第21話 洞窟にて
目で追いかけていた黒竜の姿は山の裏手に消えたが、クロードは山の中をひたすらに駆けていた。近所なので勝手は分かっていたため、あっという間に山の中腹まで登り、尾根を伝うことで、黒竜が消えていった辺りに行き着く。
クロードは息を整えるために一度立ち止まりながら、周囲を見渡す。近くの木々がいくつも倒されているのと、それに加えて明らかに大きな動物の足跡を見つけると、自分の認識が間違っていないことを再認して、また歩き出した。
クロードには黒竜の居場所の目星はおおよそついていた。少しばかり茂みの中に入って歩いていくと、丁度茂みが深くなったところに屋根のように突き出た岩があり、その下にはそれなりの広さの洞窟があった。以前は山に入ったときに涼しいのでこの場所を休憩所、もしくは秘密基地のように使っていたこともあったが、あるとき熊が居付いているのを見てからは近づくのを止めていた。川で見た熊も、もしかしたらそのときのものだったのかもしれない。ともかくここであれば、空から探し回っていたベース家の人々が見つけられなくても無理はない。
そしてそこに潜んでいることは、洞窟前の草むらに踏まれた跡があることや、まだ真新しい血が何滴も地面に落ちていることから明らかであった。手負いの野生の動物ほど怖いものはない。しかしそれでもクロードは足を踏み入れていく。
洞窟内に入ると、鎖が岩にぶつかる音が鳴り響いていた。だからこそクロードはあえて足音を大きく立てていたのだが、興奮した様子の黒竜はクロードの姿が見えてからようやくその存在に気付く。
黒竜は大きく口を開けて咆哮する。クロードは両耳を塞いだが、それでも頭が揺さぶられるほどであった。当然だが警戒されており、これ以上近づけばさらにひどく暴れ出すだろう。クロードがここに来たのは勢いでしかなく、特に手立ても妙案もない。黒竜はずっと彼を睨んでいる。
だからといっていつまでもこうしているわけにもいかない。ひとまずクロードは両手をあげて、そこに何も持っていないこと、丸腰であることを示そうとした。しかし手をあげた瞬間、何か仕掛けてくるとでも思ったのか、黒竜は低く唸ると翼で辺りの小石を飛ばす。クロードは腕で顔を守りながらも、出来るだけその体勢を維持しようとする。少し経ってようやく収まったので、クロードは口を開いた。
「僕はおまえに危害を加えるつもりはない」
しかし言葉の意味が伝わらないらしく、威嚇で返される。しかしそうしてもクロードが逃げ出さなかったからか、黒竜は怒った様子でクロードに襲い掛かる。クロードは腕で受け止めようとしたが、その重量差ゆえに数メートルは吹っ飛ばされて地面に身体を打ち付けた。それでもクロードがすぐに立ちあがれる程度で済んだのは、黒竜の足と翼にはまだ鎖と網が絡みついていて、勢いが出せなかったからだ。
「あまり動かない方が良い。鎖や網が余計に絡まって外れにくくなるし、傷を痛めるだけだ」
クロードは諭すように言う。しかし黒竜は全く聞き入れる様子はなく、さらに追撃に鎖の付いていない翼でクロードのことをはね飛ばした。クロードは先ほどと同様に飛ばされ、その際に腕にどろりとした赤黒い血がつくが、それは黒竜のものであった。
「だから無闇に動かない方が良いって言っているじゃないか」
しかし黒竜は興奮した様子で暴れ続けるので、クロードはやむなく一旦距離をとる。
こちらの意図を理解してもらうことはおろか、近づくことさえままならならず、クロードはどうすべきか考える。その間にも、黒竜はクロードに襲い掛かってくるので今度は転がるようにしてそれを避けた。鎖を地面に引きずる音が洞窟内に響き渡る。
クロードは周囲を見やる。突き出た岩がいくつかあり、それに当たればさすがに危ないので気を付けなくてはいけないと考えるが、そこで打開策を思いつく。あまり上手くいくとは思えなかったが、そうこうしている間にもまた黒竜は迫ってきているので、さらに横に避ける。狭くて動きづらそうにしているのと慣れてきたこともあって、もちろんその全てをというわけではないが、クロードはこの短時間で上手く避けられるようになってきていた。
