第9話 飛ぶ竜、歌う竜

「本当に良かったの?」

 宝石店から去った後、クロードたちは街の上空をゆったりと飛んでいた。非常時でもなければ、基本的に市街地の上では速度を抑えなくてはいけない決まりとなっている。他にも竜が飛んでおり、事故が起きやすいからだ。

「何が?」

「いや、さっきの宝石付きの指輪だよ。ヘラの家だって決して貧しいわけではないけど、もらえるに越したことはなかったんじゃないのか」

「それじゃあ、もしクロードが同じことを言われたとしたら買ってもらった?」

「男がダイヤを買ってもらえる状況なんてまず無いから、そう聞かれても分からないけど。でも、もらい上手というか、来るもの拒まずとでもいえばいいのか分からないけど、そういう心構えも生きていく上では必要じゃないのかな」

「あなたの反応を見ていると、本当に無自覚でただ私が自意識過剰なのかもしれないと思えてくるわね」

「良く分からないけど、あんまり難しいことは言わないでくれよ。僕の頭がそれほど良くないことは知っているだろ」

「そうね。あなたはまだ子どもだもんね」

「何だよ、その言い方」

「こんな様子なら、やっぱりもらっておけば良かったかも」

 クロードはヘラのふてくされた様子が気にならないわけではなかったが、すぐにまた別のことに気を取られる。そもそもヘラは頼まれた買い物とちょっとした観光が目当てで王都にやってきていたが、クロードは違う。

「おっ、あれだ」

 街の八方に伸びる大通りがぶつかるその場所は、円形の大きな広場となっているのだが、そこには大樹の切り株のような形の竜専用のハブがあった。外にせり出した木板が階層上に連なっており、何十匹もの竜たちが上空から出入りし、もしくは休息をとっている。

「すごい数の竜ね」

「ああ、なんせ最も大きな竜ハブだからね」

「下の方にいる竜なんてちょっと大きすぎじゃない。小さな家よりもよっぽど大きいわよ」

 昼間にもかかわらず、それらはずんぐりした身体をのさばらせ、いびきをかいて寝ていた。

「特に重い荷物や人が乗れる屋根付きの箱舟を運ぶ竜たちだね。僕たち配達員もたまに人を運ぶことがあるけど、そういうのとは全く違って、経路が決まっていてそれぞれの街にある停留所を回るんだ。僕たちの村や街の近くは田舎だから通らないけどね」

「聞いたことはあったけど、実際に見たのは初めてだわ」

 ハブ内や近辺には竜使いご用達の店が多数入っており、竜使いが使う道具や竜の餌などが安いものから高級品まで幅広く取り揃えられており、竜使いの聖地ともいえるような場所である。

「買い物があるから降りるよ」

「そのキラキラした目をさっきまでの私もしていたのかしら」

 先ほどまで服屋、雑貨屋、宝石店などに散々立ち寄っていたヘラは苦笑いを浮かべる。

「そんなに時間はかからないよ。買うものは決まっているし、本当にちょっと立ち寄るだけさ」

「長居してもいいけどね。私は乗せてもらっているわけだし」

「いや、いいよ。だってもうすぐ競竜の時間だからね」

 クロードが休日にわざわざここまでやってきたのは競竜を見るためであった。これまでも仕事のついでに見に行ったことはあったが、今回は飛行時の参考にしようと思っていた。

「何を買うつもりなの。オーヴィーの美味しいご飯とか?」

 竜は基本的には雑食であり、肉、魚介、麦、芋、野菜、虫など何でも食べる。好みはそれぞれだが、オーヴィーの主食は麦と芋であり、それらは家の畑でも採れるのと小食であることも相まって、さほど手間がかからなくて助かっているが、偏食家や味道楽も少なくなく、飼育員はその餌やりに悩まされることも多いという。またそういった竜たちを満足させられるのが、各地から原材料を仕入れて作られた高級飼料であった。しかしそれらは、クロードにはとても普段からオーヴィーに与えられるような値段のものではない。

「いつも頑張ってくれているからそういうのも買うつもりだけど、今日は鞍と鐙を買い換えに来たんだ」

「鐙なんて使ってたっけ」

「いつもは使ってないよ。積量はなるだけ減らしてあげたいし、普通に飛ぶだけなら無くても問題はないからね。でも竜征杯では、少しぐらい重くなっても安定性を重視すべきだと思うんだ。バックルもちゃんと付けるつもりだよ」

 バックルは鞍に取り付けることで、自分の腰を一定の位置に固定し、竜が危機回避のために体勢を崩した際などにも背中から落ちないようにするのだ。乗り慣れていない竜使い見習いなどは装着するのが当然であり、ヘラがオーヴィーに乗って飛んだ時にクロードが怒ったのもそれを付けていなかったことが大きい。

「なんだか大変そうね」

 しかしヘラは呑気で他人事な様子であった。



 実際、それらを買うのにはさほど時間はかからなかった。何度か行ったことのある店なのでそこでは特に何も問題はなかったが、それでもハブの中にある螺旋階段を上り下りしている時には、他の店の品を物色したいという欲求との戦いが頭の中で繰り広げられており、余分なお金を持ってこなくて本当に良かったとつくづく思わされた。

