第20話 野生の竜

 するとさらに吹いていた風は強くなり、対岸の木々がめきめきと音を立てながら倒れていくのが見えた。以前、木々を倒して通れるだけの道が出来ていたにもかかわらず、そこを全く使わない辺り、倒していることすら気にしていないようだ。

 数匹の竜が横に並べられるほどに横長の黒い影が目に入ってくる。そしてそれは迫りくる壁のように周囲のものをへし折りながら川辺までやってくると、開けた大口を上に向けて、地響きのような鳴き声をあげた。

「すごい、これが野生の竜なんだ。歪で、不整合で、特有の荒々しさがあって、本当に素晴らしいね」

 クロードが前回見かけたときは月明りの下であったが、白昼で見るとその真っ黒な身体に大きくて不揃いな両翼、さらにはところどころ白線の入った腹と先の尖った尻尾など、その全貌が細部までハッキリと見えた。ハンナの目は吸い込まれるようにその黒竜に魅入っており、竜の方に近づこうとさえしていた。

 しかしそこでオーヴィーはすかさず二人の前に立つと、黒竜に向かって鳴いた。そこで初めて黒竜はオーヴィーの方を向き、二匹の竜が対峙する。青いつぶらな瞳を持った滑らかな明るいピンク色の肌の小さな竜と、暗く淀んだ赤色の瞳にごつごつした黒色の身体の大きな竜は、まさに対照的な存在であった。

 二匹は少し見合ったかと思うと、黒竜は威嚇するように翼を大きく広げて唸る。しかしオーヴィーは一歩も引かず、緊張した面持ちではあったが、気圧されることなく鳴き返す。それは二匹が何か話しているようにもクロードには見えた。

 そこで黒竜が地面を蹴ると、周囲のものを吹き飛ばすように翼を羽ばたかせ、川岸に敷かれている砂利が襲い掛かるように飛んでくる。そして先ほどと同じように、今回ははっきりとその敵意を剥きだしにして、再び大口を開けて吼えた。その音圧だけで身体が飛ばされそうだ。

「オーヴィー、引くんだ」

 クロードは来た道を引き返そうとすることで、まだ身体の癒え切っていないオーヴィーを誘導する。もっと間近で見たい気持ちもあったが、さすがにこの状況ではオーヴィーの身を案ずるべきだと思い直した。

「ほら、ハンナさんも早く」

 ハンナは小石が飛んできてもなお、黒竜の一挙手一投足を食い入るように夢中で見ていた。そんなハンナに黒竜が近づいていたが、そこでまたその間を割って入るように別の竜が飛んでくる。

「まさか本当にいたとはな」

 その竜に乗っていたのはロリアンであった。さらに彼の仲間の二人も、すかさず上から回り込んで黒竜を取り囲む。

「もう少し警戒心を持て。おまえは竜のことになると、前のめりになりすぎる」

「だって野生の竜だよ。今じゃ全く見かけることのない貴重な存在じゃない。私も実際に自然界で暮らしているものを見たのは初めてよ。こんなものを間近で見られるなんて、興奮するに決まっているじゃない。あの身体は何? 岩のようにごつごつしていて養殖のものとはまるで異なるのは、やっぱり昔の竜が皆ああだったからなのかしら。それにあの異様なほど横に広い翼は、効率良く飛べるものなの? それを支えるために筋肉は相当付いているみたいだけど、その付き方も不揃いだし、逆に重くなって飛びにくそう。でもさっきの飛び方を見たところ、特に問題もなさそうだし……」

「いい加減にしろ」

 ロリアンたちがせっかく間に入ったにもかかわらず、黒竜のことをよく見ようと前に出るので、彼はその首根っこを掴み、力づくに引きずって距離を離す。

「おまえの思いつきに付き合って、数十年も昔に腕を振るった竜使いにちょっとばかし来てもらうように頼むつもりが、いるのかも分からない害獣駆除の依頼で三日も費やしたせいで、仕事も溜まっているんだ。さっさと済ませて帰るぞ」

