第27話 内なる気付き
まずは、思い当たる場所を片っ端から行ってみることにする。月明りの中、何度も通り慣れた道を走って、黒竜を初めて見かけた川に行き着く。しかしそこに生き物のいる気配は全くなかった。ただ気になったのは、川岸の石が乱れていて荒らされたような跡があることだ。熊かもしれないが、最近ここに何かがやってきた痕跡である。そうなるとクロードの向かう先は、この間入った洞穴に決まる。川で水を飲んだ後、そこで休んでいるかもしれないと考えたのだ。
体力の付いてきたクロードはほとんど息を切らすこともなく、調子よく山を登っていく。ところが突如、問題が発生する。
それはクロードが洞穴の近くまで、山道を登り切ったところであった。バサバサと翼を羽ばたかせる音が聞こえ、クロードは咄嗟に横の茂みに隠れようとしたが、「もう遅い」という声と共に、背中から山道の脇にある木々の枝を蹴散らして迫ってきていた。まだ山道から外れて逃げることも出来たが、足を踏み外して下に落ちる危険と天秤にかけ、観念して両手をあげた。
「そうだ。それでいい」
彼らはクロードが抵抗するのを諦めたことに満足げであった。それから一人を除いてゆっくりと降りてくると、クロードの前後に立つ。一人だけ降りないのは、万が一クロードが逃げようとしたときにすぐに追いつけるようにするためであろう。
「まんまと嵌まったな。詰めが甘いぜ、お坊っちゃん。いや、お坊ちゃんとも言えないような家だったな。ありふれた農家にしか見えなかったが、本当にお前の家なのかよ」
それは馬鹿にしているというよりは、珍しがっている様子だった。しかしクロードはそんなことよりも、先ほど家の窓から聞き耳を立てていた会話が、クロードに聞かせるために話していたものだと知り、自分の馬鹿さ加減に腹を立てていた。
「しかし小さながらも厩舎があった。掃除もされていたし、竜がいる気配もした。おそらく彼の家なのだろう」
「まあ何でもいいさ。わざわざ夜中の山道を駆けのぼっていくなんて、これはいよいよ話の信憑性が増してきたな」
「だが、待て。本当に野生の竜がいたとして、それがこの若造に何の関係があるというのだ」
「それはこれから聞かせてもらえばいい」
皆、クロードの方を見る。質問への返答の催促に他ならなかった。
「あの、本当に何も知らないんです。僕はただ、体力を付けようと家の近くの山道で鍛錬していただけで」
「あまり我々を見くびらない方が良いぞ。ここには王家直々の命令でやってきている。我々に従わないということは王家に背くことと同義だ」
当然のように彼らは脅してくる。さすがにクロードもこんなもので言い逃れができるとは思っていない。むしろここからが本番であった。
「ごめんなさい。ちゃんと話します。ですので、どうかご容赦ください」
クロードは怯えるような表情をみせてその場で跪き、深く頭を下げる。
「お前の知っていることを洗いざらい話せ」
「はい、あなた方の期待に沿えるかどうかは分かりませんが、話させていただきます。しかし、話はそれほど長いものではありません。私は自分の家の近所ということもあって、よくこの辺りの山に入っては山菜取りをするのですが、ベース家の方々がいらっしゃったときも同様でして、その際偶然彼らと遭遇したときに野生の竜を発見したのです。それは本当にものすごい迫力でした。普段私たちが扱っているものとはまるで異なり、身体は異様なほど不格好にごつごつとしていて性格も荒々しく、山を下りてきていた熊を簡単に撃退していました」
「大きさはどれほどであったか」
「私たちの詰所の厩舎にいるどの竜よりも大きかったです。特に身体に対して翼が普通の竜と比べて何倍もあって、闇夜で見ると蝙蝠みたいでした」
「ん、その程度の大きさか?」
しかし彼らはクロードの言葉を訝しんだ。
「ええ、嘘偽りはございません。ベース家の方々もそのように話されていたのではないのですか」
それは純粋な質問であり、それゆえに彼らは少しバツの悪そうな顔をみせる。その意味をクロードは理解できたわけではないが、ベース家が何か吹き込んでいたのかもしれない。
「それは野生の竜ではなく、どこかの竜使いのところから逃げ出した竜ではないのか」
「そこまでは私も分かりかねますが、特徴からしてその可能性は低いように思えました。飼われている竜と違って、人間のことをものすごく警戒していて、さらには火まで吹いて、そのせいでロリアンさんは火傷を負ってしまったわけですから」
「その話もにわかには信じがたいが。やはりベース家と口裏を合わせているんじゃないのか」
「そんなことはありません。見たままを話しているつもりです」
クロードは若干の嘘を交えてはいたが、言う通り大方は事実である。しかし彼らはいまだに話の真偽を疑っているようだ。クロードは、自分で乗りこなすために黒竜の存在を彼らから隠そうとして、黒竜を先に見つけて逃げさせようとここまで来たのだが、それが今は彼らにその存在を信じるよう説得することになっており、この状況に若干困惑していた。
