第6話 ピンク色の子竜

 詰所から家に帰る道中、クロードは原っぱを歩いており、その後ろをオーヴィーも重い足取りで歩いていた。

「昼間のことが嬉しくて飛ばしすぎちゃったかな」

 身体が細くて華奢なだけに、疲れやすいのは分かっていた。あれから小包はすぐに届けて仕事は早々に終えたのだが、帰り道でかなり飛ばしてしまったのだ。元々行きに二人を乗せて飛んでいたこともあり、オーヴィーへの配慮が足りなかったことを自覚させられる。

「でも家はもうすぐそこさ、一緒に頑張ろう」

 するとオーヴィーは申し訳なさそうに弱々しく鳴く。

「数年前は僕がおまえのことを背負えたんだけどな、さすがに今はそうもいかないか。いや、物は試しだ。ちょっとやってみるか」

 それは半ば冗談であり、小さくても数百キログラムはある竜を背負えるはずもなかったが、クロードが腰を落として手を後ろに広げながら背中を向けると、オーヴィーはおずおずとクロードに乗ろうとする。それはほとんどのしかかるようであり、腕と背中にオーヴィーのおなか辺りの柔らかくもちょっとザラザラした皮膚の感触を感じると一気に重くなり、あえなくクロードの足腰は限界を迎え、そのままうつぶせに草むらに突っ込むように倒れこんだ。

 クロードは押しつぶされるような息苦しさを感じながらも、怪我はしていなかった。顔を横に向けると、身体をもぞもぞと動かしてクロードから滑り降りるように退いたオーヴィーの顔が目と鼻の先にあった。その曇りのない青い宝石のような大きな目と合うと、クロードは思わず笑った。するとオーヴィーも鼻を通る高い声を上げて嬉しそうに鳴き、彼にその顔を寄せてじゃれつく。

「身体は大きくなっても、おまえは変わらないよな」

 クロードはそんなオーヴィーの頭を撫でる。

 二人が出会ったのは、クロードが五つのときだった。クロードの父親が肺炎で亡くなって間もない頃であり、今は貸し出している畑もまだ全て自分たちで耕していたが、当然クロードは一人前の働きなど出来るわけもなく、祖父や雇っていた百姓が仕事を手伝っていた。母親は畑仕事だけでなく買い付けやら書類の管理などを父親から引き継いだばかりで忙しくしており、とてもクロードに構う暇もなく、村には同年代の子たちもいたが、今よりもずっと引っ込み思案であったので、ヘラを除けば友達もおらず、一人でいることが多かった。

 そんなある日、一人で家の裏手にある山に入って山菜を採っていたところ、その山中で擦り切れたマントを纏いずんぐりした馬に沢山の積み荷を載せて引かせる行商人に出くわした。クロードは警戒したが、彼がただ道に迷ってしまっただけだと知ると、村まで案内してやった。そのとき、彼は自身が旅人で流れ者のようなものなどと話していたが、クロードはろくに聞かずに網籠に入った大きなピンク色の卵に魅入っていた。それは紛れもなく竜の卵であり、彼が遠くの街で取引をした貴族から譲り受けたものであったそうだが、本人は竜使いでも何でもないのでどこかで換金しようと考えていたようだ。

 その後、行商人はしばらく村に滞在して商売をしていたのだが、クロードは毎日暇さえあれば卵を見に行き、時間も忘れて眺めていた。ところがある日、行商人が商談をまとめるために荷馬車から離れた際、卵がぴきぴきと音を立て始めた。クロードは彼を呼んだ方が良いとは思ったが、その卵の様子に片時も目が離せなかった。時間をかけながらも、最後は一気に殻が破られると、そこには粘液まみれの色素の薄い色白の子竜が現れた。それがオーヴィーとの出会いであった。

 小鹿などは生まれてからすぐに一人で歩き出すそうだが、竜の赤ちゃんは全く飛べず、決して強い存在とはいえない。クロードはどうすれば良いのか分からなかったが、急いでぬるいお湯を近くの民家で必死にせがんで分けてもらうと、それにくぐらせるように子竜を入れた。するとピーピー喚くように鳴き、クロードの指を甘噛みした。

 子竜はクロードにとても懐いた。クロードが少しそばを離れるだけで泣き出すので行商人も苦笑いを浮かべるほどだったが、クロードはとにかく夢中だった。しかしまもなく行商人は商談をまとめ、いよいよ村を去ることになった。

 別れの日のことは、今も鮮明に覚えている。クロードはどうにか泣かないように唇をかみしめて見送っていたのだが、子竜も別れを悟ったのかいつになく必死に鳴き、それを見ているうちにクロードも耐えられなくなり、行商人に迷惑をかけても行けないと思って、その場から走り去った。

 それからというもの、クロードはそれこそ父親が亡くなったときと同じぐらいの喪失感を抱え、何にも手がつかず、毎日山に入ってはぼうっと景色を眺めていた。

 しかし一週間ほど経ったある日、まだ夜も明けない頃、もはや懐かしいほどに聞き慣れた鳴き声が聞こえてきたのだ。最初は幻聴か何かだと思ったが、そうでないと分かると布団から飛び出して家の玄関口に向かった。するとそこには網籠の上で毛布にくるまれたピンク色の子竜がいたのだ。

