第15話 冷静な決断
昼下がり、クロードは届けなくてはならない書類があると言って出かけたブティミルの代わりに受付番をしていた。今日出勤している配達員たちはすでに出払っていて、自ら出向かなくてはならない辺りに、配達の仕事の意義を問われている気もしたが、彼自ら顔を出さなくてはいけない用事なのかもしれない。ブティミルはただの受付係ではなく詰所の責任者でもあり、詰所の配達員たちからも一目置かれている。彼は物静かだが、意見はハッキリと述べ、説明も淡々としているが分かりやすいので、クロードとしてもやりやすかった。さらに言えば、今のクロードには余計なことを言われずに仕事に没頭できるのは非常に有難かった。
そんなことを考えていると、おもむろに詰所に入ってくる人がいたので、クロードがそちらを見やる。
「なんで居るんだ」
「開口一番がそれ? せっかくお姉さんが様子を見にきてあげたのに」
ヘラはどこか偉そうに胸を張って言う。
「そうだね、ごめんよ」
しかしクロードがあっさりと謝るのでヘラは肩透かしを食らった気分になったようで、何ともすっきりしない表情を見せる。
「そろそろ元気出しなさいよ。いつまでも暗い顔をしていても仕方ないでしょ」
「ああ、分かっているよ」
「本当に?」
ヘラはいつものように顔を覗き込んでくる。それでもクロードは無反応であり、ヘラは口を尖らせると、「えい」と彼の頬を指で突いた。しかしそれでもクロードは何も言わないので、ヘラは「なんだか面白くないわね」と言って指を引っ込めるとため息をついた。
「仕事ってまだ終わらないよね?」
「当たり前だろ」
「じゃあ終わるまでここで待っていても良い?」
「なんで?」
「冷やかしたいから」
「今すぐ帰ってくれ」
「冗談だって。仕事が終わった後さ、一緒にオーヴィーに会いに行こうよ」
そう言われて、クロードは動きを止める。
「オーヴィーはずっとクロードが来てくれるのを待っているよ」
「そうかな」
「そうだよ。言ってたもん」
「オーヴィーは喋れないだろ」
「私には分かるから」
「だとしたらヘラは竜の通訳者になれるね」
「だって、今までずっと一緒だったじゃない。会いたがっているに決まっている。先週、私が会いに行ったときは喜んでいたけど、やっぱり寂しそうだった」
「見間違いじゃないの」
「ねえ、なんでそんなことばかり言うの」
ヘラは受付のカウンターを叩く。
「そうやって会わないでいればいるほど、オーヴィーを苦しめることになるのが分からないあなたじゃないでしょ。あなたがオーヴィーに怪我をさせてしまったことを気にしているように、オーヴィーだってあなたを勝たせてあげられなかったことで自分を責めているはずよ。身体の傷は時間が経てば癒えるかもしれないけど、心の傷はそうとは限らない。あなたが居てあげなくてどうするのよ」
ヘラは涙目になりながらクロードに訴える。いつも殊勝に、ついでに言えば少し偉そうに諭す彼女がそんな顔を見せるのは珍しいことであった。
「こんなところで泣かないでよ」
「泣いてない」
「そうだね。汗と見間違えたかもしれない」
クロードはそう言いながらもポケットからハンカチを取り出して、彼女の手をとってそこに持たせる。ヘラは黙ってそれを目元に当てる。
「ちょっとむかつく」
「えっ、何が?」
クロードは思わず素で聞き返してしまう。
するとそこで、届け物をして帰ってきたブティミルと丁度配達から戻ってきたであろうラッフェルが入ってくる。
「もう少し待とうかとも思いましたが、お客さんが来ましたのでね」
ブティミルはいつもの調子でそう言う。
「仕事場に女を連れ込むとは、おまえもなかなかやるようになったじゃねえか」
「いや、彼女は僕の幼馴染でちょっと立ち寄ってきただけですから」
「それぐらい分かってら。引き戸が開いているから、全部外まで聞こえているんだよ」
「あ、すみません」
彼女の性格でもさすがに恥ずかしく感じたらしく、ヘラはほんのりと顔を赤らめながら頭を下げる。不覚にもその様子は少しばかり可愛いらしいと思えた。
「仕事はもういいですよ」
そこでブティミルが言う。さすがにそれにはクロードも戸惑うが、「自分の竜に会いに行くのだろう。女の子もいるのなら、日が暮れないうちの方が良い」「ただでさえ、ここは男のたまり場だ。他の野郎どもが帰ってきたら、当分離してくれねえぞ」と二人して言う。
