。すでに非常事態だぞ、これは」
そう言うと、その竜使いも竜に乗って、空へ飛び出した。
彼は真っ当な意見をクロードにぶつけていた。それは今に始まったことではない。周りはいつも彼に常識と理性的な判断を求めた。クロードはそれを少しずつ身につけながら成長しているが、ときに反発し、それゆえに上手くいかないことも多く、大きな失敗も犯した。だからこそ変わらなくてはならないと思ったし、そうするように努めていくにつれて周りが彼を見る目も変わり、一人前の扱いを受けるようになってきた。
しかしそれを素直に喜べない気持ちがあることにも、クロードは気付いていた。竜使いとして、配達の仕事に復帰し、それは端から見れば賢明な選択であったが、クロードの心は満たされてはいない。おそらくそれは、生まれついたときから竜使いになることが決まっていた彼らとは、異なる性質を持っているからだ。そしてクロードは今、まさにそのことに気付きかけていた。オーヴィーを置いていくような真似をしたのも、普通の竜使いであれば打算的なものを理由にあげただろうし、実際そう思われているだろうが、クロードにとっては全く別の意味があった。
竜使いたちと黒竜が戦っているのが見える。彼らは黒竜を小突きながらその出方をうかがう。黒竜はそんなものは知ったことは無いと言わんばかりに、目の前に来る敵を翼で打ち、しならせた尻尾で叩き、かぎ爪でひっかこうとする。
炎を吐き続ければ簡単に勝てるのではないかと竜のことを知らない人が見れば思うかもしれないが、そうしないのは吐く量に限界があるからだ。火竜自体は、年々その数を減らしているが全くいないわけではない。戦時などに備えて、単騎でも敵の部隊を滅ぼせる可能性があることから、強力な兵器のように扱われている。もちろんそれらも際限なく吐き出せるわけではなく、一度に吐き出せるのは、その身体と口の大きさにおおよそ比例し、基本的には腹をある程度満たさなくては体内で生成されず、時間もかかる。つまり体力が切れたら、火も吹けなくなる。
黒竜は上から見下ろすようにして三匹の竜を相手取り、その上で一匹ずつに襲い掛かっていく。本気で三匹の竜と竜使いに打ち勝つつもりなのだろう。本当の意味で難を逃れるためには、牙をむくことは悪手でしかないのだが、それでもその横暴で荒々しく勝利を渇望する姿に、クロードは目を奪われていた。
竜使いたちは意を決したのか、頃合いを見計らっていたのか、ベース家と同じように三匹が連なるようにして黒竜に飛びかかった。しかもその三人は一様に、懐から短剣を取り出していた。クロードはこれまで味わったことのない背筋が凍りつくような感覚を味わう。
黒竜もそれを察したのか、翼を広げて吼えた。竜使いたちは黒竜と接近し、ぶつかる直前で三手に分かれた。竜使いの一人から投げられた剣を、黒竜は翼で払いのけるが、そこに一匹が突っ込んでいき体当たりをかました。そうして体勢を崩した黒竜の翼をめがけて別の竜使いが切りつけようとする。しかし黒竜は体勢を崩しながらもむしろ竜使いの乗っている竜にめがけて突っ込み、あろうことかその竜の首筋に噛みついた。
噛みつかれた竜はギャーと悲鳴をあげたが、回り込んでいた年長の竜使いは全く気にすることなく、横腹に剣を突きたてようとする。しかしそこで黒竜は顎で噛みついていた竜を振り回して防ぎ、投げるように離すと急降下して逃れていく。力技だが、文字通り頭を使っている。クロードは思わず苦笑いを浮かべたが、しかしすぐに黒竜から痛そうなうめき声が聞こえてくる。年長の竜使いが投げた剣が、翼の先の方にある柔らかい皮膜に刺さったのだ。その精度に驚愕すると共に、クロードは黒竜がそこから彼らによって追い詰められていく姿が書物の頁をめくるように頭に浮かび上がってくる。
決定的に欠けているものがあった。それは力でもあったが、正確にはそれを指してはいない。力というのは初めから兼ね備えている例の方が珍しく、仮に才能と呼ばれるものがあり、定めと呼ばれるものに導かれることになっていたとしても、それを得るためにはたった一つの、しかし極めて重要な儀礼があるのだ。それは誰もが知っているが、だからといって誰もが使いこなせているわけではない。結果として望んだものを獲得できるとは限られず、むしろ多くの場合はほとんど何も手に入れられないばかりか持っていたものさえ失ってしまう。黒竜が鳴き喚きながら降りてきていた。チャンスは一瞬。
もしかしたら痛みに喘ぐ黒竜には、追いかけてくる三匹の竜と竜使いたちの方に意識が向いており、そこまで気が回らなかったのかもしれない。しかしそれでも、それは理性に基づいた意志が野生の本能を越えた瞬間であった。
逃げ惑う黒竜がその腹が地面に触れそうなほどすれすれに身体を倒して再び上昇しようとしたとき、クロードは迷うことなく跳び、その足にしがみついた。
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