 それからクロードたちは王都の外れにある競竜場に向かった。

 競竜場はこの国が出来たときにその記念として建てられたのだが、現在も工事は終わっておらず、その楕円形状の肌色の外壁は石が積み上げられ続けている。それほどに大きな施設ゆえに屋根はほとんどついておらず、観客席の一部を除けば吹きさらしになっているので、それこそ竜を飛ばして上空から競技を見ることも出来るが、それはマナー違反であるし、そもそも競技の途中で竜が外に飛び出すこともあるので危険だ。ただその代わりに後方の席だけは竜の入場も認められている。競技を見ているうちに興奮して暴れ出す竜もいるようだが、そうなった場合は出禁になる上に、高い罰金も支払わなくてはならない。しかしオーヴィーにその心配は不要である。

「私は全く興味ないんだけどな」

「悪かったよ、無理やり付き合わせて」

「あとで美味しいもの食べさせてくれるなら許してあげる」

 ヘラはぺろりと舌を出す。

 売店で入場チケットを購入するために列に並ばされたが、他のほとんどの来場者とは異なり賭け事をする気はなかったので、そちらの券は買わない分、早く戻ってこられた。

「賭けなくて良かったの」

「他人の竜に賭けたりしないよ。僕が賭けるのはオーヴィーだけさ」

「あら、カッコいい」

 そんなやり取りをかわしつつ、クロードたちは係員にチケットを見せ、ゲートをくぐって中に入る。ひんやりとした薄暗い通路を竜と共に歩いていくのは新鮮な気持ちにさせられる。オーヴィーはそこで明らかに機嫌のよさそうにドタドタと小走りをしていたが、それは竜が元々は夜行性であったからなのかもしれない。今は人間の生活に合わせて昼間に起きているものが多いが、暗闇でもハッキリと遠くまで良く見えるようなので、その翼の音と鳴き声の煩さを気にしなければ、夜間でも優秀な御庭番になる。それから竜連れ専用の席へ続く、広くて誰もいない階段を上っていくと、眩しい日の光の下に出た。

「うわ、すごっ」

 すでに下の客席には人がひしめくように入っており、さらにその向こうには黄緑色の芝の植わった地面が何百メートルも先までずっと広がっていた。

「いつ来ても、ここの広さには驚かされるよ」

「賭博場みたいに薄汚れていてもっと殺伐とした雰囲気の場所だと思っていたけど、開放的で清々しいわね」

「丁度暖かくなってきた時期だからね。毎年このぐらいから本格的に行われるようになるんだよ」

「でも、この辺りの席はガラガラよね」

「竜使い専用な上に、厩舎を持っているような人たちは向かい側に席が用意されているから、こっちにはあんまり来ないみたいだね」

 しばらくするとおそらく今日何度目かの管楽器の吹く音が場内に鳴り響き、遠くの方のゲートから燕尾服の司会者と思しき男がやってくると、慣れた様子で挨拶を始めた。

 ヘラはもちろんのこと、クロードもそれは適当に聞き流していたが、竜の紹介の部分だけはちゃんと聞いていた。短距離のレースから順に行われて、竜の数も後半になるにしたがって増えていくのだが、初めの方は出場数の少ない経験の浅い竜たちが戦うことになっており、クロードの見たかった大会に参加するような竜が登場するのは後の方であった。

「ちょっと早く来すぎたかな」

「ええ、そうなの。すぐにあると思ったのに」

「一日だけでも十レース以上はあるからね。売店で何か好きなものを買いに行ってもいいよ、僕のお金で」

 目下ではゲートから出てきた七匹ほどの竜たちと竜使いたちが、すでにスタート地点に立っていた。場内は少しだけ静かになり、空砲が鳴ると二人とも自然とそちらに目を向けた。このレースは競技場の端から端まで飛ぶものであったが、飛び出した瞬間から翼をぶつけ合い、牽制し合っていた。しかしその中でも大きめの竜が両隣の竜を弾き飛ばしたかと思うと、そのまま前に躍り出し、他の竜たちは小競り合いをやめて追いかけるが、あっという間に半分を過ぎ、それから何事も無くその竜が一着でゴールした。

「なんか、最初で全部決まっちゃうのね」

「短いレースだと最初の位置取りが重要なのは間違いないね」

「一着だった竜の隣の竜なんて、両側から押し潰されていたよね。やっぱり身体が大きい方が有利なんじゃないの」

「小さくても俊敏ならちゃんと勝てると思う」

 むきになっているつもりはなかったが、つい言葉に力が入ってしまう。

「そうかしらねえ」

 ヘラはあまり関心もなさそうに言う。

 そんなこんなでしばらくは竜の数の少ないレースが続いたが、やはり最初のレースと同様に、出だしでほとんど決着がついていた。一度、まだ成長しきっていない若くて小さな竜が目覚ましい追い上げをみせたときにはクロードも興奮して思わず声を出して応援したが、一歩及ばずの二着であった。

