第23話 あの竜に乗るために

 しばらく暑さが続いたかと思えば、雷鳴と共に夕立が熱気を流していくような日々が続く。今年は雨量が例年よりも多く、畑の管理などは非常に繊細なものとなっている。しかしクロードはもうかれこれ一か月以上、畑に立ち入っていなかった。

 クロードが今いるのは山中である。雨でずぶ濡れになることもいとわず、獲物を待つ猟師のように小高い丘に植わっている茂みに腹ばいに伏せて息を潜めていた。目の前には桑の実が沢山生っており、甘い香りが漂ってくるほどであった。もう三十分ほどはそこでじっとしていたが、それでもクロードは特に苦痛を感じることもなく待ち続けていた。やがてさらに三十分ほどが経って通り雨が止んだ頃、遠くの空からあの見慣れた不格好に大きな翼を羽ばたかせる黒竜の姿を確認する。クロードは息を殺して、気配を無くすことを意識する。

 黒竜は周囲を警戒するようにしばらく上空をぐるぐると飛んでいたが、外敵がいないことを確認したのか降りてくると、桑の実のついた木の枝にむしゃぶりつく。余程腹を空かせていたのか無心で食べ続けており、クロードはしばらく放っておいたが、やがて辺りに生っている実をほとんど食べ切って満足した頃合いで、茂みからほとんど音を立てずに出て行く。

 黒竜は緊張の糸が緩んでいたのか、出てくるまでクロードのことには全く気付いていなかったようで、明らかに身体を震わせて驚いた様子だったが、それでもすぐに翼を広げて威嚇してくる。

「聞いた話だと、中央にも野生の竜の話が伝わっているそうだ。ベース家の次期当主の火傷痕からも信憑性もある。だから今度派遣されてくるとしたら、もっとちゃんとした装備を身に着けた竜使いたちが来ると思う。あいにく、竜征杯も近づいていて皆忙しそうにしているし、何より怪我は避けたいだろうから、今すぐに来るというわけではないかもしれないけど」

 竜征杯があるからといって、自治や外交をおろそかにするわけにはいかない。毎回、竜征杯の時期は他国からもちょっかいを出されやすく、良からぬ輩もその隙に乗じて事件を起こしており、それらの鎮圧活動が積極的に行われていた。だからこんな田舎の山の害獣駆除のためにわざわざ人員を割くとはあまり思えなかった。

 黒竜はクロードが話していたにもかかわらず、耳を傾ける様子もなく、再び吼えると今度は威嚇ではなく本当にクロードに襲い掛かってきた。クロードはそれを背中に挟んでおいた、薄い鉄板のような安物の盾でいなす。さらにその後も、すぐに背中の方に振り向いて二次襲撃に備えるが、満腹で休みたかったからか、黒竜はどこかへ飛んで行ってしまった。

「あいつにだけは、未だに乗れる気配さえないな」

 クロードはため息まじりにそう呟く。



「おはようございます」

 すでに昼過ぎであったが、クロードがそう挨拶をして入っていくと、いつものように自分に割り当てられている棚の方に向かう。

「重役出勤とはずいぶん偉くなったもんだな」

 すると詰所の奥では、顔がすっぽり入りそうな大きさのジョッキを片手に持ったラッフェルがいた。

「また昼間から飲んでいるんですか。少しは身体に気を付けた方が良いですよ」

 クロードは呆れ交じりに言う。

「身体なんか気にして、酒が飲めるか。それに、俺は昨日の夕方から出かけて届け先で一泊してさっき帰って来たんだよ。仕事終わりに酒も飲まねえなんて、人間のやることじゃねえだろ」

「それはお疲れ様です」

「おまえは知らないだろうから教えてやるがな、丁度今頃ぐらいから秋にかけて段々と忙しくなってくるんだぜ。収穫期になれば、何かと入用になるからな。だから身体の心配をしてくれるぐらいなら、おまえが俺の分まで働けばいい」