「本当にいいんですか」
「俺も一足先に酒でも注文しに行くつもりだぜ」
「いえ、あなたにはまだ仕事があります。私が小包を確認したらさっさと行ってください。隣町なのですぐ済みますよ」
「これから行ったら酒盛りに遅れるじゃないですか」
「何も問題ないように聞こえますが」
クロードはそんなやり取りを交わす二人に対して、「分かりました」と答える。
「おう。あの竜が退院したら、俺にこれまで以上に楽をさせてくれよな」
「給料分は働いてくださいね」
クロードとヘラは二人に向かって一緒に頭を下げると、詰所から出て行った。
「クロードが色々言っていたから、どんな酷い人たちかと思ったら、皆良い人そうじゃない」
「そうかもね」
少なくとも最近はその認識を改めつつあることは自覚していた。
詰所から歩いてまもなく、竜専用の医務所に到着する。それほど大きくもない町の病院なので、設備はあまり充実しておらず、長期的な入院は想定されていない。今回は治療箇所が多く、経過状況を逐一診てもらうために入院させていたが、やはりほとんど日の当たらない狭い檻の中に閉じ込められている様子には胸を痛めつけられる。
「経過は良好ですよ。まだ若いこともあって、順調に回復しています。身体が小さいおかげもあるかもしれませんね。昨日は少しの間ですが、自分で身体を起こしていました。ただ損傷が最も酷かった左の翼の付け根辺りは、まだしばらく時間がかかりそうです。縫合した部分から少し膿も出ています」
医者はそれから檻の鍵をクロードに渡すと医務室へ戻っていった。竜使いは社会的にも信用が高いため、彼がそうするのはごく当たり前のことであった。
ヘラは何度も来ているので特に緊張することはないが、クロードは何だかんだと理由をつけて、病院には入院した日以来一度も来ていなかった。だからといって医師が薄情だと思うようなことはなかっただろう。飼い主がわざわざ出向くようなことはむしろ少なく、入退院の手続きすら手すきの使用人が済ませ、調教師か飼育員が連れ帰ることも全く珍しくない。竜使いの家では竜を複数匹所有していることがほとんどで、もちろん相性の良さや懐き具合から専任に近い竜使いもいるが、基本的にそのうちの幾つかに乗れるようにしているし、平等に接するように心掛けている家も多い。その風習は戦いのときなどに、仮にその竜がやられてしまった際に、他の竜に乗り換えることを想定しているからだそうだ。
しかしクロードは違う。クロードにはオーヴィーしかいない。クロードが奥で何枚も敷かれた大きな毛布の上で、再びその傷だらけの身体でうずくまるようにして眠っていたオーヴィーを見たときは、その目から零れそうになったものを必死でこらえなくてはならなかった。
「先生が言っていた通り、先週見たときと比べても、細かい傷は治ってきている気がするわ」
ヘラはオーヴィーの身体をじっくりと見ながら言う。
「オーヴィー」
クロードは本当に小さな声でその名前を呼んだが、するとオーヴィーの目がぱちりと開いた。そしてすぐにクロードの方を見ると、はしゃぐように鳴きながら起き上がろうとする。
「起き上がらなくていいよ」
クロードは健気に鳴き続けるオーヴィーに近づくと傷に触れないように気を付けながら、その身体を抱きしめた。
「ごめん。ごめんよ、オーヴィー」
クロードは肩を震わせながら、ひたすらに謝り続けていた。オーヴィーは比較的怪我が軽い右の翼でクロードを抱く。しかも怪我をしているにも関わらず、いつも以上に嬉しそうにして翼でぎゅうぎゅうと自分の身体に押し当てるようにするので、クロードは今まで来なかったことをひどく後悔させられた。それからしばらくの間、クロードが何を言ってもオーヴィーは離してはくれなかった。
「会いに来なかったのは悪かったよ。もう十分に分かったから、そろそろ離してくれ。ろくに喋れないし、ヘラも見ているんだぞ」
「あら、私のことはお構いなく。明日までそうしていてもいいのよ」
「あんまり意地悪なことを言ってないで助けてくれよ」
「あなたが悪いんだからね」
「それは分かっている」
そこでヘラはようやく彼らに近づいていくが、クロードを解放しようとはせずに、むしろそのままクロードとオーヴィーのことを抱きしめた。
「二人とも、無事で本当に良かった」
