第二章 大きな翼の黒い竜

第13話 敗北の味

 全治二か月ほどで済むのは、かなり運が良かったと言えるだろう。それほど高い場所を飛んでいたわけではなく、さらに大きな木の葉っぱや枝が衝撃を吸収した後に、茂みに落ちたおかげだと思われる。だからこそ、オーヴィーはそのボロボロの身体でも自分で歩いて家まで帰ることが出来たので、オーヴィーのことは息を切らせてやって来たヘラに任せ、クロードはそこから日が沈んで暗くなっていく道を走って町へ向かい、町に住んでいる竜専門の医師である竜医を呼んで来られた。そしてその日のうちに竜医に診てもらった結果、左の翼の骨がヒビいっていることが分かり、完治するまでは飛ばないようにと言われた。しかし医者に言われるまでもなく、オーヴィーのいたいけな姿を見て、飛ぼうとはとても思えなかったし、そうでなくとも、グレッグとの賭けのこともあった。

 グレッグはクロードたちが墜落していくのを見送った後で、悠々とゴールに向かい、ヘラには勝手に落ちていったと顔色一つ変えずに言っていたそうだ。そしてご丁寧にも「賭けたこと、もちろん忘れてないよな」と言伝までしてきた。

 その条件を守るかどうかはともかくとして、クロードには喫緊の問題があった。これはヘラも言っていたことだが、配達の仕事が出来ないので収入が無くなってしまうということだ。少なくとも今年の間は家の畑はほとんどヘラの家に貸し出してしまっていたし、仮にヘラや彼女の家族が何と言おうと泣きつくわけにはいかなかった。こうなったのも全ては自身の考えが浅かったせいだと自覚していたからだ。

 だから、いつもならオーヴィーに乗っていけばすぐに着く詰所までの道のりも、早朝に起きてからすぐに家を出て、二時間近くかけて歩いて行った。

 色々聞かれることは覚悟していたが、クロードが着いたときにはすでに話は広まっており、いつもは騒がしい詰所の竜使いたちも、クロードの姿を見ると静まり返った。クロードがひどくやつれた様子だったからということもあるだろう。

「話は竜医から聞いている。オーヴィーはしばらく飛べないそうだな」

 受付係のブティミルが詰所に入ってきたクロードに対して、いつもと変わらない淡々とした様子で話す。

「ええ、すみません。ですが、仕事は休みません」

「どうやって仕事をするつもりだ?」

 それを口にするのは、かなりの躊躇いがあったが、クロードにはそれしか考え付かなかった。

「他の竜に乗ります。今日は一匹誰も乗らない竜がいたはずです」

「いるな、確かに。だが、乗れるのか? おまえはこれまでオーヴィーにしか乗ったことがなかっただろう」

「それは……」

「竜使いなら竜の扱いの難しさを分かっているはずだ。今のは随分軽率な発言だな。そうでなくても、今のおまえに乗りこなせるとは到底思えない」

 それを認めれば、配達の仕事は出来ず、このままクビになるだろう。しかし彼の言う通り、今のクロードはとても竜に乗れるような気分ではなかった。グレッグとの賭けとは関係なしに、竜征杯に出ないのはもちろんのこと、オーヴィーにも二度と乗れず、もう一生空を飛ぶことも無いのではないかとさえ思えた。

「おまえがどう思っているのかは知らないが、配達の仕事はただ物や人を運べば良いわけではない。私たちの姿をこの国に住む人々は毎日のように目にしている。生き生きとしていれば見ている人たちもそれにつられ、逆に陰鬱な顔をしていれば言うまでもないだろう。そしてそれが私たちの仕事でもある。だから今のおまえを空に飛ばし、家々を巡らせるわけにはいかない」

 いつもは寡黙で冷めた印象すら受けるブティミルが、そんなことを言うのはクロードにとって意外なことだった。そして意外だと思うことで、いかに未熟で周りが見えていなかったか、また一つ分からされた。

「おっしゃる通りです。すみませんでした。ご迷惑をおかけしました」

 そう言ってクロードはそのまま帰ろうとするが、そこで彼は続けて「だから、おまえは事務の仕事を手伝え」と言うので、驚いて彼の顔を見た。

「何だ、不満か?」

「いえ、ありがとうございます」

 クロードは泣きそうになりながらもどうにかそれをこらえて、深く頭を下げた。

 その日の終わり、またいつものように行われる宴会にクロードは参加した。誘われたからというのもあるが、今日一日自分の仕事を代わってもらった義理があったからだ。

「ほら、飲め飲め」

「いただきます」

 木のコップ一杯に注がれたエールを、クロードは皆が見ている中で一気に飲み干した。

「おお、良い飲みっぷりじゃねえか」

「おまえら、もっと持ってこいや。全然足りてねえぞ」

 すると一同はかつてないほどの盛り上がりをみせる。

「どうだ、上手いか?」

「あんまり美味しくはないです。苦いばかりで」

「ははん。まだまだお子ちゃまだなあ、クロードは。でも、驚いたぜ。まさかおまえが竜使いと競竜するとはな。しかも一対一だなんて、決闘みたいなもんじゃねえか。案外、根性があるのな」

