第10話 帰り道に現れた猫背の男
「あなたたち、ちょっと変じゃない?」
夕焼け空の中で、クロードの腰に掴まっているヘラが言う。しかし返事はない。ヘラはクロードの腹の肉をつまむ。
「痛っ。何すんだよ」
「さっきから話しかけているんだけど」
「ああ、そうなの」
「いや、そうなのじゃなくて。さっきからずっと上の空でしょ」
「そうだっけ」
「オーヴィーもオーヴィーで珍しくぼうっとしていて、たまに落っこちそうになるし」
オーヴィーもクロードと同じように心ここにあらずといった様子で、先ほどから何度も突然その翼の羽ばたきを止めては、ヘラがクロードの代わりにオーヴィーに注意していた。
「どうしちゃったのよ、クロードもオーヴィーも。まったくもう」
ヘラはため息をつく。
クロードはずっと王子たちの飛行を反芻するように思い出していた。完璧な隊列、阿吽の呼吸で動き、まるで一匹の巨大な竜が飛んでいるかのようだった。彼らが竜征杯の優勝候補の筆頭であるのは言われるまでもなく分かった。実際、帰っていく観客たちは口々に今年の竜征杯も選挙もすでに決したようなものだろうと話していた。
やはり国を背負っていくべき者たちとして国民の信頼を勝ち取るには、あれぐらいのことは出来ないといけないのだろう。あの隊列飛行は、竜征杯の前に自分たちの力を人々に誇示することで、自分たちが勝つ風潮を作り、まだ竜征杯での身の振り方に迷いがある竜使いを引き込んで敵の戦力を削ぐ狙いもあったようで、王子の護衛は他家の追随を許すことなく勝つと宣言までしていた。しかもその後に行われたレースでも、他の竜を蹴散らして勝ったのは王家の息の吹きかかった竜と竜使いであり、彼もまた王家を守る盾として竜征杯に参加すると話していた。
彼らの言うように、竜征杯での彼らの勝利は揺るぎないものにしか思えなかった。他の家の竜や竜使いのことは分からないが、そう簡単に彼らに太刀打ちできるとは考えにくかったし、それはもちろんクロード自身にもいえることだった。
「もうそろそろ村に着くわよ。オーヴィーの飛行も安定しないから、降りた方がいいんじゃないの」
「ああ、うん」
クロードはやはり気の抜けた返事をすると、オーヴィーに地面に降りるように促す。それからオーヴィーは一匹でゆっくりと飛びながら、クロードたちは歩いて家に向かう。
「クロードが衝撃を受けるのも分かるわ。あんな凄い飛行をする人たちが協力し合って自分と同じ目標を目指しているなんて知ったら、私でもすぐに逃げだしたくなるでしょうね」
「逃げたりなんかしないよ。どうやったら勝てるか考えていただけだ」
「ホントに?」
「ホントさ」
強がってはいたが、嘘ではなかった。しかし自分がこれまで手応えを覚えていた成長の実感が彼らの力と比べればどうしようもなくちっぽけなものではないかと思わされ、自信が揺らいでいることは否めなかった。
「別に恥じるようなことではないと思うけどね。誰だって何かの拍子に夢を見ることはあるわけで、それが出来るかどうかは先に考えておくものではないでしょ」
「まるで僕が勝てないみたいな言い方だな」
クロードは不満そうに言い返す。
「そうさ、そいつに慰めの言葉なんてかける必要はない」
ざらついた声が聞こえてきたかと思うと、いつのまにか彼らのすぐ近くに変わらない猫背姿のグレッグがいた。
「どこにいたんだ、グレッグ」
クロードは不快に感じるのと同時に驚いてもいた。
「竜に乗っていたのに気付かなかったのか。まったく、不注意が過ぎるぜ。そんなんで竜使いとは笑わせてくれるな」
グレッグはそう言いながらも薄気味悪い笑みを浮かべる。
「そこの茂みで用を足していたんだよ。年を取ると近くなってな」
ヘラは露骨に顔をしかめて一歩下がる。
