第12話 竜使いとしての気概

「オーヴィー!」

 オーヴィーは後ろからの衝撃を受けてよろめく。

「さすがにおまえでも知っているだろ。竜征杯では多数の負傷者が出ることは。そんでもってその理由はな、こうやって相手を叩き落とそうとするからなんだぜ」

 もう一度グレッグの竜は、その硬い鱗の付いた背中を押しあてるようにぶつかってくる。バックルを付けていないグレッグは器用にも乗っている場所をずらして衝撃をやり過ごす。

「もう一つだけ教えておくがな、レースの序盤なんて適当に飛んでりゃそれでいいんだよ。下手に頑張れば、標的にされかねないし、後ろにいれば他の竜たちが風除けになってくれる。そんで、人のいない地域や審判の目が行き届かない場所に行ってからが本番ってわけよ」

「ヘラから見えなくなるのを待っていたのか」

「仮におまえがあのお嬢ちゃんに妨害されたから落ちたなんて言ったところで、それを目撃した奴はいないし、何よりおまえの竜を扱う能力の低さを自ら言いふらすようなものだ」

「卑怯な奴め」

「卑怯も何も、これが勝負の世界だ。正々堂々なんて馬鹿のやることでしかない。第一、竜征杯なんて権力と金の力で徒党を組んでいる時点で正々堂々も糞もないだろ。事前交渉、買収、脅迫、裏切り、何でもありさ。だからこそ、勝つことに大きな意味があるわけだ」

 グレッグは饒舌に喋りながらも、攻撃の手は一切緩めない。

「俺の竜は身体能力が優れているわけではないし、普段から鍛えてもいない。そもそももう若く無いしな。だが、だからこそ勝負どころも分かっているのさ。そしてそれが、序盤から馬鹿みたいに飛ばしていたおまえの竜が疲れてくる頃合いである今だということもな」

 すでにオーヴィーはフラフラになっており、追い抜こうと思えばいつでも楽に出来るだろうが、彼らはそうはしない。

「おらっ、さっさと諦めろ」

 ぶつかるたびに鈍い音が聞こえる。オーヴィーはまだ必死に飛んでいるが、時間の問題に思えた。

「オーヴィー。一旦、降下しよう」

 クロードは彼らから離れるべく、高度を下げさせる。

「ごめんな、オーヴィー。辛い思いをさせて。おまえはよく頑張ってくれている。でもだからこそ、ここで引くわけにはいかないんだ。分かるだろ」

 オーヴィーはその身体にいくつも痣が出来ていたが、殊勝にも首をこくりと頷かせる。

「ありがとう。あいつも言っていたが、あの竜は妨害をするのは上手いけど、やっぱり普段はほとんど飛んでいないようだ。それならそこに活路があるんじゃないかな」

 ほとんど独り言にも近かったが、それでもオーヴィーに話す。

「よし、高度をもっと下げるぞ」

 オーヴィーは滑空しながら下に見える森の方へ近づいていく。それはいつも練習で飛んでいる高さともさほど変わらないぐらいであった。理由としては単純に、遠回りになったとしても妨害されないことを優先するべきだと思ったからだ。相手に快適に最短距離を飛ばせてしまうことは得策ではないだろうが、それでもクロードは自分たちがこれまで共に飛んできた時間とその成果を信じることにした。

 そんな決心をしたクロードであったが、グレッグはその様子を見て、目の前の誰もいない空路を捨ててまで追いかけるように降下してくるので、さすがに驚かされる。

「逃げようったってそうはいかないぜ。地の果てまで追いかけて、徹底的に叩き潰してやるよ」

 グレッグが高笑いをしながら近づいてくる姿にクロードは恐怖を感じ、焚きつけられるようにオーヴィーに「もっと早く」と叫ぶ。

「俺が怖いか、怖いだろうな。一対一だからこそ、どこにも逃げも隠れも出来ず、双方の立場がハッキリする。俺が狩る側でおまえが狩られる側だ。追いかける方は本当に愉快だぜ。ほらほら、悲鳴の一つでもあげてみろよ」