それからまた何度目になるか分からない翼での斬撃が飛んでくる。クロードは突き出た岩にぶつかりながらも、黒竜の足元の方にすり抜けるように躱そうとした。しかしそうはさせまいと、黒竜はクロードに翼を追っ付けるように動かす。すると先ほどまでとは異なり、ガキンと金属音が鳴り響くのとともにその動きが途中で止まり、黒竜は悲鳴をあげた。
突き出た岩に鎖が絡まったのだ。思った以上に上手くいったことにクロードは驚きつつも、荒れ狂う黒竜に「落ち着いて」と呼びかける。しかし暴れるのをやめず、余計に絡まるばかりである。仕方がないので、その間にクロードは慎重に岩に近づいていく。そのまま岩の前に行き着き、鎖に触れようとしたが、そこで暴れていた黒竜の尻尾が飛んでくる。クロードは防ぐ間もなく、張り倒され、さらに壁に身体を思い切り打ちつけられた。
黒竜はそれでもなお、暴れ続けていた。クロードはピクリとも動かなかった。しかしやがて地面に転がる鎖の端を掴み、のっそりと立ち上がる。黒竜はそれを見るとまたしても吼えたが、クロードは怯えることも逃げることもせず顔を上げた。
「落ち着けと言っているだろ」
彼の顔は血でべっとりと塗られていた。先ほど壁にぶつけた頭から流れ出たものであったが、クロードは患部を押さえることもせず、ただそこで立っていた。黒竜はまだ暴れるのをやめず、またもやクロードに翼で攻撃しようとするが、クロードはそれを避けようともせずに血塗れた目を見開き、当たる瞬間に巻き付いていた鎖を掴み直した。再度跳ね飛ばされるが、手にしていた鎖は離さず、そのおかげで翼への巻き付きが少し緩んだ。地面に転がったクロードはすぐに起き上がると、全くふらついた様子もなく黒竜に近づく。
黒竜はまだ暴れていたが、動きやすくなったのにもかかわらず、明らかにその勢いはおちていた。そこでクロードは持っていた鎖をぐるぐる回すと、翼から完全に外れた。
「足の方も外すから、大人しくしてろ」
クロードは黒竜の目を見る。互いに目が合うと、そこで初めて黒竜は動きを止めた。
「そうだ。それでいい」
クロードはゆっくりと右足に近づいていく。鎖の絡まる右足は血がついており、それは以前クロードの祖父が看護したであろうボロボロの布切れから滲んだものであった。
「大丈夫だ、傷つけるようなことは何もしない」
そう言ってクロードが手を伸ばすが右足に触れた瞬間、黒竜は身体をびくつかせるように動かし、そのずんぐりした足でクロードのことを蹴飛ばした。しかしクロードはやはりすぐに起き上がり、黒竜の目を見ながら、「大人しくしているんだ」と静かに言う。そしてクロードが再び右足に触れると、今度は彼のことを蹴らなかった。クロードはそこでようやく黒竜の目から視線を外し、まずは上にかかっていた網を隠し持っていた石を使って素早く切り離した。黒竜は尖った石を見てびくりと反応するが、クロードはすぐにその石を遠くへ投げ捨ててみせる。それから翼のときにしたのと同じように、黒竜の足を痛めないように慎重に鎖を外していき、さらに着ていたチュニックを脱ぐと、それをボロ切れの代わりに患部に巻き付けた。
「これで終わりだ」
クロードは鎖をジャラジャラと引きずらせながら言った。黒竜は戸惑っていた様子ではあったが、決して警戒を解いたわけではなく、クロードをじっと見ながらも少しずつ歩いて離れると、やがて地面を力強く蹴り、洞窟の外へ飛んでいった。それを黙って見送っていたクロードであったが、黒竜の姿が完全に見えなくなったところで、その場に倒れこんだ。
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