第8話 宝石と王子

「きゃー、これダイヤモンドよね。ええ、こんなにキラキラしているんだ」

 黄色い声をあげて、店内のショーケースの前で騒いでいるのが外にいるクロードにまで聞こえてくる。宝石店なんぞにクロードが用のあるはずもなかったのだが、ヘラがどうしても入ると駄々をこねていたので、仕方なく待っているのだった。

 こういった店は、それなりに裕福な家の人間しか入店することさえも許されず、ヘラもだいぶ奮発して買ってもらったというフリル付きのドレススカートを着てめかしこんでいるとはいえ、クロードも含めてその格好はやはり身分の高い人たちのものとは異なる。それでも店に入れるのはひとえに竜を連れているからであり、そのおかげで実際の懐事情はともかく、それに値するだけの財産と地位を築いていると勝手に見なしてくれるのであった。

「どうせ買えないのだから、迷惑になりかねないし、入らないで欲しいんだけどな」

 クロードは店先にある鉄柵にオーヴィーを繋いだ鎖を手にしていた。この宝石店は石づくりなので防火性も高いが、ここに限らず大半の建物は竜のいる生活を前提に作られている。もう少し先に行くと竜専用の大きなハブがあり、街中を歩くときは竜をそこに置いておく人も多い。

「わあ、可愛いー」

 すると大通りを楽しそうにお喋りをしながら歩いていた二人組の少女たちが、オーヴィーを指さして声をあげる。街中でそう言われることは時々あったので、特に何とも思わなかったが、彼女たちの幼さゆえに無邪気にこちらに駆け寄ってきたのは少しだけ予想外だった。しかしオーヴィーはその人懐っこさから、首を下げてやってきた彼女たちに顔を近づける。

「青くてすっごく綺麗な目。ぴかぴかで宝石みたい」

「思ったよりもすべすべしているね」

 少女たちは顔を遠慮なくペタペタと触るが、オーヴィーは嫌がることもなくむしろ喜んでいるようだったので、クロードは放っておくつもりだった。しかしそこで「ちょっと、何やっているの」と声を張り上げながら、道の向こうから緑の頭巾を被った女性が近づいてくる。

「どこに行ったかと思ったら、こんなところまで来ていたのね。しかも竜に近づいて身体に触わるなんて、駄目じゃない。すぐに離れなさい」

「やだー」

 二人は口を揃えて言う。

「やだじゃありません。すみません、ご迷惑をおかけして。今すぐ、連れていきますから」

 彼女はクロードの方に頭を下げながら言う。

「いえ、別に大丈夫ですよ。僕たちは人を待っているだけですし、満足のいくまで触らせてあげてください」

「いいんですか」

 女性はまだ怯えた様子だったので、「ええ」とクロードはにこやかに答える。

「いえ、すみません。以前も似たようなことがあって、子どもたちが竜に近づいたら、ひどく叱られてしまいまして」

「場合によっては危ないですからね。叱る方も親切心からだと思いますよ。でも僕の竜は大人しくて人懐っこいので、危害を加えるようなことさえしなければ大丈夫です」

「ああ。いえ、おそらくそういった感じではなかったのですが。でも、大丈夫だと言うのなら、ありがとうございます。普段、農村に住んでいるもので子どもたちが間近で竜を見ることもないので、見かけるといつもはしゃぎたててしまうんです」

 それほど質の良いものでもないごわごわした羊毛のショールを緩めのチュニックの上に肩から膝下までかけており、またペラペラの革靴に土がついていたが、それは農家の女性のごく普通の格好であり、クロードにとっては見慣れたものであった。だから「気持ちは分かりますよ、昔は僕もそうでしたから」と言う。

「えっ、そうなんですか。身分の高い方は家にたくさん飼われていて、日常的に触れる機会があるのではないんですか」

「いえ、僕の場合は少し例外的な事情でして。おそらくあなた方が暮らしている場所よりもさらに田舎にある農村の農家の生まれで、同じように買い物に来ただけですよ」

「そうだったんですか。まだお若そうなのに竜を飼っていて、しかも宝石店の前にいたので、名家の方か何かだと思っていました。だからこそ余計におっかないのではないかと。この間、叱られてしまったのも大変有名な方でしたし」

 本当に名家の人間であればこんなところで一人待たされることもないだろうともクロードは思ったが、その人物が気になり、「へえ、どなただったんですか」と尋ねてみる。

「アギルド家の方です」

「えっ、あの泣く子も黙るといわれているアギルド家ですか」

 アギルド家は伝説の竜使いの片腕だったとも知られる竜使いの家系であり、彼らは猛烈な武闘派で、荒くれ者たちを束ねていることでも有名であった。

「この子たち、恐れ知らずなのよね。私なんか凄まれただけで足がすくんでしまったのだけど、大声で怒られてもケロッとしていて、今も大して反省もしていないみたいだし、なんだか恥ずかしくなってくるわ」