「そうだな。口先だけじゃねえ男ってのは、なかなか悪くない」

 クロードはてっきり呆れられるとばかり思っていたが、思いのほか彼らが褒め称えるので内心驚いていた。

「でも、負けましたよ」

「そりゃあ、勝負事なんだからどっちかが勝てばもう片方は負けるだろ。二つに一つだ。何も恥ずかしいことはねえ。俺なんて、競竜なんか兄弟や仲間内の遊びでしかやったことねえぞ」

「むしろあの竜が手負いになるまで張り合ったってことだろ。ホント無茶なことをするぜ」

「そういえば相手は誰だったんだ?」

「クロードと同じ村に住んでいる竜使いらしい」

 噂はかなり詳細に広がっているらしく、クロードが答えるまでもなく話が進んでいく。

「へえ。あんなところに他にも竜使いがいたのか」

「俺は聞いたことあるぜ。グレッグっていう流れ者だろ」

「知っているんですか?」

 クロードはラッフェルに尋ねる。

「いや、詳しいことは知らねえよ。ただ、どうやらアギルド家の傍流の家の者らしいぜ」

「まじかよ」

 それは先日王都で会った婦人も話していた、あの泣く子も黙るといわれているアギルド家のことであり、「そいつはやべえな」と他の配達員からも驚きと恐れの声が上がる。

「おまえ、よくそんな奴と競竜しようと思ったな」

「アギルド家ってそんなに恐ろしいの。もちろん色んな噂は聞いたことがあるけど、伝説の竜使いの片腕だったんでしょ」

「それはそうだが、あの家は本当におっかねえんだぞ。あんまりでかい声じゃ言えねえが、先祖は山賊だったとも言われていて、実際、あいつらはこの国の賊どもまで一手に束ねているんだ。長らく王家として君臨しているアシュフォード家が表世界を掌握する支配者だとすれば、アギルド家は裏世界を掌握している支配者だ。それだけの力を持つ両家だからこそ、あの伝説の竜使いの両腕と呼ばれていたんだ。そんな奴らを上手く扱えていたのは、ひとえに伝説の竜使いのカリスマ性によるものだったそうだが、竜使いの民の国を築き上げた後にその竜使いが行方をくらましてからは、凶暴な番犬の首輪が無くなり、両家がその座を奪い合うようになった。それはまさに血で血を洗う戦いとなって、犠牲者が後を絶えず、だからこそ両家と他の家の中立派が作った議会によって考案された妥協案として、竜使いたちの直接投票による選挙制度が確立されたのさ」

「へえ、そうだったんだ」

 クロードは伝説の竜使いが両家の竜使いと共にこの地にいた巨竜を退治して、国を作ったことぐらいしか知らなかった。

「そういや、おまえは知らねえか。竜使いの家に生まれると、両家のことは幼少の頃から刷り込まれるように教えられるんだぜ。奴らの顔色を伺いながら上手く立ち回って地位を守るためにな。数としては、アシュフォード家を支持する家の方がだいぶ多いが、アギルド家はそれをひっくり返しかねないような血の滾る武闘派だからな。それでも今はだいぶマシになった方だ。昔は気楽にこんな話も出来なかったんだぜ」

 クロードとは違って、彼らは代々竜使いの家の人間なので、全員がある程度の教育を受けている。クロードも文字の読み書きや簡単な計算ぐらいは出来るが、歴史やら政治やら数学などの学術的な分野に関しては、全くと言っていいほど無知であった。

 それはともかくとして、そのアギルド家の血筋の者であるならば、あの荒々しい飛び方も勝つためには手段を選ばないところも納得できる。あのときの彼は、まさに闘争心を燃やしてその血を滾らせていたのをクロードも肌身で感じさせられた。あれは伝説の竜使いの片腕だった男の血を受け継いでいるがゆえのものであったのだろうか。しかしあの時のことを思い出すと、オーヴィーのいたいけな姿が目に浮かんで胸が痛む。

「ブティミルさんは何か知らないですか?」

 そこでラッフェルが、皆が騒いでいる中でも一人静かに自分用の透明なガラスのグラスで蒸留酒を口にしていたブティミルに訊く。

「聞くところによると、家内でのいざこざが原因で勘当されて出て行ったそうですよ。その内容までは知らないですが」

 彼はやはり淡々と答える。

「あんまり知りたくねえ話だな。どうせろくでもないことに決まっている。アギルド家ではたとえ血のつながった兄弟でも、家長の座を継承するときに争いになった際、どちらかが白旗を挙げるまで戦わせて、負けた方が家から出て行かされるなんて聞いたことがある。傍流といえども、似たようなことがあったんじゃねえか」

 グレッグもまた誰かに敗れて、ここまで逃がれてきたということなのだろうか。だとすると手段を選ばず、貪欲に勝ちを得ようとするのも頷ける。しかし、そのことがクロードの慰めになることは無く、むしろ本当にそういった争いで敗れていたのだとしたら、そんな彼に叩き潰されたことが余計に惨めに思えた。クロードはもはや酒を飲んで気分を紛らわせることもしたくなくて、ジョッキに残るエールの泡をただ眺めていた。

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