第7話 休日の特訓とお出かけ
山の木々の葉っぱは深い緑色に染まり、早朝でも息が白くなることもなく、焦げ茶一色だった畑にはいくつもの列をなして一定間隔に黄緑色の芽が出てきていたが、クロードはその景色を呑気に眺めているわけではなかった。
クロードの家の裏手にある山はそれほど高いものではないが、その向こうまでいくつもの山が連なっており、その谷間の木々の上を飛んでいた。
「もっと高度を下げるんだ」
クロードがそう言うと、オーヴィーは翼の羽ばたきを緩め、ゆっくりと下降する。
「もっとだよ、もっと。まだまだ下げられるって」
そう指示を出すのも初めてではなかったが、やはりほんの少しばかりしか下がらない。あまり下げすぎれば、生えている木の枝に当たってしまう恐れがあるので、安全に配慮するならばそれで正しいのだが、速さを競うレースになればそうは言っていられない。
「あの高い木だよ、オーヴィー」
それでも折り返し地点に近づいていたので、クロードは気を取り直す。むしろここからが本番であった。クロードたちが目指していた高木の周りは拓けており、その木をぐるりと一周しながら、螺旋状に根元の方へ降下していく。しかしそこで地面に着地することはなく、そのまま木々の隙間を縫っていくつもりなのだ。つまり行きは木々の上を、帰りは木々の下、もとい地表近くを飛ぶコース設定にしていた。
ある程度は山道に沿っているためその上を飛べるが、途中からは木々が密集して空間も何もないところを突っ切らなくてはならない。竜征杯のコース設定は毎回違うそうだが、深い森や山はこの国の至る所にあるのでこういった場所を飛ぶ可能性は十分にある。
まずは高木のすぐ横にある山道に入っていく。まだ道がひらけているのにもかかわらず、オーヴィーは慎重におずおずと飛んでいくので、「もう少し速度をあげよう」とクロードは促す。
それから少しは速度があがり、しばらくは山道を飛んでいたが、やがて行き先と別の方向へ道が逸れていくので、いよいよ道の無い場所を飛ぶことになる。夜が明けてもまだ薄暗く、その中を茂みや枝を避けて進まなくてはいけないので、危険な飛行になるのは言うまでもない。
しかしクロードはこういった場所での飛行こそ、自分たちの強みになりえると考えていた。先ほどまでのような拓けた空間では、どうしても身体が大きくて力のある竜が有利になってしまうし、空の上は風が強く、味方と隊列を組んでいる方が体力の消費も抑えられる。しかし低い場所で、さらに道が入り組んでいて狭くなれば、隊列も組みづらく、身体が小さい方が小回りが利く。森の中に限らず市街地や洞窟など狭く入り組んだところも多々あるので、拓けたところではどうにか食らいついていき、こういった狭い場所で抜け出すというのがクロードの考えであった。
オーヴィーは少し止まってクロードの顔をうかがう。
「そう、行くんだよ。方向はこのままでいい。最短距離を目指すんだ」
オーヴィーはすくんでいる様子であったが、それでも木々の間へ入っていく。すぐ下には茂みと木の根っこが、上には枝が伸びているその隙間を飛んでいく。ときに茂みや枝や葉っぱをかすり、上空を飛んでいるときよりもずっと緊張感があった。
「あっちの方が木々の植わっている間隔が広そうだ。右に方向転換して」
するとオーヴィーは露骨にスピードを落とすので、「もっと早く、前に進みながら向きを変えていくんだ」とクロードは語気を強めて言う。ここ一週間ほどは場所を変えつつもずっと同じようなことをしているのでさすがにそろそろ慣れてほしいと、クロードは飛び出ている枝を避けるために身を屈ませながら思う。
「よし、ここなら速度を上げられるはずだ」
しかし先ほどよりもさらにゆっくりと飛ぼうとするので、「ねえ、聞いている?」と思わずクロードは問い詰める。しかし、オーヴィーはそのまま身体を伸びあげるようにして宙で止まってしまった。
