第26話 家出息子と母親のやりとり

 久しぶりに自分の家への道を歩くのは少しばかり緊張したが、それでも自分がしなくてはいけないことはハッキリと分かっていたので、その足は早まるばかりであった。本来は歩けば二時間ほどはかかる道をその半分近い時間で行く。地元の村に着くとまだ家々には点々と明かりがついていたが、出来るだけ気付かれないように足音を無くし、暗い場所を通っていく。

 おそらく明日の朝には彼らもこちらに向かってくるはずだ。野生の竜のことは配達員たちも全く知らなかったので、もしかしたらベース家の人間が嘘をついていただけと考えて帰るかもしれないが、数人がかりで視察に来ていたぐらいなので、それを期待するのはさすがに楽観的過ぎるだろう。

 クロードは久しぶりにオーヴィーの顔を見たい気持ちも相当にあったが、あんなことを言って出て行った手前、会うわけにはいかなかった。しかし、少なくとも一旦は家に帰らざるを得ない状況であることは、村に着いてまもなく分かった。役人たちが後をついてきていたのだ。かなり距離は離れているが、一度だけさりげなく後ろを向いたときに、ひっそりと竜の影が浮かんでいるのが見えた。見た限りでは一匹だけであったが、他の二匹もさらに後ろからついてきていてもおかしくない。

 ブティミルが夜道に気を付けるようにと言っていたが、彼らのことを指していたのだろう。彼らにはベース家の人間の話を確かめるために山の方へ向かっているという口実があるので、これを尾行とは認めないだろう。何故、クロードが怪しまれたのかは分からないが、単純に自分たちが出て行った後ですぐに詰所から野生の竜がいると言われている方向へ歩いていけば、疑われるのは当然のことかもしれない。

 ゆえにそれをかわすためにも、一ヶ月以上帰っていなかった家に本当に帰らなくてはならず、やむを得ず扉を叩いた。すると「どなたですか」と母親の声が聞こえてくるので、「僕だよ、クロードだ」と答える。

「なんだ。もう帰ってきたの」

「ひと月ぶりに会う息子に対して、最初の一言がそれなのか」

「当たり前じゃない。女の子を泣かせて家を出て行ったんだから」

「ちょっと事情があるんだ。用が済んだら、すぐまた戻る。とりあえず、中に入れさせてよ」

「嫌ねえ、いつからこの子はこんなに人を振り回す人間になっちゃったのかしら」

「いや、ホントに頼むよ。こういう会話を聞かれたら余計に怪しまれるから」

「なあに、配達員さんたちの詰所のお金を横領でもしたの」

 これ以上、呑気な母親と外で話しているわけにはいかないと思ったクロードは、無理やり家に入って扉を閉める。

「お茶は淹れてあげないわよ。自分で淹れなさい」

「別に飲まないからいらないよ。あの人たちが立ち去ったらまたすぐに出るつもりだし」

「そう。なら勝手にしなさいな」

 母親は先ほどまでぐちぐちと言ってきたわりには、それ以上特に言及しなかった。昔から母親はそういうところがあり、だからこそクロードが知りたいことは自分から訊くしかなかった。

「母さんはじいちゃんが竜使いだったことはもちろん知っていたんだよね」

「それはまあ、娘ですから」

 家の畑を含めた土地を元々持っていたのは祖父であり、クロードの父親は婿養子としてやってきていた。父親の親戚は遠方に住んでいて会う機会はほとんど無い。

「隠していたわけでもないのか」

「あなたが知りたがりそうなことは、たぶんほとんど知らないわよ。そもそもあんまり目立つことは好んでいなかったみたいだし、たまに町に迎えの人がやってきてはその竜に乗って、王都の方に出向く程度だったわ。私が子どもの頃には何度か一緒に連れて行ってもらったことはあったけど、そのくらいよ」

「家では竜は飼っていなかったの」

「ええ。私が生まれた頃に知り合いに引き払ったらしいわ。その代わりかどうかは分からないけど、同じ時期にこの土地ももらったみたい。昔はこの家もまだ建っていなくて、今お父さんがいる小屋の方に住んでいたのよ。厩舎だけはずっと変わらずにあるけど」

「ただの物置じゃなかったんだ」

 オーヴィーが来る前にも竜がそこにいたというのはあまり想像出来なかったが、思えば地面の土は柔らかくて大きな石なども埋まっておらず、整備されていた気配はあった。

「あなたが家を出て行ったおかげで、今じゃあそこにはヘラちゃんしか出入りしていないわね」

「それは悪かったよ」

「本当に悪いと思っているなら、どうにかしなさいよ」

「分かっているけど、もう少し待ってほしいんだ」

 クロードの様子を見て、母親は軽いため息を吐く。

「あなたは面立ちや振る舞いなんかは基本的にお父さん似だけど、妙に強情で意思が強いところは違うのよね。あなたのお父さんは、優しくていつも周りを気遣っている人だったわ。まったく誰に似たのかしらね」

 母親の愚痴を聞き流しながらも、クロードは窓のそばに歩いていき、外の方に意識を向けていた。足音と共に喋り声がかすかに聞こえてくる。

「そこの家で間違いありません。確かに帰ろうと思えば、帰ることの出来る距離ですから特に不審な点はありませんね。母親らしき人物が出てきていましたし」

 クロードはそれを聞いてほっとする。実際、家に帰っているわけだからおかしなことは何もない。しかし嫌味を言っていた男の声がする。

「でも私は忘れていませんよ。あの若い竜使いは自分が乗っていた竜に言っていましたよ。明日の朝に身体を洗ってやるって」

「それは明日の朝にまた家から詰所に行けば出来ることじゃないか」

「何よりさっき野生の竜のことを話されたとき、明らかに顔色が変わりました。取り繕っているつもりだったかもしれませんがバレバレです」

「それは私も気付いていたが」

「あの中で、野生の竜のことを知っている人間は二人いました。一人は今追っている若い竜使い。そしてもう一人はブティミルとかいうあの詰所の責任者です」

「彼はあまりそういった様子を見せていなかったように思うが」

「あれは動揺するほど無表情を保とうとするタイプの人間です。ずっとあいつのことを観察していたから自信がありますよ。野生の竜のことを話されたとき、一瞬だけ眉が動きました。間違いないですって」

「でも、これでもし野生の竜なんて本当はおらず、ベース家が適当に言った嘘であればとんだ恥晒しですよ」

「彼らに話してしまった以上、噂は広がるだろう。もう後には引けない。むしろ我々が見つけて捕えれば、彼らがいなくなって空いた側近としての地位の後釜に相応しい存在であるという証明にさえなるだろう。我々がベース家なんぞよりも優れていることをここで示すのだ」

 そんな話し声を断片的に聞き取り、クロードはやはり彼らが自分を怪しんでいたことを知ると同時に、相変わらずの自分の分かりやすさに落ち込む気持ちもあった。

「これからどうしますか」

「一度町へ戻るしかあるまい。暗い中を探しても見つからないだろう。この辺りのほとんどの人間が見たことがないのは本当のようだからな」

「それもそうですね」

 そう言って彼らは遠ざかっていく。クロードは彼らの声や足音が完全に聞こえなくなったのを確認してから、再び扉に手をかける。

「あら、もう行くの」

 母親が扉の方を見たときには、クロードは外に出て行っていた。

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