 後で聞いたことだが、毎日クロードが会いに行っていたことを祖父が知り、わざわざ追いかけて買い取ってきたそうだ。有名な品種ではなく、またその身体の小ささから、子竜の相場と比べればだいぶ安かったようだが、それでも馬鹿にならない金額であり、クロードの家は大黒柱を失って余裕のある状況ではなかったにもかかわらず、どこからその費用を捻出したのかもいまだに分からない。しかし母親にも迷惑をかけることなくクロードが全ての面倒を見るという約束付きで飼っても良いことになり、それからクロードは朝起きてから夜寝るときも甲斐甲斐しく世話を焼き、ずっとその子竜と共にいた。

「そう、僕たちはこれからもずっと一緒さ。ようやく僕も一人前になってきたんだ。これからはオーヴィーを引っ張るつもりで頑張らなくちゃな」

 それから二人は再び、家に向かって歩き出したのだが、そこで町外れにある赤い屋根の小さな民家の前に、見知った人影を見つける。

「じいちゃん」

 白髪の老人は、相当年がいっていることが一目で分かるほどに顔には無数の皺が入っていたが、今もその健脚ぶりで畑を耕している。婿養子だった父親が亡くなった後も、しばらくの間は雇われ百姓を入れつつ耕地を維持できたのは、祖父の働きが大きかった。

「帰りか」

「うん」

 クロードは頷くが、今更ながらここがどこなのか気付き、「オーヴィーが疲れているから、先に帰っているね」と言って、さっさとその場を離れようとした。しかしそこで民家の扉が開く。

「すいません、お待たせして……って、なんでおまえがここにいるんだ?」

 民家から出てきた猫背で目つきの悪い男は、クロードを見ると露骨に眉をひそめた。

「仕事から帰ってきたところだけど」

「竜で降りてくる音も聞こえなかったが、地面を這いつくばって配達してきたのか?」

 彼がそう言ったのはクロードの服に土や草がついていることからであったが、その嫌味ったらしさはいつものことであり、ゆえにクロードは昔から彼のことが苦手だった。

「お手軽な稼ぎ方だな。竜使いが限られた人間しかなれないのを良いことに、適当にサボっていても、高い給料がもらえるんだからな」

「別にサボっていたわけじゃない」

「なあ、ガキんちょ。なんで竜使いの数が少ないか、知っているか?」

 彼はねちっこく喋り続ける。

「皆が政府に無断で竜を所持したら、いざというときに危険なことになるかもしれないからだろ。だから政府が数を絞って管理しているんだ」

「本気でそんな話を信じているんだとしたら、おめでたい頭だな。それに、仮に今言ったことが正しかったとして、それじゃあ竜に乗れるか乗れないか、その違いが家の格式だけで決まると本気で思っているのか。金になり、武力になるから独占しているだけでしかない。既得権益というやつさ」

「そうだとしても、竜使いの民が作ったこの国で竜に乗れることは誇って良いことでしょ」

「詰所で毎日のんだくれている野郎どもを見てもそんなことが言えるとは、おまえも随分染まってきたじゃねえか」

 それを言われると、クロードも言葉に詰まるが、それでも言い返す。

「なんでそんなに竜使いを批判するようなことを言うんだよ。グレッグだって竜使いだろ」

 グレッグはこの村でクロードを除けば唯一の竜使いであった。しかし彼は百姓として働き、竜使いがやるような仕事、要人の護衛や郵便配達などには従事していない。彼の竜は普段、家から少し離れたところにある小さな厩舎にいるが、それに乗っている姿を見たことがなかった。

「たまたまそういう環境に生まれついただけさ。おまえと同じようにな」

 彼は吐き捨てるように言うと、クロードの祖父の方を向く。

「畑は買えそうです。おかげさまで金も貯まってきたんで」

「ふうむ」

「ですがもう少しばかり、こいつにも考えさせた方が良いんじゃないですか。やっぱり何も分かってないんですよ、畑を手放す意味も何もかも。正直、育て方を間違えていると思いますよ」

 無遠慮かつ非礼な発言にクロードはむっとするが、祖父は何も言い返さなかった。

「他人様のことなので、これ以上余計な口出しをするのは止めておきますけどね。おまえも、せいぜいあとで後悔しないようにな」

 グレッグはクロードの祖父に一礼すると、自分の家に入っていった。

「あいつ、本当に意地の悪い奴だよ。じいちゃんはなんであんなのに良くしているのさ。皆、あいつのこと嫌っているよ」

「ふうむ」

 否定とも肯定とも取れないものであったが、それはいつものことであった。

「どこから来たのか知らないけど、きっと性格が悪いから家を追い出されたんだよ。竜使いなのに全然竜に乗らないのも、乗るのが下手だから見せたくないだけなんじゃないの」

 それからしばらくの間、クロードは本人の前では言えなかった文句をぶつくさ言うのだった。

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