第17話 来訪者と祖父のこと
「ちょっと外に出てくる」
「オーヴィーを見に行くの?」
すでに外は暗くなっていたが、家にはヘラがいた。ここのところ、以前にも増してクロードの家にやってきては家事を手伝っていた。それは本当にありがたいことであり、彼女には頭が上がらない。
「ん、まあ。そんなところ」
しかしクロードは適当な返事だけして、そのまま出て行ってしまう。
「ああやって言うってことは、違うってことですよね」
ヘラはため息交じりに、クロードの母親に問いかける。
「そうね。でも、ちょっと一人になりたいだけじゃないかしら」
「それなら良いんですけど、森の中に入って行っているみたいなのでちょっと心配で」
「多分大丈夫よ。オーヴィーが怪我を負ったときは、すごい落ち込みようだったけど、最近は少し大人びてきたみたいだし、変なことはしないでしょ」
「それもそうですかね。なんだか急に背が伸びたせいでクロードの顔を見るときに上を向かないといけなくなったからか、前よりもちょっとだけ話しかけづらいんですよね」
「あらあら、それはヘラちゃんの心の内が気になってしまうわね。私のことをお義母さんと呼んでくれる日も近いかしら」
「いや、そういうのじゃないですって。というか私はいつもお母さんって言っているじゃないですか」
「呼び方が同じでも、込もっている意味が違うのよ」
クロードの母親は楽しそうに言う。
「でもあの子ってば昔から竜のことばっかりだから、そういうことちゃんと考えているのかしらね」
そう言われても、それをヘラが答えられるはずはなかった。
そんな二人のやり取りなどつゆ知らず、クロードは森の中を歩いており、ほどなくして川岸に辿り着く。そこは野生の竜を見た場所であったが、来たところでただ川の水面や景色を眺めるだけであり、むしろあの熊がここらへんで活動しているのであれば、また遭遇する危険も十分にある。
少なからず期待を抱いていることは自分でも分かっていた。あんな竜は初めて見たので、少しぐらい感化されてもおかしくはない。太い腕やあの巨大な翼を振り回されたら、それこそひと振り浴びただけでひとたまりもないだろうが、それでも荒々しい剥き出しの野生をもう少しだけでいいから見てみたいとクロードは思っていた。また、ずっと気になっているのは、やはり竜の足には包帯が巻かれていたことだ。あの短くて太い指を使って出来るとは思えないことからも、人間が施したとしか考えようがない。しかし、あの竜がどこからやってきてどこに居付いているのかも分からないが、傷を負っているときに人間に遭遇すればより一層警戒しそうなものである。あんな見た目でも案外人懐っこいのだろうか。
そんなわけで、ここのところは気付けばあの竜のことばかり考えていたが、あの日以来、一度も見かけていない。そして今日も特に何もなく、クロードはそのまま帰ることにする。
ところがその帰り道、離れたところにある小屋の窓に明かりが見えたので、おやっとクロードは思った。
そこはいわゆるクロードの家の敷地内にある離れであり、クロードの祖父が住んでいた。いつも朝が早い代わりに、夜はクロードたちが夕飯を食べる頃には明かりを消して眠っていた。だからこんな時間に起きていること自体珍しいのだが、小屋の前には人が何人も立っており、さらにこれが重要なのだが、彼らが手にしている鎖の先には何匹もの竜が繋がれていた。
クロードが駆け足で向かうと、寝間着姿の祖父が目をしばたかせていた。
「夜分遅くに失礼します。ベース家のロリアンという者です。あまり目立ちたくはなかったので遅い時間に訪問させてもらったのですが、すでに床についておられましたか」
「ふうむ」
突然の来訪者が、しかも竜使いが数人でやってきているにもかかわらず、祖父はいつも通りの様子であった。また、祖父に話しかけている人物にクロードは見覚えがあった。
「明日また出直した方がよろしいでしょうか。こちらとしては一日でも早い方がありがたいのですが、唐突なのは十分承知ですから」
「ふうむ」
彼らはその反応が肯定とも否定ともとれず戸惑っていたが、祖父は玄関口に立っているままなので、話は聞いてもらえると判断し、そのまま続ける。
「ずっとあなたを探しておりました。過去のことは、突き止めた私の妹はもちろん、私たちも噂では聞いたことがありました。確認も取ってあるので間違いはないはずですが、まさかこのような田舎町の農村で暮らしていらっしゃるとは思いませんでした。私がそう思うからこそ、ご隠居の意味もあったのかもしれませんね。ですが、私たちはあなたを私たちの家にお呼びしたいと考えております。ご老体でお辛ければ、一度でも構いません。私たちにご指導のほどをお願いしてもよろしいでしょうか」
彼らは一様に頭を下げて申し立てる。頭を下げる竜使いたちの姿にクロードもさすがに驚き、「一体どうされたんですか」と声をかけてから近づく。
「あっ、久しぶりね。クロード君」
彼らの中に居たハンナが真っ先に反応するが、その顔には親しみと共に苦々しい表情も浮かべられていた。
「あなたにはまんまと一杯食わされたわ。正直、若いあなたを見くびっていたことは認めざるを得なかったけど、良い度胸しているわね」
「一体何のことですか」
クロードは戸惑う。
「今さらとぼけたって無駄なのは分かっているでしょ。夜になってわざわざあなたの家に押しかけている時点で、他に思い当たることなんてないでしょう」
クロードは本気で彼女が何を言っているのか分からなかった。
「それで、返答はいただけないでしょうか」