「何だよ、練習にならないじゃないか」
クロードは苛立ち交じりであったが、そこで突然横の茂みから大きな猪が目の前に飛び出してきたので、思わず驚いて身体をびくりと震わせる。猪はこちらに気付いていたようだが、その勢いのまま走り去って行った。オーヴィーは翼を自分の身体に寄せるようにして傾いたクロードの身体が落ちないように支える。
「ごめん。オーヴィーはいつだって僕のことを思いやってくれているのに」
クロードは自分が冷静さに欠け、視野が狭まっていたことに気付かされた。
「今日はもうやめにして、家に帰ろう」
するとオーヴィーはいつものようにゆっくりと翼を羽ばたかせ、ふんわりと風を巻き起こした。
農家に休日はないと言われているが、今は畑を貸し出しているので、クロードは手伝いを頼まれない限りはやることもない。詰所も毎日営業しているが、配達の仕事はシフト制になっており、週一から二日は休める。得てしてクロードのような新入りには仕事を多く回されるものだが、それでも休める日はちゃんとあり、それがたまたま休日と重なっていた。
「どうしてヘラまでついてくるんだよ」
「お使いを頼まれたからでしょ。聞いてなかったの」
「いや、それは僕がついでに済ませればいいだけじゃないか」
「今日はよろしくね、オーヴィー」
ヘラはクロードのことは無視して、オーヴィーの身体を撫でるように触ってから背中に乗ると「さあ、行くわよ」と威勢よく言う。
「おい、待てって」
オーヴィーもそれに乗じて翼を広げて飛び立つので、さすがにクロードも慌てる。
「オーヴィーは私が頂いた。返してほしくば、大人しく私のことも連れて行くことね」
「いや、危ないから降りろって。バックルも付けてないだろ」
クロードは叱りつけるように言うが、数メートルほどの高さで二人して楽しそうにしていた。
「分かった、連れていくから。どこへでも連れてってやるから降りてこい」
するとようやく二人は地面に戻ってきた。
「普段、クロードはこんな気持ちで乗っているんだ。これは病みつきにもなるわね」
「竜使いの資格を持ってない人が、一人で竜を飛ばすのは違反なんだぞ」
「良く言うわね、自分だって資格を取る前から散々飛んでいたくせに。あっ、もしかしてやきもち焼いているんでしょ。愛しのオーヴィーが私に取られるんじゃないかって。私たち、こんなにも息ぴったりだもんね。そう思うのも仕方ないわ」
「馬鹿なことを言うな」
クロードは否定するが、いくら数メートルほどの高さとはいえ、ヘラの上体はぶれることなく安定しており、その姿が様になっていたことに驚き、また少し複雑な気分でもあった。しかしそこでクロードの気持ちを読み取ったのか、オーヴィーは少し悲しそうな目で彼の顔を覗き見ていた。
「別におまえには怒ってないよ。まさか本当に飛ぶとは思わなかったけど」
クロードが顎をさすると、オーヴィーは気持ちよさそうにしてうなる。その顔はどこか得意げでもあった。
「本当に賢いよね、オーヴィー。私たちの話していることも分かっているみたいだし」
「竜は他の動物と比べて、洞察力に長け、思慮深い。しかもその中でもオーヴィーは頭の良い品種みたいだから、何かと察しが良いのも当然といえば当然なんだろう」
「そうね。でもこんなに賢い上に人間に懐きやすいなんてちょっと不思議よね。あまりにも私たちに都合が良いというか」
「それが品種改良のおかげなんだろう。今でも凶暴な竜が街中で暴れることはあるわけだし、気性が穏やかで優しいのもオーヴィーの良いところさ」
そう言って、オーヴィーを撫でるとやはり嬉しそうに高い声で鳴く。
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