「思いつきじゃないって何度も言っているじゃない」

「どうだかな。確かに野生の竜は実際にいたが、ただ体よく使われているようにしか思えん」

 ロリアンはそんな愚痴をこぼしながらも、その目はずっと黒竜を捉えていたが、それは吼える竜を前にしては冷めすぎているほどであった。

「我々が何故名家と呼ばれず旧家と呼ばれて久しいか。それは他家と比べて規模が小さく、財力も無いからだ。しかしそれでも王の側近として働けたのは、一時の感情に左右されることなく、与えられた仕事を忠実かつ速やかにこなしてきたからに他ならない。そしてそうすることが出来たのは、数は少なくとも冷静な思考と判断力を持つ人材を育成してきたからだ」

 ロリアンはそこで右手をあげた。まず仕掛けたのは、黒竜の右側に回り込んだ竜であり、素早く黒竜との距離を縮める。それに気づいた黒竜はそちらを向くと、その大きな翼で風を起こして迎えるが、するとロリアンも接近していく。

 そうなれば、黒竜が距離を取るためには左方しかなくなるが、当然そこにも同じように詰めている竜の姿があった。しかしその竜は取り囲む三匹の中で最も小さく、黒竜は吼えながらそちらに突進していく。それをその竜は直前で上に飛んで避けた。黒竜にとって予想外のことであったのかどうかは分からなかったが、ともかくそれは不発に終わり、少しばかり体勢を崩し、そこにすかさず他の二匹の竜が詰めてきている。クロードはベース家の竜が避けたことで黒竜の目下が空いたので、そこから逃げていくかと思った。ところが、あろうことか黒竜は反転して追撃してくる二匹の竜に真っ向から挑んでいく。

「なめられたものだな。それとも野生の本能か」

 ロリアンの竜は、先ほどの竜と異なり、猛然と迫る黒竜を正面から迎えた。黒竜はやはりその大きな翼を使って叩き落とそうとするが、それを十分な距離をとってかわすと、懐に入り込んで脇を狙う。しかし咄嗟に翼を折り畳むことで黒竜は脇腹を守って衝撃を吸収し、さらに再び広げ直すことでロリアンの竜の身体を大きく外に押し出す。

「ふむ、やはりその大きな翼とそれを操る筋肉が武器のようだな」

 長い翼をもつ竜に対して、翼の付け根や懐を狙うというのは有効な手立てに思えたが、それをいなすだけの力は持っているようだ。もう一匹の竜も同じように懐を狙ってみるが、どちらの翼であっても動きに遜色はほとんどない。そこでさらに先ほど上に避けた竜がその小さな身体のすばしっこさを生かして、首筋を狙おうとするが、黒竜は身体をぐるりと宙返りさせ、その勢いで尻尾を振って太刀打ちする。竜使いが乗っていないからこそできる、身体を存分に使った立ち回りをみせ、三匹を相手にしても渡り合っていた。クロードはその野生ならではの荒々しくも力強い動きに目が離せなかった。

 しかしロリアンはそれでも攻撃をやんわりと躱し、淡々と何度も繰り返し仕掛け続けた。そして繰り返すにつれて、徐々に黒竜の動きは大振りで雑なものになっていく。攻勢なのは変わらず黒竜の方であり、ロリアンたちはろくに黒竜の身体に傷一つ付けられていないが、それこそが彼らの手腕によるものだとクロードには分かっていた。彼らからしてみれば黒竜は倒すべき敵ではなく、保護する対象であり、本気で攻撃を当てるつもりはないのだ。

「野生の竜を相手にするのは初めての経験であったが、正直なところ拍子抜けだな。ひたすら目の前の相手に攻撃し続けるだけの一辺倒なのだから造作もない。少しぐらい力があったところで、それを使いこなす竜使いがいなければ、大した脅威にはならないということか。さあ、そろそろおしまいにしよう」