「いくらそいつがガキだからって、お嬢ちゃんもあんまり適当なことを言ってやるなよ。優しい言葉を投げるだけが保護者のつとめじゃないぜ」
グレッグはクロードが幼い頃にヘラに頼ることが多かったのを揶揄して言っている。
「女の子の次はトカゲみたいに小さな竜、おまえはいつまで経っても誰かに守られるだけの存在なんだろうな。俺の一番嫌いな種類の人間だ」
「好き嫌いの話はともかく、別にクロードがどうしようがあなたには関係ないじゃない」
ヘラはグレッグのことも全く恐れることなく言う。
「そうだな。確かに俺には関係のないことさ。だが、口を出すのも俺の勝手だ」
「何よ、そのとんでも理屈」
ヘラは呆れる。
「俺はガキに話しているんだ。陰口じゃなくて、たまには俺に面と向かって言えばどうだ」
「陰口なんて言わないし、アンタの話なんてどうでもいい。僕は僕が信じることをやるだけだ」
「信じるのと縋るのはまるで違う。そしてそれがどれだけ周りに迷惑をかけるか分かっちゃいないんだ、おまえは」
そこまで言われるとさすがにクロードも腹が立つ。
「じゃあ言わせてもらうけどさ、そうやってグレッグはいつも偉そうに言っているけど、自分はどうなんだよ。竜使いなのにこんな田舎町にやってきて、どうせ家でもそういう言動をしていたから嫌われて追い出されたんじゃないの。皆が相手をしない中、祖父ちゃんが助けてくれたから農家になれたんでしょ。そんな人の話に、誰が耳を傾けるというのさ。大体、竜使いのくせに空を飛んでいるとこなんて誰も見たことないけど、もしかしてろくに飛ばせなくて僕を僻んでいるだけなんじゃないの」
クロードは思っていたことをぶちまけた。痛いところを突いたつもりでもあった。しかしグレッグは少しも傷ついた様子はなく、むしろ不気味なほどにやけていた。
「それなら勝負してみるか?」
「勝負?」
「競竜や竜征杯と同じさ。一斉に飛んでどちらが早くゴールに辿り着くか競うだけだ。おまえ、竜征杯で優勝するつもりなんだろ。だったらこんな田舎町に住む落ちぶれた竜使いに負けるはずもないし、ましてや逃げ出すようなことはしないよな」
「誰が逃げ出すものか。むしろ僕はアンタが竜から落っこちないか心配なぐらいさ」
売り言葉に買い言葉でクロードは答えたが、予想外の提案に戸惑っていた。クロードの言うように、彼がこの町にやってきてから竜で飛んでいるところなど、本当に誰も見たことがなく、正直なところ飛んでいる姿さえ想像できなかった。
しかし、だからこそクロードは負けるはずがないと思っていた。クロードは毎日仕事で空を飛んでいるのに加えて特訓もしている。今の段階で王子たちに勝つのは難しいことかもしれないが、ろくに飛んでもいない竜と竜使いに負けるようなことはないはずだと考えるのは真っ当であった。
「よし、決まりだな。竜を出してくるから待ってろよ。審判はそこのお嬢ちゃんでいいだろう。正々堂々と行こうじゃないか」
そう言うと彼は自分の家に向かって歩いて行った。
「なんだか不気味ね」
「虚勢を張っているだけじゃないの」
「そうだといいけど、ああいう人って自分が負けそうな戦いはふっかけないと思うんだよね」
「つまり僕が負けるかもしれないと」
「可能性を考えるのは大事でしょ」
「負けたりなんか絶対にしないさ。彼は王子や王子に仕える精鋭たちでもなければ、競竜の選手でもない。仮に竜を飛ばせたとしても、思うように飛ばすには竜と呼吸を合わせないといけないし、それは毎日飛んでいる僕たちの方がずっと上なはずだ。もしかしたら途中でどこかあらぬ方向に飛んでいってしまうかもしれない。馬の前に人参をぶら下げるのとはわけが違う」
「そうね。私もあなたが勝つことを祈っているわ」
ヘラは心配そうにしながらも、そう言った。
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