第25話 高邁な来訪者と詰所の番頭

 鍛冶屋を出て斜向かいの家に小包を届け、約束通りアマンドにバターピーナッツを買ってやってから詰所へ戻ると、日の長い夏日でもすでに太陽は沈みかけていた。

「お疲れさん。どうせこれから飲みに付き合わされるけど、明日の朝にでも身体を洗うよ。頑張ってくれたからな」

 すっかり上機嫌な様子のアマンドから降りたクロードは、そのまま厩舎に連れて行こうとした。しかしクロードは上空に気配を感じて、空を見上げる。するとそこには見慣れない竜が三匹ほど飛んでおり、その様子には既視感を覚えた。彼らが銀ボタン付きの上質なローブを身に着けていることからも、クロードの考えは正しいものと思われた。しかも彼らは詰所の前に降下してきて、ぴたりと綺麗にそろって着地する。そこには品格と荘厳さと、何より威圧感があった。

「そこの若い竜使いよ」

「はい」

 この場に他の人はおらず、その見事な着地もクロードに見せつけ、答えることを強要するためのものであろう。

「ベース家の人間がこの町に来ていたことは知っているか」

 早速飛んできた質問に、クロードは一瞬だけどう答えるべきか考えたが、さすがに隠せることでもないので「ええ、存じ上げておりますよ。なんでも山の方での害獣駆除のためだとか」と失礼にならないように気を付けながら答える。

「そうか。来ていたことは本当らしいな」

「でも、どうにも信じがたい話ですけどね。この大事な時期に、しかも彼らは王家に反目しているんですよ」

「もちろん私も鵜呑みにしているわけではないさ。ああ、キミ。詰所の人間にも話を聞きたいから、それを伝えてくれ。その賑やかな様子だと、仕事はとっくに終わっているのだろう」

「配達員なんて楽な仕事ですもんね」

「かしこまりました」

 クロードは言い返すこともせず、彼らを引き連れて建物に入る。

「どうした、クロード。遅かったじゃねえか、今日は吐くまで飲ませるつもりだって脅したからてっきり逃げ出しちまったのかと思ったぜ」

 もうすでに出来上がっているラッフェルが陽気そうに手をこまねくが、クロードの後ろから竜使いたちが入ってくると、彼を含めて配達員たちは一斉に口をつぐんだ。

「続けてくれて構わないぞ。ただ、少しばかりお話を聞きに上がっただけなんでね」

「ええ、毎日品のない宴会騒ぎをする田舎の竜使いを見る機会はあまりないものですから。じっくり観察させてくださいよ」

 そのあからさまな嫌味に、皆明らかに腹を立てていたが、すでに彼らが王都から派遣された役人たちであることは理解しており、「中央の輩がやっていることだって税の取り立てぐらいじゃねえか」と誰かがぼやく程度であった。

「我々はあなた方と違って酒の一滴も飲んでいる暇さえない。竜征杯に向けての準備や治安の維持に忙しいのだ。だから、こちらの訊くことにはさっさと答えていただきたい。ここで一番話の分かる奴は誰だ」