「おい、どうする。あてが外れたようだぞ。あの若造、重要なことを伏せていたようだな」
「しかしそこまでしてこちらを欺いたところで、ベース家に利益がありますかね。せいぜい我々が無駄骨を折るぐらいだぞ。竜征杯に出場する者たちには全く影響はない」
「少しでもこちらを攪乱したかったのではないですか。もしくは恥を晒させることで、王家や政府の評判を落とそうとしたとか」
「いや、ベース家の連中は食えない奴らではあるが賢明だ。意味のないことはしない。こんな何もない田舎町に数日間滞在していたことは確かなのだ。仮に何か目論見があったとしても、この大事な時期に見返りの少ないことはしないはずだ。それにお前の言うように、この竜使いだけでなくブティミルもそう思っているのであれば、やはり話は本当なのだろう」
「認めるのは癪ですが、そうですね。次期当主のロリアンも無駄なことを好まない人間であるのは有名ですから。それで」
彼は再びクロードに注視する。
「おまえは野生の竜の居場所を知っているのか。ずいぶん迷いのない走りぶりだったな」
「確信はありません。ただ、以前見かけた場所に行けば出会えるのではないかと思いまして」
「野生の竜に会ってどうするつもりだったのだ」
「その、申し上げにくいのですが、気性が荒くて人に害を為す竜は捕まったのちに処分されてしまいますよね。ベース家の方々はすんでのところで獲り逃してしまいましたが、万全の準備をされた腕の立つ方々が来られたら、捕まるのは時間の問題です。ですから、その前にあわよくば見つからないように遠くへ逃がそうと思ったんです。申し訳ありませんでした」
「つまり野生の竜のためを思っての行動と言いたいのか。なんとも胡散臭い理由だな」
「だが、こやつが竜を大事にしているのは事実だ。甲斐甲斐しく世話をしているし、竜の意思を尊重する素振りさえあった。先ほど、詰所の前でおまえが聞いていたことも含め」
「そんなの、ほとんどがただ疲れるだけの無駄な労力だと思いますけどね。竜なんて牛や馬と同じで家畜に過ぎないんだから、適当にあしらっておけばいいのに」
「竜使いにもそれぞれのやり方や考え方がある」
彼は年長者らしく客観的な意見を述べる。
「しかし、野生の竜は我々が普段扱っているものとはまるで違う。人間に歯向かい、我々の生活を脅かす可能性がある。今、我々は竜を飼い慣らしているが、それは性格が穏やかで人に懐きやすい種族を選別し、そうでないものを排除しながら何世代にもわたってその牙を抜いていったからだ。野生の竜というのは、そこに当てはまらなかった存在だ。だからこそ自由にさせておくわけにはいかない。竜が人里で暴れ、人々に不安と恐怖をもたらせば、同時に御せない竜使いへの不満もたまっていく。国を治めるためにも、不安分子は取り除かなければならない。若いとはいえ、竜使いであれば私の言っていることは理解できるだろう。犠牲が出てからでは遅いのだ」
「はい。おっしゃることは分かります。だからこそベース家の方々も通報したのですよね」
それはロリアンも言っていたことであり、すなわち彼が政府に報告したのは、たとえそれを率いているのが対立している王家であっても、国の平和と竜使いの地位を守ることを優先すべきだと考えたからであろう。
「そうだ。これはあくまでも私の意見だが、竜征杯はもちろん政治的な動向が絡み、今後の国の行く末を占う上でも重要な聖戦であるが、それが全てではない。出場するのはあくまでも若い連中が大半であり、竜征杯の最中はもちろんその後もレースで消耗した彼ら無しで、我々が平和を守り、国の発展に努めていかなくてはならない。何より、誇り高き竜使いの民の末裔であることを忘れてはならないのだ」
彼が自分の仕事に誇りと使命感を抱いていることが、クロードにも伝わってくる。しかしそれでもあの黒竜を引き渡したくはなかった。むしろ竜使いであればどんな竜だって、ましてや今まで見たこともない荒々しい竜が居るとなれば、そいつを自在に乗りこなしてみたくはならないのかと訴えたくなった。そしてそのように内心で思ったことで、初めてそれを自分の中でその感情をハッキリと認知した。祖父に気持ちを打ち明けたときに抱いていたものとはまた別の感情であり、クロードにとって新たな発見であった。
「おっしゃる通りですね。そのような立派な気概を聞かされては、協力しないわけにはいきません。そこに居る保証はありませんが、向かおうとしていた場所に案内させていただきます」
「うむ、分かってくれたか」
クロードは黒竜がいないことを祈りながら歩き出した。
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