今度こそ、彼女は隠すことなく涙を流した。
結局、医師が終業の直前にやってくるまで二人はオーヴィーと一緒にいた。そして何度も名残惜しそうに鳴くオーヴィーに、どうにか別れを告げてからようやく病院を出た。
「オーヴィー、私が一人で来た時もその度に喜んでくれていたけど、やっぱりクロードには敵わないわね」
「そんなことはないと思うよ。この前だって、二人して僕をからかっていたじゃないか」
「それもそうね。うん、私が一人でオーヴィーに乗れる日も近いかも。ああ、もちろん勝手に乗るとしても怪我が完治してからだけどね」
「いや、勝手に乗るなよ。それこそ怪我でもしたらどうするんだ」
「あら、私の心配をしてくれてるの」
「違う。落ちそうになったヘラをオーヴィーが助けようとして無理をするかもしれないだろ」
「あ、ひどい。私だって、結構乗れそうな手応えがあったのよ。でも、売り言葉に買い言葉で競竜に挑んだあげくに、怪我をさせた張本人の方に言われたら仕方ないわね」
それは本当に胸に突き刺さる言葉だったので、「十分反省しているつもりだよ」と弱々しく言うしかなかった。
「ねえ」
「何?」
「これからどうするの」
彼女が今日の予定を聞いているわけでないことは分かった。
「たぶん近いうちに退院はできると思うけど、退院してからも当分はオーヴィーに乗るつもりはないよ」
それは当たり前のことであろう。十分に休ませてやるつもりであったし、そもそも気持ちの面でも後遺症が残る可能性だって無くはないので、慎重にいくべきである。
「オーヴィーが僕を守ってくれたようには僕はオーヴィーを守れないけど、適切な判断を下すのは竜使いの役目であり、それがオーヴィーを守ることにもなると思うんだ」
「そうね、その通りだと思うわ」
ヘラも同意する。そこまでは彼女の思っていた通りであったのだろう。
「だから配達の仕事もやめようと思う」
「えっ、やめちゃうの」
ヘラは驚いていた。しかしクロードは頷く。
「もしかしたら皆は僕に居ても良いと言ってくれるかもしれないけど、やっぱり事務の仕事はブティミルさんがいれば十分だし、あんまり気を遣わせても悪いからね。もちろん詰所には何匹もの竜がいて皆はそれを乗り回しているけど、僕にはやっぱりオーヴィーしか考えられない。オーヴィーがいてくれたから曲がりなりにも竜使いになれたわけだし、それこそ僕のようなごく普通の農家の一人息子が空を飛べるなんて本当に夢みたいなことだった。そしてだからこそ、オーヴィーのことをもっとちゃんと考えてやらないといけなかった。それが今回の僕の過ちであり、ケジメは付けるべきだと思うんだ」
「そう。仕事のことはあなたが決めることだから、私は何も言えないけど」
ヘラはその先を言いたげだったが、そこで「当然だな」という声が聞こえてきたので、二人してそちらを見る。すでに日が落ちかけていることもあり、道の向こうから歩いてきていた彼の姿に気付いていなかった。
「賭けの内容を忘れていないようで安心したぜ。口約束だったから、破られるかもしれないと恐れていたが杞憂に終わったな」
グレッグは相変わらずニヤニヤしながら話す。まるで会いたくて仕方がなかったといった具合だった。
「ええ、もちろん覚えていますよ。約束した通り、オーヴィーには乗らないし、竜征杯にも出ない。これでいいでしょう?」
クロードはそんな彼に対しても、落ち着いた様子で受け答えをする。
「やけにあっさりしているのな。てっきり俺に対する恨み辛みでも言ってくるかと思ったが」
「僕が負けたのは事実ですから」
「そう、おまえは俺との競竜で負けた。それだけが客観的に確かな事実だ」
「そう言っているつもりですけど」
それが皮肉なのか何なのか、クロードには判別がつかなかった。しかしその返事はなかったので、「もう暗いので、僕たちはこの辺でお暇させてもらいますね。行こう、ヘラ」と言ってクロードはヘラの肩を掴んで、そのままグレッグの横を通り抜ける。ヘラは肩を掴まれたことに少し驚いていたようだが、何も言わずに素直に付き従った。
「おまえの夢とやらは、その程度で諦めちまうものだったんだな」
グレッグはわざわざクロードに言い聞かせるように口にすると、また町の方へ歩き出した。
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