 ロリアンは自ら黒竜に近づいていく。今回はそれまでののらりくらりとした動きとは異なり、鋭く懐に飛び込んだ。黒竜は当然翼で脇を守ろうとする。しかしロリアンはその翼の下を潜り抜けて、黒竜の足元に出ると、そこで彼は自分の着ていたマントの裾をあげ、腰に巻き付けていた鎖付きの縄をほどき、黒竜の右足に投げつけた。するとそれは見事に足に巻き付き、黒竜は引きずられてバランスを崩す。さらに左に居た別の竜使いが同じような縄を持って、今度は下方から迫っていく。さすがに両足を封じられてしまうわけにはいくまいと、ロリアンのことは一旦無視して、そちらを右の翼で捌こうとする。しかしそれはロリアンたちの思うつぼであり、捌こうとした右の翼をめがけて鎖付きの網を投げつける。ただ今度は、足のようには綺麗に絡まらなかったので、黒竜はやみくもに翼を振りまわして外そうとする。しかしそれもロリアンたちにとっては、全く問題のないことであった。

 黒竜が顔をあげたときにはもう遅かった。三匹目の竜、最も小さい竜に乗った竜使いがどこからともなく取り出していた大きな網を被せると、さらに荒縄でぐるぐると何重にも巻きつけていく。黒竜は暴れまわるが、片足と翼が不自由なので、それを抜け出す手立てはなかった。

「とりあえずこのまま連れていけばいいか」

 黒竜を捕えても、ロリアンは特に感慨に浸るわけでもなく、事務的に降下しながら引っ張っていく。

「二人ともご苦労だった。もちろんまだ完了したわけではなく、さらに言えば時間をかけた上に成果が全くない可能性も危惧しているのだが、どうなることやら」

「ロリアン様!」

 それは小さな竜に乗っていた竜使いの叫び声であった。ロリアンがそちらを向いたときには、すでに彼の目の前がオレンジ色に染まっており、一瞬にして熱くなった鎖の端を手放していた。幸いすぐ近くに川があったので、ロリアンの乗っていた竜は悲鳴をあげながらもそこに飛び込んですぐに消火した。残りの二人も突然の炎によって怯まされ、その間に黒竜は荒れ狂うように暴れることで、焼け焦げた網と鎖を纏いながらも自由を得る。そして森中に響き渡るような雄叫びをあげると、山の方に去っていった。

「大丈夫ですか」

 二人は地面に降り立つと濡れることも構わず川に入っていく。

「平気だ。むしろ大げさなぐらいだ」

 水に浸かっていたロリアンが起き上がる。炎を真っ向から浴びたわりには、その右手の甲と顎の辺りが少しただれているだけで、他の部位は特に問題はなさそうであった。

「すみません、完全に油断しておりました」

「いや、油断していたのは私の方だ。まさかあの竜が火を吐くとは思わなかった」

「これからどうしますか。我々だけでも後を追いかけましょうか」

「いや、追わなくていい。これ以上、下手に刺激すれば吹き出した火が森の木々に燃え移って山火事になる恐れがある。村の方にまで被害が及べば、我々だけでは対処出来ないし、ましてや王家の許可も得ずに勝手にやったことが明るみになれば、責任を問われることになる。そうなれば、竜征杯の出場も取り消されるかもしれない」

 あくまでもロリアンは冷静に判断をする。

「ハンナ、帰るぞ。これは王家へ正式に申し立てしなくてはならないことだ。いくら王家と我々が良い関係ではなくなっているとはいえ、国の治安のことであり、放置しておけばいずれ何かしら良くないことが起きるかもしれない。特に竜に関することで庶民に悪い印象を抱かせるようなことになっては、竜使いの沽券にかかわる」

「それなら私だけでもここに残っては駄目かしら」

「あの竜を追いかけるつもりか。そんな場合ではないと話しているのを聞いてなかったのか」

「それは聞いていたわよ。でも、あの竜使いの少年が、いえ、もう少年とも呼べないかもしれないけど、ともかく彼が行ってしまったのよ」

「何だと?」

 ロリアンは辺りを見渡す。するとようやくクロードの姿が無いことに気が付いた。

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