第22話 本当の竜使い

 外はもうすっかり暗くなっていたが、クロードの家の前にはヘラが立っており、クロードの姿を確認するや否や、彼に駆け寄る。

「一体どうしたのよ、それ」

 クロードは顔や身体にこびりついていた血は家の近くの小川で濯いだが、それでも全ては洗い切れておらず、さらには身体のそこかしこに青痣が出来ていた。

「あなたが竜を追いかけて行ったと聞いてからずっと待っていたのよ。もしかして追いかけている途中で山から転げ落ちでもしたの? ちょっと待ってなさい、家から救急箱を持ってくるから」

「持ってこなくていい」

「えっ」

 彼女はまさか断られるとは思っていなかったようだ。

「じいちゃんは今どこにいる」

「たぶん家だと思うけど。ベース家の人たちが報告に行っていたみたいだし」

「彼らはもう帰ったのか」

「ええ、随分前に竜に乗って去って行ったわよ。そんなことより身体を診させてちょうだい。質問はそれからでいいでしょ」

 しかしクロードは離れの方に歩き出しており、「ちょっと、待ちなさいって」とヘラはクロードの前に立とうとするが、「どいてくれ」と言って彼女を押しのけてしまう。ヘラはクロードのいつにない強引さに戸惑いを隠せない様子であった。

 そのままクロードは祖父の家の扉を叩き、中に入る。祖父は家の中で、窓際の椅子に腰を下ろして紅茶を飲んでいたが、クロードたちに気付くとゆっくりとそちらを向いた。

「じいちゃん、話があるんだ」

「ふうむ」

 傷だらけのクロードが突然入ってきても、彼の祖父は至って落ち着いていた。

「じいちゃんは頼みに来たベース家の人たちに、野生の竜を保護したら竜を扱う技術を教えに行っても良いと返事をしていたよね」

「ふうむ」

「たとえば、それを彼らじゃなくて僕が出来たら、その権利を僕にくれないかな。僕があの竜を連れて来られたら、数十年前に竜征杯で活躍した竜使いに僕が教えを請いたいということなんだけど」

 そこで祖父はいつもの相槌ではなく、「何を教わりたい?」と尋ねた。

「どうやったらあの黒い竜に乗れるようになるのか」

 クロードはためらうことなく言った。それを聞いたヘラは言葉を失い、クロードも祖父も一言も言わずに沈黙が流れる。しかしやがて祖父が再び口を開き、「あの竜に乗りたいのか?」とクロードに尋ねた。

「正直、自分でも分からないんだ」

 クロードは素直に答える。

「でも、ベース家の人たちが、あの黒い竜を追い詰めているときに思ったんだ。飼われている竜にはない闘争心を持っていたにもかかわらず、良いようにされていた。でも、もし背中に竜使いが乗っていてあいつを導いてやれたら、あんな風にやりこめられることもなかったんじゃないかって。それで、例えばあの背中に僕が乗っていてもいいんじゃないかって、思ったんだ」

 クロードはどうにか言葉を繋ぎながら話す。

「わしが見かけたときは、向こうの山の滝下で水浴びをしておったな」

 それは脈絡のない話の転換に聞こえるかもしれないが、クロードには祖父が自分の考えを完全に理解してくれているのだと分かった。

「有難いけど、どうして教えてくれたの。ベース家の人たちには言ってなかったじゃないか」

「わしが話す前に行ってしまったんじゃよ」

 それが本当かどうかは分からなかったが、これ以上聞いても意味のないことだと考え、クロードは「分かった」とだけ言うと、祖父の家をあとにした。

「何が分かったの? これからどうするつもり? 家に帰るんだよね?」

「一旦は帰るよ」

 二人の会話の意味を理解出来ていないヘラが矢継ぎ早に聞くので、クロードは静かに答える。

「一旦ってどういうことよ」

「帰って支度をしたら、また出かけるのさ」

「もう夜よ。何言っているの」

「今ならまだそんなに遠くまでは行ってないはずだ。怪我もしていたし、どこかで休んでいるに違いない」

「ちょっと落ち着きなさいよ。あなただって怪我をしているのに、夜の山に入るなんて危険極まりないわ。今日は、いえ、しばらくは大人しくしているべきよ」

「僕は行くよ」

 クロードはその固い意思を告げる。

「どうしてそうまでして、野生の竜なんか追いかけないといけないのよ。あなたにはオーヴィーがいるじゃない。あの子もすごく心配していたのよ。ずっとあなたを探しに行こうとしていたけど、まだ無理は良くないからって私が止めていたの。今だって、厩舎で待っている。あなたの顔を見たらきっと安心するわ。会いに行きましょうよ」