 それから少し時間が経ち、またレースが終えた後で、再び司会者が出てくる。

「皆様、お待ちかね。いよいよ次が本日の最終レースとなります」

「おっ、来たな」

 クロードは身を乗り出す。

「しかしその前に、今日は特別なゲストをお呼び致しております。このことが決まったときには私も驚きと興奮を隠せず、本来であればもっと大々的に告知させていただきたかったのですが、安全面を考慮されてそうしないようにとの通達がありましたので、まさしく断腸の思いで黙って参りました。皆様はさぞ驚かれると思いますが、どうか腰を抜かしてしまわないようにご注意くださいね」

 彼がやたらと仰々しく話すのは仕事柄であろうと、クロードは全く期待しておらず、むしろ早くレースの方を見せてくれとしか思っていなかった。以前、仕事終わりの帰りに同僚に連れられて来たときも同じようなことを言っており、そのときは期待して待っていたのだが、異国からやってきたという得体のしれないサーカス団が出てきてがっかりさせられた。

「あら、可愛いわね」

 初めに食いついたのは、それまでうつらうつらしていたヘラであった。席を立ってレースまでに用を足そうかと思っていたクロードであったが、彼女の視線の先を見ると、ゲートからは続々と竜が出てきていた。それらはまるで絵の具のパレットのように色とりどりの竜たちであり、ゆっくりと競技場の中央に飛んでいくと三列に並び立つ。背中には人も乗っておらず、明らかにレースに出てくるような竜とは体付きも異なっていたが、背筋の伸びた綺麗な立ち姿には程良い緊張感があり、ずっと騒がしくしていた観客たちも静まる。

 そして司会者とはまた別の燕尾服の男がゲートから現れると、一度観客席に向かってお辞儀をしてから竜たちの前に立つ。男は少しの間、そこで何もせずに立っていたが、突然手を振りあげ、すると一斉に竜たちが鳴き声をあげ始めた。しかもそれらはそれぞれ上下の音階に分かれながらも調和して綺麗なハーモニーのコーラスとなっているのであった。

「ねえねえ。もしかしてこれって、竜の合唱団じゃないの」

 ヘラは興奮気味であった。演奏としては複雑なものではなかったようだが体をなしており、力強くもどこか儚げな美しい声に観衆は聴き入り、午後の陽気の中、彼らの心が洗われていく。それほど長い時間ではなかったが、竜たちが歌い終えてもしばらくは余韻があり、その後で会場中から拍手が沸き起こった。クロードの隣にいたヘラも必死で手を叩いていた。

 指揮をしていた男が観客席の方に向き直る。

「ご清聴ありがとうございました。まだ結成して間もないですが、これからも活動の幅を広げながら、もっと素晴らしい合唱が出来るように竜共々、日々努力していきたいと思うので、今後もよろしくお願い致します」

 そう言って、男は先ほどと同じようにお辞儀をするが、すると後ろにいた竜たちまでも頭を下げた。

「すごいすごい」

 ヘラはまるで子どもが初めて立ったのを見た時のようなはしゃぎ具合で手を叩く。

「レースよりもよっぽど楽しかったわ。オーヴィーもそう思わない?」

 ヘラはそうオーヴィーに呼びかけたが、オーヴィーはその青い目をぱっちり見開いて、じっと竜たちの方を見ていた。

「オーヴィー?」

 クロードも呼びかける。

 しかしそこで竜たちが再び歌いだした。今度は人間の奏者も加わっており、ずんずんと響き渡るように打楽器を叩き、竜たちも先ほどの繊細さとはうって変わって勇ましく吼え、まるで戦いの際に士気を高めるために鬨の声をあげているようであった。そしてさらにまた別の竜たちがゲートから飛び出してくる。それらは歌っているものとはまるで違う、さらに言えば先ほどレースをしていた竜たちと同様の類ではあったがその迫力とオーラは段違いであった。

「えっ」

 そこで思わず、クロードは目を疑う。横にいたヘラも彼のことに気付いたようだった。合計十匹の竜が一糸乱れることもなく綺麗な縦隊を組んで、競技場の上空を飛びまわるが、その隊列の中央には先ほど宝石店で会った王子の姿があった。

 彼らはその隊列を全く崩すことなく、観客席に向かって滑空するとスピードを少しも緩めることなく近づいていき、観客の目と鼻の先で鋭角に方向転換して上昇する。遠くに見えていても、その翼で巻き起こす風は競技場全体の空気を震わせていた。

 歌っている竜たちの曲に合わせて空中で交差するが、その大きな身体をぶつけ合うこともなく、変幻自在に形を変えて、観客席の至るところに飛んでいき、やがてクロードたちの目の前までやってくる。こちらが飛ばされそうなほど強く羽ばたかせる大きな翼、がっしりして少しも軸のぶれない身体、そしてそれを己の手足のように自在に操る勇ましい顔つきの竜使いたち、その最高峰の実力と風格にクロードは圧倒される。

 一瞬にして目の前を過ぎ去った彼らは、やがて地面に降り立つ。その頃には、それが王子たちによるものであることは、観客全員が分かっており、競技場は大いに盛り上がっていた。

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