 オーヴィーの首にしがみついてはしゃぐ二人を尻目に、彼女はため息をつく。

 しかしそこで、にわかに通行人たちがその足を緩め、何やら騒いでいることにクロードは気付く。

「どうしたんですかね」

「空ですね」

 彼女が頭上を見上げるよりも早く、大通りに大きな影が落ちる。それは上空を舞う三匹の竜のものであった。

「おっきいね」

「すごーい」

 少女たちはオーヴィーから離れ、興奮した様子でその竜たちを指さす。彼女たちの声に応えたわけではないだろうが、クロードたちのいる場所へ三匹とも降りてくる。

 竜が降りてくるとき、通行人たちは道を開けるか立ち止まるかして降りることの出来る空間を用意するのが習わしとなっており、大通りとはいえ人は多いのでそれほど広くはなかったが、三匹は速度をあまり緩めることなく、しかし周りを気遣って風もほとんど起こさずに、ぴたりとその上に止まると、ゆっくり舞い降りてきた。

「道を開けてくれたこと、感謝する」

 すると真っ先に竜から降りた、青地に金の刺繍の入ったジャケットを着た男たちが通行人たちに向かって会釈する。彼らもその精悍な顔つきと立派な出で立ちから貫禄があったが、通行人の視線が集まったのは彼らではなく、彼らの後に優雅に竜から降りる肩ほどまである長い金髪の青年であった。

「どうもありがとう」

 その一言だけで、通行人の中にいた若い女の子たちから黄色い声があがるのも頷ける色男であった。

「これは、一体どうされたんですか」

 外の騒ぎを聞いて宝石店から出てきた恰幅の良い店主と思しき男はひどく驚いていた。

「いえ、近くを通りかかったので、ついでに頼んでいた品を取りに来ました」

「そんな、わざわざ来られなくても。いつものようにちゃんと宮殿まで持っていきますよ」

「挨拶がてらですから、そんなに恐縮しないでください。いつもお世話になっているのでお礼も兼ねてです」

「いずれにしろ、すぐに中にお入りください。今、お茶を用意させますから」

「焦らずにゆっくりでいいですよ。私も竜を止めていますから」

 青年はにこやかにそう言う。

「ちょっと、そこのキミ」

 おそらくは彼の付き人兼警護に当たっているのだろう彼らの一人に声を掛けられる。

「あっ、すみません。すぐにどきます」

「いや、ここにいてもらって良いよ。どかせるのも悪いでしょ」

 青年はあっさりと言う。

「そういうわけにはいきません。安全には配慮すべきです。ましてや今日は祭事があるのですから」

「そうは言っても、彼は先客なのだろう。さすがに良心が痛むよ」

 先客というよりもただの冷やかしでしかなかったので居たたまれない気持ちになり、すぐにでもこの場を後にしたかったのだが、肝心の待ち人がまだ出てこない。しかし丁度そう思ったところで、分厚い扉が再び開く。

「なんで追い出されないといけないんですか。いや、たしかに買い物するつもりもないのに長い間舐め回すように見ていたことは認めますけど」

 店主に押し出されるヘラは不満そうに言うが、それは店から追い出される十分な理由になるはずだ。

「ヘラ、行こう。ここにいては迷惑になる」

 ヘラはそこでようやく立っている三人の竜使いのことに気付く。

「ああ、別のお客さんが来てたのね」

「ほら、さっさと行くぞ」

 クロードはヘラの腕を掴み、気を利かせていたオーヴィーがすでに二人を乗せる体勢でいたので、そのまま乗ってしまおうする。

「でも、もう少し見ていたかったなあ。あの宝石付きの指輪を誰かさんが買ってくれたらずっと眺めていられるのになあ」

 ヘラはまだ未練がましそうに、そして明らかにクロードに向けて言う。しかしそれも無視して、「それでは失礼させてもらいます」と主に金髪の青年に向けて頭を下げた。

「それなら僕が買ってあげようか」

「えっ」

 ヘラは振り返って青年の方を見る。

「いや、なんだか申し訳なく思えてきてしまってね」

「あなたが街中に現れたら、こうなることは分かっていたでしょう。だから寄り道なんてしない方が良いと話したんです」

「あの、もしかしてすごく偉い方だったりするんですか」

 そこで時間が止まったような感覚をクロードは得たのち、先ほどからずっと恐れていた事態が起こってしまったことに思わず頭を抱える。護衛役の二人は目を大きく見開いて、ヘラを見ていた。それは純粋に驚きの要素があまりに大きかったからであろう。