「心配をかけたのは済まなかったよ。オーヴィーにもそう伝えておいてくれ」

 するとヘラは眉間にしわを寄せて、クロードの肩を強く掴んだ。

「なんでそんなこと言うの。どうしてオーヴィーに会ってあげないのよ。オーヴィーはずっとあなたを待っていたって言っているじゃない。それとも、何? あの子が他の竜に負けて、怪我をして、少しばかり上手く飛べなくなったら、もうどうでも良いわけ? そんなのって、あまりにもひど過ぎるんじゃない」

 ヘラはその怒りをクロードにぶつける。クロードはそれを聞いて少しだけ黙り込んでいたが、やがて「分かった。オーヴィーには直接話そう。これまでだってずっとそうしてきたからね」と意を決した顔つきで厩舎に向かおうとする。

「話すって何をよ」

 しかし丁度そこでオーヴィーがドタドタと厩舎の方から走ってくるのが二人には見えた。そして二人の前に着くと、悲しそうな顔をしているヘラと表情の見えないクロードを順々に見た。

「オーヴィー」

 クロードが呼びかけると、オーヴィーはいつもよりも少しだけ低く鳴いた。

「これから僕が言うことに返事をしなくてもいい。むしろしないで欲しい。これは僕の意思で決めたことで、たぶんずっと前から思っていたことなんだ。でもそれを認めてしまうのは本当に怖かった。自分が薄情な奴だと認めることになるから。でも、言うよ」

 そこで初めてクロードは顔を歪ませた。黒竜に叩きつけられたときよりもずっと痛そうな表情であった。

「僕は本当の意味での竜使いになりたいんだ。これまでおまえとずっと一緒だったけど、歳を重ねるごとに僕らの目指す場所はずれてきているように思うんだ。いや、もしかしたら初めから全然違ったのかもしれない。おまえが僕に付き合ってくれたのは、おまえの優しさに他ならないし、それに甘えていたからこそ、おまえをひどく傷つけることになった。避ける方法はいくらでもあったわけで、だからその身体の傷はグレッグじゃなくて僕が負わせたものだ」

 クロードはオーヴィーのまだ青い斑点の残った身体を、暗がりでもしっかりと目視する。

「覚えていると思うけど、王都で競竜場に行ったとき、おまえは競争する竜たちではなく合唱団のことを夢中で見ていたよね。僕はそこで確信したんだ。これまでオーヴィーはずっと僕に合わせてくれていただけなんだって。普段の練習のときから、薄々分かってはいたけど、でもそれを認めたくなくて、だからグレッグとの勝負を受けた。意地になっていたんだ。おまえは賢いから、たぶんそれも分かっていたんだよな。全部理解した上で僕に協力してくれていたんだろ。そう、そんなおまえならもう分かるはずだ。僕はおまえを傷つけるだけつけて、そのまま二度と乗らずに捨てるようなことを、これからするつもりなんだ。僕は自分の行動を正当だとは思わないよ。だからおまえも許さないで欲しい。その上で、僕が自分で選んだことだから、そのせめてものケジメとして、これ以上おまえには頼らないつもりさ。話はこれで終わりだ。聞いてくれてありがとう。もう行くよ」

 それからクロードはヘラの方を向くと、「勝手なことは分かっているけど、オーヴィーのことを時々でも良いから見てやってくれ」と言った。

「何言っているの、本当に勝手が過ぎるわよ」

 彼女は言い返すが、それでもクロードの内心を知って衝撃を受けていたようで、その言葉に力はなかった。

「なんで、そんなことを言うのよ。一体どうしちゃったの。あなたとオーヴィーは私が嫉妬しちゃうぐらい大の仲良しで、あなたがオーヴィーのことを今も深く愛していることぐらい分かっているに決まっているじゃない。これからも三人でずっと一緒にいられると思っていたのに」

「だとしたら、悪かったよ。期待を裏切って」

 クロードは謝りこそしていたが、その足を止めることは無かった。

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