「それは嫌ですね。ちゃんと給料分働いてください」

「けっ、生意気になって戻ってきやがって。帰ってきたら吐くまで飲ませてやるからな」

 ラッフェルは顎を突き出してしかめっ面を浮かべると、ジョッキを一気に煽った。

「クロード」

 やはりいつもと変わらずに黙々と書類整理をしていたブティミルが彼に声をかける。

「ついでにこれも頼めるか。届ける家のすぐ近くにある鍛冶屋だ」

「分かりました」

 クロードはやたら角ばった小包を受け取り、そのまま出ていこうとするが、扉に手をかけたところで「うちの竜の扱いには慣れたか」と訊かれる。

「ええ、おかげさまで。ただ、アマンドだけは時々ぐずりだして困ることはありますね。気難しいとは聞いていましたけど、予想以上でちょっとてこずっています」

「今から飛べそうなのはアマンドしかいないぞ」

「えっ、そうなんですか。でも、むしろ良かったかもしれません。今日はまだ届け先が近い方ですから、慣らすにはいい機会です」

「いずれにしろ、仕事はちゃんとこなしてくださいね」

 ブティミルはそれだけ言うと、また作業に戻った。

 クロードが厩舎に行くと、神経質そうな顔の竜が、まだら模様の付いた痩せた身体を落ち着きなく揺らしているのが見えた。

「アマンド、仕事だ。今日はよろしくな」

 クロードに気付いたアマンドは、さっそくキーキー鳴き出すので、先ほどまでラッフェルが乗っていたと思われる竜もまどろみから覚めてしまう。

「落ち着けって。取って食ったりするわけじゃないだろ。しかも今日は近いからすぐ終わるぞ」

 そう言いながら、クロードはどうにか手綱を引っ張って厩舎の外に出すと、アマンドがさらにうるさくなる前に、背中にさっと乗る。しかしまだ地上でぐずぐずしていたので、「ほら、さっさとしないと日が暮れるぞ」と掌で背中を叩く。するとようやくアマンドは空に飛び出した。

 段々と町から離れて飛行も安定してきたところで、クロードは大きく息を吐いた。

 黒竜を追いかけに出かけてから数日後、配達員の仕事に戻ることにした。自分でやめると言い出したにもかかわらず、復帰することをお願いしに行くのは図々しいとは思ったが、なりふり構わずにいこうと決めていたので、さほど気後れはしなかった。

 復帰しようと思った理由はいくつかある。まずはお金の面だ。稼げるのであれば、やはりせっかく持っている竜使いの資格は生かすべきだと考え直した。そしてもう一つは、なるべく多くの竜を乗りこなせるようになるためであった。こちらが主な理由であり、一人前の竜使いになるためには、どんな竜をも乗りこなすことが出来なくてはならないと思ったからだ。最初は緊張もしたが、意外にもさほど時間はかからなかった。オーヴィーに乗っていたことで、竜に乗ること自体は慣れており、その違いといえば身体の大きさと気性ぐらいであった。そして他の竜に乗ることで、いかにオーヴィーが自分に気を許してくれていたかがよく分かった。一匹ずつそれぞれ性格も異なり、それを理解してプライドを傷つけないようにしながら、手懐けなくてはならなかった。わざわざ竜たちの性格や趣向を知るために餌やりや掃除なども率先して引き受け、そこから詰所に寝泊まりして生活することになったが、そのおかげでわずか一か月足らずで厩舎にいる全ての竜に乗ることが出来るようになった。他の配達員の中には、竜との相性が良くないから一部の竜には乗れないという者もいるぐらいで、短期間で全ての竜に乗れるようになったクロードは、周りから一人前としての扱いを受けるようになってきていた。

 しかしそれでも全てが順調というわけではない。例の野生の竜には、背中に乗ることはおろか、いまだに敵視されているようであり、吼えられなかったことは一度もない。おかげで鍛冶屋に行って攻撃を防ぐための盾を買わなくてはならなかった。その際、竜に乗らない新米の一兵卒でも買わないような安物を購入したことで、鍛冶屋の店主からは奇異の目を向けられた。クロードが生まれてから大きな戦いは一度もなく、徴兵されて戦場で自分が戦うことは想像出来なかったが、確かに簡単に貫かれそうな薄っぺらの鉄板ではあまりにも心もとない。実際すでに黒竜のかぎ爪によって三本線が入っており、端も欠けている。今日を含めてあれから四回ほど遭遇できたが、その辺の竜と違って人に慣れていないからなのか、なかなか懐かない。もう少し距離を縮めるには何かきっかけが必要なのかもしれないと思われ、クロードはその方法をずっと考えており、今も思案していた。

 そこで突然、アマンドがまたキーキーと鳴きだしてぐらぐらと身体が揺れた。クロードは慌てて背中のこぶを掴む。アマンドはクロードの方を向いて、何やら喚いている。クロードは何か周囲に異常があったのかと思って見渡すが特に何もなく、少ししてからそれが自分への抗議の意を唱えるものであることに気付く。

 アマンドは、自分は乗り手の言うことを中々聞こうとしないくせに、乗り手が常に自分に注意を向けてないと不満がるのだ。我儘とも言えるが、飛行に集中すること自体は重要である。

「そうだな、考え事をしていたことは悪かったよ。向こうに着いたら、おまえの好きなバターピーナッツを買ってやるから許してくれ」

 するとアマンドはピィーピィーとひと際高い声で鳴き、翼をさらに羽ばたかせて加速する。クロードはどうにも自分が竜に対して厳しくなり切れないことを改めて自覚し、それゆえにあの黒竜も手懐けられないのだろうかとまた考えるのだった。

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