「聞きたいことがあるのでしたら、私がお答えしましょう」

 やはりいつものように奥の席で静かに飲んでいたブティミルが立ち上がって、役人たちの方へ歩いていく。

「皆さんは飲み直していただいて結構ですよ。お酒は楽しく飲むからこそ美味しいのです。多少の冷やかしが入ったぐらいで、無駄にしてはいけません」

「ほう。田舎の配達員風情がそんなことを言っていいのか」

 先ほどから嫌味ったらしいことばかり言っている男は目を吊り上げるが、ブティミルは少しも怯えることはなく無表情のままであった。

「おまえもその辺にしておけ。私たちは話を聞きに来ただけであって、喧嘩をしにきたわけではない。少々、無礼であったのなら詫びもさせてもらう」

「なんでこんな奴らに」

「彼とは少しばかり顔馴染みでな」

 すると男はブティミルの顔を見る。クロードも男と同様の気持ちであった。

「それで、何をお話しすれば良いのでしょう」

 ブティミルはあくまでも立ち話で構わないと言わんばかりに、彼らを席に案内することもなくその場で尋ねる。

「そこの若造にも聞いたが、ベース家の人間がこの辺りに来たのだろう」

「ええ。グレリン家の方だけでなく、我々のところにも顔を出してくださいましたよ」

「どのぐらいの期間、ここに居たのだ」

「三、四日程度でしょうか。この町の宿屋に泊まられておりましたよ」

「こんな田舎くさい町の宿屋なんかに泊まっていたのか」

 男の方はまだ嫌味を言い足りなかったようだが、実際それは驚くべきことでもあるのだろう。

「彼らの目的は」

「害獣駆除だそうですが、それはそちらも知っておられるはずですよね」

「実際のところはどうなのかと、聞いているのだよ。それぐらい分かるだろう」

「実際も何も、私たちはそれしか聞いておりませんよ。ベース家の方々に口止めをされたわけでもないですし」

「どうだかな」

「ベース家が王家と対立しているのは皆知っていますから、何か知っていることがあれば、あなた方に真っ先に話して恩の一つでも売っておくのが賢明だと分かっていますよ」

「なら、話を変えよう。彼らは具体的にどこに行っていたのだ」

「ここからさらに南下したところにある村の近くの山の方です。小麦畑がある地域のさらに向こうですね」

 それはクロードやヘラの家の畑がある辺りのことであった。

「その辺りでは害獣が出ていたのか」

「熊が出たと聞いておりますよ。その駆除のために政府から派遣されたのではないのですか」

 おや、とクロードは思った。確かにクロードも熊は見ており、クロードの祖父もそのようなことを言っていたが、それは誰もが知っていることではないはずであった。彼の情報収集の賜物なのだろうか。

「なるほど。ではもう一つだけここにいる配達員たちに聞こう。キミたちの中で、この辺りで竜を見たことがある者はいるか。どこかの厩舎から逃げたものでも竜使いの所有物でもない個体のことだ」

「おいおい、それって野生の竜ってことじゃねえか。まさかアンタたち、酔っぱらっているんじゃねえだろうな」

 間違いなく酔っぱらっているラッフェルは、遠慮のない失礼な物言いをする。

「酔ってなどいない。真面目に聞いている」

 それを当初はこちらに言おうとしていなかったことは、他の二人の戸惑った様子からも分かった。野生の竜の存在などもはや御伽噺のようなものである以上、そのことを真っ向からぶつけるのは、彼にとっても勇気がいることであっただろう。もしベース家の人間がでたらめを言っていたとしたら、とんだ赤っ恥である。

「特にそういった目撃情報は聞いていませんね」

 ブティミルは淡白に答える。質問した男は他の配達員たちのことも見るが、皆が寝耳に水といった様子で戸惑うばかりであった。

「そうか、話は以上だ。これにて失礼する」

 男が踵を返して詰所から出て行くと、他の二人も後に続いて出て行った。

 彼らが遠ざかったのを確認するや否や、配達員たちは口々に悪態をつき始める。

「ったく、これだから中央の連中は嫌なんだよな。どこに行っても、自分たちが一番偉いと思い込んでやがる。まあ、実際偉くはあるが」

「でもあんな嫌味を言われたら黙っちゃいられねえぜ。まあ、俺たちの仕事が多少楽なのは事実ではあるが」

 いつもの調子と比べたら微妙に弱腰なのは仕方のないことなのだろう。それよりもクロードは「ブティミルさん、すごかったですね。一歩も引いていませんでした」と彼に尊敬のまなざしを向けていた。

「あれ。お前、知らねえのか」

 するとラッフェルが千鳥足で近づいてくる。

「ブティミルさんはな、ただ、この詰所で一番偉いだけじゃねえんだぞ。俺たちは三流竜使いの家系の、しかも家を継がない次男や三男ばかりだが、ブティミルさんはれっきとした旧家の出の一流の竜使いなんだぜ」

「もう昔の話ですけどね」

 ブティミルはそう答えると、クロードに何気なく近づいてくる。クロードは何かと思ったが、そこで彼にだけ聞こえるほどの小声で「実はあなたのおじいさんにもご教授頂いたことがあるんですよ」と囁いた。

「えっ」

 クロードは唐突に言われて思わず声をあげてしまう。

「ん、急にでかい声を出してどうした」

「いえ、なんでもないです」

 クロードは慌てて首を振って、ラッフェルに否定してみせる。それからブティミルの顔を見る。すると、そこでは口角をあげて普段の様子からは想像も出来ないような悪戯っぽい笑みを浮かべていた。しかし瞬きをするともう無表情に戻っていた。

「今日はもう家に帰りなさい」

「帰るも何も、最近はずっと詰所で寝泊まりしているんですけど」

 クロードは戸惑う。

「酒の飲み過ぎは良くない。あんまり若いうちから毎日飲んでいると、身体を悪くしますよ。他の配達員たちには私から言っておいてあげますから」

 それは常識的な話でしかなく、全く返答になっていなかったが、そこでクロードはようやく、彼が突然祖父のことを話した上に家に帰るように促した意味を察した。

「分かりました。ありがとうございます」

「くれぐれも夜道には気を付けてくださいね」

 クロードは先ほどの役人たちと同じように詰所から出て行く。その背中越しに「おい、クロード。飲み直すのに付き合えよな」という声が聞こえてくるが、クロードはブティミルがどこまで知っているのか気になるばかりであった。

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