第11話 競竜
「おい、ちっとは自分で動けや」
グレッグは額に汗を浮かべて疲弊した様子だったが、それが何故かと言えば、鎖に繋がれたくすんだ緑色の竜を引きずるようにして連れてきていたからだ。彼は普段から農作業をしているときも顔色を変えず淡々と作業しているので、そういった表情を見せるのは珍しく、クロードもヘラも驚いていた。
「おら、いつも厩舎で寝転がってばかりだろ。たまには身体を動かせ」
「ねえ、クロード。これって勝負以前の問題じゃないの」
「そうだね」
竜使いとして、他人が竜を上手く扱えなかったとしてもそれを嘲笑うようなことはしなかったが、それでも先ほどまでのグレッグの様子との差には苦笑いを浮かべざるを得なかった。
そんなこんなでようやくグレッグはスタート地点に辿り着く。クロードはもうすでに新調したばかりの鞍と鐙を取り付け終えていた。
「へっ、あぶく銭でまたそんな無駄なもんを買ったのか」
「無駄って何さ。必要なものだ」
「配達の仕事をするだけなら、買い替える必要なんてないだろ」
「新しいのに越したことはないだろ。普段あまり使わないとはいえ、雨風の強い日は付けるし、錆びたり欠けたりしたらオーヴィーが傷つくかもしれない。竜を守るのは竜使いとして当然のことだ。それよりも自分の心配をした方が良いんじゃないの。本当に飛べるのかい。そんなにぞんざいに扱っていたら嫌がられるよ」
するとグレッグは鼻で笑った。
「おまえは本当に何も分かってねえんだな。もはや哀れにさえ思えてきたぜ」
「よく意味が分からないけど」
「まあ、そんなことはどうでもいいさ。それよりも言おうと思っていたことがある」
「何さ」
「ただ飛んで勝ち負けをつけるだけじゃ面白くもなんともないだろ。だから賭けをしようぜ」
「何を賭けるつもり?」
「おまえが勝ったら、俺は金輪際おまえには何も言わないし、竜征杯に出るときもその参加費用を全額出してやろう」
「ホントに?」
グレッグも竜使いとはいえ、小作農家をやっているぐらいだから、それほどお金に余裕あるわけでもないはずだが、もちろんクロードにとってはすごく有難い話であった。
「ああ、なんなら今から金を持ってきてお嬢ちゃんに渡しておいてもいいさ。そうすればずらかることも出来ないだろ」
「別にそこまでしなくてもいいけど」
クロードは戸惑いを隠せない。
「そして次に言うことが、俺の出す賭けの条件だ」
グレッグは人差し指を立てる。
「俺が勝ったら、そいつに乗るのはもうやめな」
「は?」
クロードは思わずそう言ってしまう。
「言った通りだ。お坊ちゃま趣味の竜乗りをやめろって意味だよ」
「そんなの聞けるわけないじゃない。配達の仕事もあるのよ」
「うるせえ。俺はこいつに言っているんだ」
口を挟むヘラに対して、グレッグは威圧する。
「配達の仕事が出来なくなったとして、お前の家には耕せる畑が十分にあるじゃねえか。お嬢ちゃんの家や俺んとこにも貸しつけているぐらいだ」
「そんな簡単な話ではないでしょ。私の家は馬鹿兄貴たちの労働力を持て余しているんだから、クロードがオーヴィーに乗って配達の仕事が出来るようになって、畑を貸してもらえているのは、こっちにとっても助かっていることよ。今のままで全部上手くいっているのに、それを変えろだなんて」
「良いよ」
クロードは返事をする。
「ちょっと、クロード。いくらなんでもこれは意味が分からないわ」
「勝てばいいだけだろ。出場するための費用だって払ってくれなくていいさ。ちゃんと自分で貯めたお金があるし、それは僕が竜使いとしてやっている証でもある」
クロードはオーヴィーに乗ると、腰のあたりでバックルを締める。
「それはありがてえな。こっちは竜使い様と違って懐具合はそれほど良くないんでね」
グレッグはそう言って、粗い目の麻袋から明らかに古くて土で汚れている鞍と鐙を取り出し、それを自分の竜に付けると、鎖を外して背中に乗る。相変わらずの猫背であり、乗った姿はとても立派なものとはいえなかった。
「ここからあの山をぐるりと回って戻ってくるコースでいいか」
「いいよ」
「あんまり短い距離だと初速で決まっちまうから、そっちが不利になるだろ」
「その竜をちゃんと飛ばせられたらそうかもね」
クロードも負けずに言い返す。
「それじゃあ、いくわよ」
ヘラが言うと、クロードは身構える。負けるとは思っていなかったが、誰かと競って飛ぶことは初めてだったので、緊張はしていた。
「せーの」
彼女が腕を上げたのが合図だった。
クロードたちは一斉に飛び出した、と思いきや実際に飛んだのはクロードとオーヴィーだけであった。クロードはまっすぐ前を見ていたが、気配を全く感じられなかったので振り返ると、グレッグの竜はまだ地面でぐずぐずしていた。
「これじゃあ、勝負にならないな」
そこでクロードはオーヴィーに翼の羽ばたきを緩めさせたが、そのタイミングで「行くぞ」とグレッグが足で横腹を蹴って呼びかけると、くすんだ緑色の竜は屈んでからその短くも太い脚で地面を蹴って飛び出し、あっという間にクロードたちを追い抜く。
「くそっ、やり方が汚いな」