 再び接近すると、右翼に体当たりしてくる。オーヴィーはどうにかそれを避けるが、さらに高度は落ちて、すぐ下には葉の付いた木々があった。

「どうだ、降参する気になったか。今ならまだ怪我もせずに済むぜ」

 もはやレースというよりは決闘のようであった。

「するわけ、ないだろ」

 クロードはどうにか答える。

「往生際の悪いやつだな。まあ、今さら降参すると言ったところで聞いてやるつもりは全くなかったがな」

 そう言って、グレッグは突っ込んでくる。

「そんなことだろうとは思ったよ」

 クロードは彼がそうしてくることを予想していた。

「オーヴィー!」

 彼が呼びかけると、オーヴィーは前や横ではなくさらに下へ降りていく。

「残念ながら、もう下には逃げられないんだぜ」

 グレッグが嘲るように言って猛スピードで追い詰めてくるが、そこで初めてクロードはにやりと笑った。

「それはどうかな」

 オーヴィーは目下の木々にぶつかることを恐れず、さらに突っ込んでいく。

「そういうことか」

 そこでグレッグは気付いたが、すでに手遅れであった。オーヴィーは目の前の枝葉をこすりながらも木々の合間をすり抜けていく。それを追いかけていたグレッグの竜は、勢いを殺せぬまま同様に木々の間を抜けようとしたが、オーヴィーよりも大きな身体ではそれは出来ず、木の幹に思い切り衝突した。

「よしっ。よくやった、オーヴィー」

 再び空に舞い戻ると、すっかり疲弊した様子で息を荒げていたオーヴィーを褒める。

「さあ、もうすぐ山も回り終える。早くヘラのところに戻ろう」

 オーヴィーがまた飛び始めようとしたが、そこで「ちょっと待てよ」と低い声が聞こえてくる。クロードが振り返ると、そこには折れた枝葉をつけた竜に乗ったグレッグの姿があった。

「少しは頭を使ったようだが、木にぶつかったところでなんてことはねえ。竜は周りの障害物なんて蹴散らしてなんぼだろ。もちろんそこにおまえも含まれているんだぜ。なあ、おい!」

 グレッグは激しい感情を露わにしていた。自分が一方的に追い詰めていたつもりが、逆にクロードに仕掛けられたことで火がついたようだ。

「いけ、オーヴィー」

 それから、人が変わったように恐ろしい形相で喰らいついてくるグレッグを、ひたすらに躱しながらゴールへ向かう逃走劇が始まった。

「おら、ちんたらしてんじゃねえぞ! もっとスピードをあげやがれ」

 グレッグは自らの拳で竜を殴り、足で何度も蹴り飛ばす。すると緑色の竜も荒れ狂ったように吼えだして、猛然とオーヴィーを追尾する。

「左に避けろ。そうだ、ここで躱したら相手は下を向くことになる。そしたらぶち抜くんだ」

 グレッグの先ほどまでとはまるで異なる様子に恐怖を感じる一方で、解き放たれた彼の本性に対して燃えるような対抗心をクロードは抱いていた。そして、そうした中でも彼の異常なまでのこちらへの執着心を利用すべきだと冷静に考えてもいた。

「ちょろちょろ逃げやがって。目障りなんだよ、さっさと地に落ちろ」

「落ちないさ。僕たちはあの時からずっと飛び続けているんだ」

 グレッグたちの攻撃を空中で躱すと、オーヴィーは高度を上げながら飛んでいく。そこで少しだけ差が離れた。それを見て、クロードは自分の考えが正しいことを確信した。

「ようやくか」

 いくら向こうの方が身体が大きくて馬力があったとしても、上下左右に飛び回らせれば疲労も溜まってくる。そして普段から飛んでいなければ、たとえ昔はそれなりに上手く飛べたとしても、体力は無くなっている。つまり、クロードが彼らに対して挑んでいたのは体力勝負であった。その体力勝負にしても、すでにオーヴィーは王都まで行って帰ってきているので確実な勝算があったわけではなかったが、そこに賭けるしかなかった。

「もらったよ、この勝負」

 クロードは静かにそう言った。

「何を勝った気になってんだよ」

 グレッグは苛ついた様子で飛ばしてくるが、その威勢に彼の竜の方が追いついていないのはもはや明白であり、落ち着いてぶつけて来ようとした太い翼を躱す。グレッグはそんな乱雑なだけの攻撃を何度も繰り出し続ける。クロードにはそれが最後のあがきに見えた。そしてその推察通り、みるみる勢いは落ちていき、まだ喰らいついているが当たりそうな気配は今やほとんど感じられなかった。

「てめえだけは、てめえみてえなガキにだけは負けるはずがねえんだよ」

 そう言って、斜め下から突き上げるように迫ってくるが、それはおそらく最後の力を振り絞った一撃であり、これを躱せば終わるだろうとクロードは悟っていた。だからクロードはもはやグレッグたちのことを恐れもせず、落ち着いて躱させようとした。やぶれかぶれなのか身体を投げ出すように突っ込んできたので、オーヴィーは左に翻した。