クロードの様子など全く気にすることもなく、ロリアンは祖父に尋ねる。
「ふうむ」
「ふうむ、ではなくてですね」
ロリアンは祖父の様子に苛立ちを覚え始めているようであった。
「竜使いにとっていかにこの時期が大事か、あなたならよく分かっているはずです。もちろん謝礼はたっぷり出させていただきます。あなたの腕を疑っているわけではありませんが、もしも我々にとって有用だと分かれば、私たちの所有している土地の一部を譲渡し、そこに住んでいただくことも可能です。お望みであれば広大な畑も用意するなど待遇は随時良くしていきましょう。いずれにせよ、今よりも遥かに快適な生活を保証いたします。いかがでしょうか」
彼は早口で言ってのけるが、さすがにそこまで聞けば、クロードも事態を飲み込み始めていた。しかし一方で疑う気持ちも拭えなかった。さらにいえば、今さらになってどうして彼らが突き止めることが出来たのかも謎であった。しかしクロードの考えを読んだように「私たちが見つけられたのは、あなたのおかげよ」とハンナが言う。
「僕のおかげ?」
「あの後も特に手がかりらしいものもなく、私たちは探すのを断念していたわ。前にも言ったけど、最重要事項ではなかったし、あまり時間をとられても仕方がないからね。でも、ある日、私はふとあなたのことを思い出したの。あなたは配達の仕事に従事していたけど、ちょっと調べたところ農家の出身だった。農家生まれのあなたがどうして竜使いになれたのかと疑問に思うのは何もおかしくないでしょ。もちろん農家や商家の生まれで竜使いになった人だっているけど、公認の竜使いになるには他の竜使いの推薦が必要になる。普通の竜使いの家であれば、親も竜使いであるのだからそう難しい話ではないのだけど、そうじゃない場合は竜使いとの親交がなくてはならない。しかもそれなりにちゃんとした家の竜使いでないと承諾されないの。竜使いの数を安易に増やさないためにね」
竜使いになるにあたって書類をいくつか提出した覚えはあったが、そのほとんどは母親に頼んでしまっていたので、その辺りの事情をクロードは全く知らなかった。
「それからあなたの推薦者も調べたら、そこには聞いたことのない名前が書かれていた。その人のことは、片っ端から調べたけどどこの竜使いの家にも属していなかった。どう考えてもおかしなことだったわ。でも考えた末に閃いて、ついでに私たちの父を通じてご年配の方々にも会って聞き出したのちに、中央図書館の蔵書のある資料からようやくその名前を見つけることが出来たのよ。そしてそれがどこかといえば、数十年も昔の竜征杯の記録ね。そう、あなたのおじいさんこそが、竜征杯でも上位に名を連ねたことのある凄腕の竜使いだった」
ハンナが探していると言っていたことはクロードも覚えていたが、まさか祖父がその人だとは全く知らなかった。しかし同時に、オーヴィーを手に入れたときから配達員になるまで、竜使いの家の出身でもない普通の人間に立ちはだかるいくつもの障壁を、クロードがほとんど意識することもなく通り抜けることが出来たのは、祖父のおかげであったのだと悟る。
「あなたも若いわりには竜の扱い方が丁寧で躾もなっているとは思ったけど、それも凄腕の竜使いの孫なのであれば納得だったわ。あなたが竜征杯に強い関心を抱いていたのも、自分の血縁者が出場したことがあるのであれば分かる話よ」
彼女はまだ勘違いをしているようではあったが、今はそんなことよりも祖父に聞きたいことが山ほどあった。
「それで、どうなんでしょうか」
まだ何も答えない祖父にロリアンが問いつめる。それでも「ふうむ」とまた同じように唸ったことから、ロリアンがさらに口を開きかけたが、そこで祖父は「竜がな」と言葉を続けたので、その場にいた全員が黙って祖父のことを見た。
「いるんじゃよ」
「お家で飼われていることは存じ上げておりますが」
ロリアンが言う。
「この家の裏山まで来ているんじゃ」
「来ている?」
「ちょっと、兄さん。いったん最後まで聞こうよ」
いちいち口を挟もうとするロリアンをハンナが諫める。
「そいつを保護してやってくれないかのう。荒い気性ゆえに山や森に棲む動物たちを刺激してしまってな、熊や猪なんかが人里近くまで降りてきておる。だから、保護するか元いた場所へ戻してくれないかのう。わしが会ったときは猪と戦った後で、ちょっとばかし足を怪我しておったから軽く手当てをしたんだが、すぐに逃げられてしまってな」
「疑うようで申し訳ないのですが、それは本当に竜のことなんですか」
ハンナが尋ねる。
「ふうむ」
「つまり野生の竜ということですよね」
「野生の竜だと?」
「兄さんは黙って」
「はい」
「ふうむ」
「でも今どき野生の竜なんて、しかもこんな人里近くまでやって来ているというのは考えにくいのもお分かりいただけますよね」
「見れば分かる。人工交配によるものではないことが」
ハンナを含めてベース家の竜使いたちは顔を見合わせる。
「つまり、私たちがその竜を保護すればこちらの家にも来てくださるということですか」
「ふうむ」
「なるほどなるほど」
ハンナは何度か頷く。
「しかし野生の竜なんて本当にいるのか。昔、伝説の竜使いたちが巨竜を討伐して以来、その数はみるみる少なくなり、今では絶滅したのではないかとまで言われているのだぞ」
「でも、こうおっしゃっているんだから、きっといるんでしょ」
「ふうむ」
今度はロリアンが唸るのだった。
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