「わあ、すごく大きい」

「青くてカッコいいじゃない」

「確かに大きいわね。翼なんてオーヴィーの倍ぐらいはあるんじゃない。三人まとめて一匹の竜に乗れそうなぐらい」

 しかもそのことにヘラは気付かず、少女たちに混ざって竜のことを話し出す始末である。

「まさかこの王都で、しかも竜使いの連れで知らない人間がいるとは思いもしなかったな」

「申し訳ありません。僕からも強く言っておきますので、どうかこのご無礼をお許しください」

 クロードは頭をこれ以上はもう下げられないぐらいに下げる。

「えっ、どういうこと」

 そこでヘラもさすがにクロードたちの様子から異変に気付いたようだ。

「このお方は国王様のご子息であり、次期国王とも言われているディベリアス王子その人なんだよ」

「えっ」

 クロードがその姿を見たのは、毎年開催されている正式に竜使いになった者たちの栄誉を称えつつも権利を公正に使用することを誓わせる、『竜使いの儀』に参加した時以来であったが、その風貌と護衛の付いている様子から通行人たちと同様、すぐに分かった。しかしヘラはそれに参加したわけでもなく、他の竜使いの家系の人々のように普段から身分の高い人たちと交流があるわけでもないので、王家やら名家の人間のこともほとんど知る由がなかった。

「こいつらに触ってみるかい」

 しかし意外なことに王子は、ヘラの発言も全く気にせず、子どもたちに尋ねる。

「触る!」

「撫でる!」

 元気に返事をする二人の母親もすでに状況を察していたが、予想外の事態にオロオロするばかりであった。

「じゃあ、まずはこいつからどうだい」

 そう言って、先ほど通行人に向けて喋っていた男の乗っていた竜のそばまで連れていく。

「危険ですよ」

「僕がちゃんと守るから平気さ。それともこんな場所で暴れ出すほどに僕が御せないとでも言いたいのかい」

「そうではありませんが」

 彼の気持ちは、クロードにはよく分かった。先ほどヘラも言っていたが、それぞれオーヴィーよりも遥かに大きく、その口は人間の顔を丸呑み出来そうなほどで、牙は簡単に身体を貫けるはずだし、さらには鋭い爪も持っている。

「大丈夫さ、こいつらは賢いからね。無垢で純粋な気持ちで接してくるのであれば無下にはしないさ、そうだろ」

 王子がそう呼びかけるとその竜は鼻を鳴らしてそっぽを向くが嫌がっているわけではないらしく、少女たちがいちいち騒ぎながらべたべたと触っても岩のように動かなかった。

「あの、すみません。私、そういうのに疎くて」

 さすがに悪いと思ったのか、ヘラは改めて王子に謝る。

「別にいいさ。僕は父上と違って国王でも何でもないわけだから。それよりも悪かったね。僕のことは適当に気にしてくれていればそれでいいのに、皆過剰に反応するんだから」

「過剰ではありません。竜征杯だって近づいているのですから、警戒を強めるのは当然のことです。この方たちがどこの家の者か知りませんが、竜征杯で対立する陣営の関係者であれば、何か細工の一つぐらい仕掛けてくるかもしれません。王子がお店に入るのであれば、他の客は返して、外に見張りをつけておきますよ」

「うーん、なんだか心苦しいね。竜征杯で万が一にも負けないためだというのなら仕方ないけど、そんなことはこの子には全く関係ないのは事実だ。ということで、お詫びに彼女が見ていたダイヤの指輪を買ってあげることにするよ。それぐらいは良いよね」

「本当に、良いんですか」

 ヘラが驚いた様子で聞き返す。

「ああ、可愛らしいお嬢さんに好きなものを買ってあげるのは男の特権さ」

「可愛らしいなんて、お世辞でも嬉しいです。せっかく頑張っておめかししたのに全然言ってもらえなかったので」

「お世辞なんかじゃないよ。ありのままの事実を述べただけさ」

 王子は甘ったるい言葉をさらりと言う。それからヘラは二人の護衛の方を見るが、彼らもまた「私たちから言えることは何もありません」「ええ、問題は特にありませんね」と答える。

「いや、そんなの申し訳ないですよ」

 クロードはこちらの非礼もあって及び腰だったが、するとヘラはにやけながら「もしかして焼いているの」とクロードをからかってくる。

「何を焼くんだよ。僕はただ幼馴染のとんだ非礼を謝っているだけだ。相手がどなたか分かっているのか」

 クロードはこんな状況でもふざける彼女の神経を疑いたくなる。

「でも、そうね。私みたいな農家の娘にはびっくりするほどありがたい申し出ですけど、遠慮させてもらいます。私の非礼もありましたし、何より本当に買ってほしくなったら、今私の代わりに頭を下げている彼に買ってもらうことにするので」

 そう言って、ヘラは頭を下げる。

「プレゼントを断られたことは初めてなんだけど、二人ともどう思う」

 ヘラが自分のことを知らなかったことが分かったときよりも、王子は遥かに驚いているようだった。

「聡明ではありませんね」

「お世辞にも賢明な判断とは言えませんね」

「ですが、素敵な答えかもしれません」

「竜使いにも相応しい気高さを持ち合わせているのかもしれません」

 二人は口々に言うので、クロードは戸惑う。

「農家の娘であれば尚更受け取っておけば良かっただろうに。僕から言い出したことなのだから、がめついなんて思ったりしないよ。でも、そう言うのであれば納得はしよう」

 王子は少しばかり残念そうだった。クロードはヘラが断ったことに安堵する気持ちがあった一方で、彼女の選択が決して小さなものでなかったことをじわじわと感じさせられていた。

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