 しかしそこで、急に空中で動きを止めたかと思うと、オーヴィーが避けようとした左へ方向転換するので、クロードは慌てた。しかもその動きは先ほどよりも素早さが増していた。

「まさか」

 そこでクロードは自分が考え得る中でも最も良くない事態であるのかもしれないと思った。それを補足するようにグレッグは言う。

「もう体力切れだとでも思ったか。確かにこいつは俺と同じように昔と比べたらだいぶ衰えている。だがな、おまえは知らねえだろうが、これでも夜中には時々飛ばしているんだぜ。それに、さっき木に突っ込んだのは、防げなかったのではなく、単純に避ける必要もないと思っただけさ。小回りが利かないわけでも何でもない。そしておまえがいつもこの角度から攻められると左に翻して避けさせようとすることも分かっていた。勝負は騙し合いなんだぜ。俺はたとえガキが相手だろうが、卑怯だと言われようが、寝技でも何でも使って勝ってやるさ。それじゃあ、あばよ」

「いや、勝つのは僕だ」

 クロードは決して強がってそう口にしたわけではなかった。

 いつだってクロードとオーヴィーは言葉を交わさずとも気持ちは通じ合っていた。それは幼い頃からずっと誰よりも傍にいたからであり、それこそが二人に残された最後の戦術であった。

「そろそろ読んでくる頃合いだと思っていたんだ」

「何?」

 オーヴィーは左に翻した身体を、さらにその勢いのままもう一度回転して翻す。こんなことは今まで一度もやったことはなかったが、今日はクロードが完全装備をしてバックルもちゃんと締めているので出来たのだ。

「それに、そう何度もブラフは通用しないよ。僕だって竜使いだから竜の様子ぐらい見れば分かる。アンタの竜が疲弊しているのは、その荒い息づかいからも明らかだ。だから、これで終わりさ」

 クロードの言っていることは間違ってはいなかった。やはりグレッグの竜はバテていたし、飛ぶのも久しぶりであった。そうでなければ、わざわざ何度も布石を打って騙す必要など無く、普通に飛んで勝てば良かっただけなのだ。グレッグの竜はその身体をオーヴィーにぶつけることは二度と出来ず、だからこそクロードは勝利を確信した。

 しかしそこで違和感を覚えた。それをクロードが自分の頭の中で整理して言葉に出す前に決着はついていた。

「ああ、終わりさ。おまえがな」

 グレッグはいつもの底意地の悪い顔を取り戻し、勝ち誇っていた。

 クロードの考えた通り、オーヴィーはしっかりと敵の攻撃を避けられるはずだった。しかしグレッグはそれでも迷うことなく突進してきた。そしてその理由は、彼が狙っていたのはオーヴィーではなかったからだ。

 すでにクロードの眼前には、グレッグの竜のくすんだ緑色の翼が迫ってきていた。そこでようやくクロードは全てを悟る。オーヴィーを痛めつけ、攻撃を何度も躱させ、乗っているクロードの身体ががら空きになるのを初めからずっと待っていたのだ。

「竜なんてちょっとやそっと傷ついたくらいでは何ともないし、当然ながら死にはしない。だが、おまえは自分の可愛い可愛い竜が傷つくことを、絶対に避けようとする。戦いの場で、なるだけ傷つかないように立ち回ろうなどと考えることがどれほど愚かなことか、おまえはまるで分かっていなかった。古来より竜の最も大切な仕事は、竜使いをきっちり運び切ることなんだぜ。身体の小さな竜はそれだけでもかなり不利になるわけで、余程の強みがなければ、その差を跳ね返すことは出来ない。だが、何よりも大きな差は、そんな竜を戦いの場に連れてくるお前の甘ったれた心と竜使いとしての気概なんだよ」

 クロードは否応なしにそれを知らしめられながらその翼撃を受ける、はずだった。しかしそこでクロードの身体がさらに強く大きな遠心力でぐるりと宙を回り、グレッグの竜の翼がクロードから遠ざかっていった。

「オーヴィー!」

 彼がそう叫んだときにはすでに、オーヴィーはその翼撃を自ら喰らっていた。そして翼を羽ばたかせることも出来ずに落ちていく中でも、クロードを守ろうとその身体を下に向け、それからクロードのことをちらりと見てその無事を確認すると、ほっとしたような顔をみせて目を閉じた。クロードはその名を何度も呼んだが、再びその翼で空を飛ぶことは無かった。

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