「勝手に止まったのはそっちだろ。こいつはいつも飛ぶ前はぐずるからな。こうやって蹴飛ばしでもしないと飛ばないのさ」
それが本当のことかどうかはともかく、クロードは急いでオーヴィーに追わせた。数秒の出来事であったので、さほど遅れをとることもなくクロードたちは追いつき、そのまま前へ出た。
それからしばらくは互いに距離を保ったまま、目の前に見える山に向かう。グレッグはクロードが思っていたよりもずっと安定して飛んでいた。その性格からもっと揺さぶりをかけてくるのではないかとも考えていたが、初めのことを除けば特に変なこともしてこない。もっといえば、彼が先ほど話していたことでもあるが、身体の大きさからして力があるのはグレッグの竜の方であるはずだが、抜き返してからも全く追いついてくる様子もない。さすがに今はもうグレッグが竜をろくに飛ばせない竜使いでないことは分かっていたが、それがただ調子を上げられていないのか、それとも単純にスピードが出ないのかまでは判別がつかなかった。
「なあ」
そこで後ろを飛んでいるグレッグが声をかけてくる。
「揺さぶりには乗らないよ」
何かを仕掛けようとしているのだとクロードは考え、きっぱりとそう言う。
「そんなんじゃねえよ。そもそもこんなところで仕掛けても意味ねえだろ」
「どういう意味?」
「まさかとは思うが、これまでに一度も誰かと競って飛んだこともないのか」
「ないけど、それが何」
クロードはあくまでもつっけんどんに答えるが、するとグレッグはわざとらしく大きなため息をついた。
「飛び方でど素人が透けてんだよ。おまえは競うということがどういうことか全く分かっていないようだな。それで竜征杯に出るつもりだったなんて言葉も出ねえよ」
「じゃあ黙ってれば」
クロードは本心からそれを願っていたが、彼が黙るはずがないのは分かっていた。
「今となってはどうでもいいけどな。どうせお前はこの勝負に負けるのだから、そいつに乗って竜征杯に出場することもあるまい」
クロードはもはやそれには反応せず前に向き直り、「オーヴィー、もっと飛ばせるか」と訊いた。今日は二人を乗せて長いこと飛んでおり、美味しいご飯は競竜場で与えたが、体力はそれほど残っていないだろう。以前、配達の仕事で女性を乗せたときはすぐにへばってしまったことを考えると、今も飛んでいられるぐらいにはオーヴィーの体力が増していることを実感させられ、クロードは王子たちの飛びっぷりを見て失いかけていた自信を少し取り戻していた。
オーヴィーはさらにその小さな翼を速く羽ばたかせ、前のめりになって加速する。
「大変そうだな」
少し距離を離したように思えたが、その差はほとんど広がらない。翼が小さいと羽ばたかせる回数を少し増やしたぐらいではそう変わらないのだ。しかしそれはクロードも分かっていた。
「まだいけるよね、オーヴィー」
そう問いかけると、さらにその翼を目一杯広げ、そこから空気をかき分けるようにその翼の先を少しだけ丸めて、ずんずんと前に進み出る。たとえ小さな翼でも無駄のない使い方をし、そしてその身体を鍛えることで、まだまだ飛距離も飛行速度も伸びると思っていたからこそ、クロードは毎日そのことを意識して励ませていた。そしてそのおかげで先ほどよりもグレッグとの差は広がった。
「よし。いいぞ、オーヴィー。もう少しで折り返しの山に到達する。疲れているかもしれないけど、頑張ろう」
オーヴィーは短く鳴く。
二人は山の左側にある隣の低い山との谷間を目指す。高度が低いところから入れば山の外周は長くなるが、かといって今から高度を上げるのも相応の力が必要だ。クロードは山の攻め方をあまり理解していなかったが、後ろのグレッグも同じような道筋を辿ってきたのでおそらくそう間違ってはいないのだろうと考える。
距離にすればそれほど長くはないが、それでもヘラのいる場所からはだいぶ離れており、もう全く見えなくなっていた。
そのままクロードたちは山の裏に回りこんでいく。この辺りの山々はそれほど高くもなく、いつも練習している裏山と似ていて慣れ親しんでいるもので、心地良ささえも感じられる。
しかしそこでクロードに言い知れぬ悪寒が走る。そのいつもの快適な飛行に突如として異物が紛れ込んだようであり、その異物はどす黒く不快にするものであった。クロードは白い顔で後ろを見る。するといつのまにか距離を縮めたのか、グレッグの姿が目前まで迫ってきていた。
「さあ、遊びの時間は終わりだ。これまでは楽しいハイキングみたいな飛行だったが、これからはもっと楽しい断崖絶壁の登山とでもしゃれ込もうじゃねえか」
彼が仕掛けてくるのは、いつにもまして気味の悪い笑みを浮かべていることから分かった。
「オーヴィー、距離を取るんだ」
しかしオーヴィーはすでにかなりの力を費やして飛んでおり、その指示を遂行するのは容易ではなく、案の定あっさり詰められる。しかもそれはただ距離を詰めたのではなく、まっすぐと突っ込んできていた。避ける間もなく追突される。
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