第5話 竜征杯の話を聞く

「今年の秋に竜征杯があるのは知っているよね」

 結局話が再開したのは、田園の中にあった井戸から汲み上げた水をオーヴィーにたっぷりと飲ませてしっかりと休憩をとり、再び空に飛び出してからのことであった。

「ええ、はい」

 クロードの返事には自然と力が入った。

「私の家も参加するのよ。しかも今回は自分たちで頑張ってみようって話になっていて、そのために有望そうな竜と竜使いを探しに来ていたの。でもこれがかなり難題でね、良い竜使いにはとっくの昔に名家の息がかかっていて、少なくとも彼らの出す報酬以上のものを要求されるし、そうでなくても普段の付き合いからの義理やらで、そう簡単に引き抜けない。さすがにこの時期にもなれば、布陣も含めて大方は決まっているのだけど、いざというときに備えてあと一人ぐらいは欲しいと思っているんだよね」

「まだ半年以上ありますけど、もう決まっているものなんですね」

「そうだね。だから正直なところ、期待はあまりしていなかったんだ。ほら、あそこの街にはグレリン家があるでしょ。昔から交流があるから試しに聞いてみたんだけど、向こうも今回は自分たちで出ることにしたみたいでね」

 グレリン家はこの辺りで最も影響力のある竜使いの一家であり、詰所からそう離れていないところに、赤レンガで建てられた大きな屋敷を構えている。配達員やドゴールが話していた看板娘に求婚して断られたのも、グレリン家の長男である。

「それで話したくなかったんですね」

「そうだね。でも、そう隠せるものでもないからね。あなたが誰にも話さなかったとしても、私たちがこの辺りに来ているのを見かけた人の口には戸が立てられないし、こういったことは風の噂で流れるものだから」

「なるほど。だとすると、他の用事があったということですか」

「少なくとも私にとってはそっちが目当てだったんだけど、特に何の手がかりも得られなかったんだよね。なんでもこの辺りに凄腕の竜使いがいるって話なんだけど」

「凄腕の竜使い?」

「うん。とっくに引退して隠居生活をしているらしいんだけどね。ほとんど表舞台に出て来なくて、知る人ぞ知る竜使いだったそうなの。昔は竜征杯にも出場して、なかなか良い成績を残したこともあったとか。ときには竜使いの家に招かれて、竜使いたちの指導や竜の調教の仕方なんかも教えていたみたいで、出来ることならその方にご教授願えないだろうかと思って探していたんだよ。私がその人のことを知ったのも割と最近で、どうやらこの辺りの出身らしいということだけは分かったんだけど、それ以外のことはさっぱりなんだよね」

「聞いたこともありませんね」

「やっぱりそうだよね。もう何十年も昔のことだし、もしかしたらすでに亡くなられているのかも。竜征杯のことを色々教えてもらえたら、今年のレースでも生かせるかもしれないと思ったんだけどな。個人的にも竜や調教についてもっと勉強したいし」

「すいません、何の力添えも出来なくて」

「気にしないで。あわよくばという話だし、今の自分のやり方に自信がないわけでもないから」

 彼女の言い方は自然体であり、それが今のクロードには羨ましくも思えた。

「ただ、そうは言っても私はあくまでも裏方で、実際に竜に乗って飛ぶわけじゃないからね。竜使いには、竜の世話をしたり見極めたりするのとはまた別の才能や技術が必要なんだよ」

「例えばどんなものですか」

「そうだね。君も竜使いなら分かると思うけど、竜を自分の思うように飛ばすには竜に信頼されているだけでなく、的確な指示を出さなくてはならない。飛んでいる中で、瞬時の判断力が問われることになる。周りの竜や人間の様子、天候や風向き、意識しないといけないことは無数にあるし、一瞬の遅れが命取りになりかねない。竜征杯では周りに沢山の競争相手がいるからね。ルール上は竜や人間に対して互いに危害を加えてはならないことになっているけど、それはあくまでも審判や観衆の目がある場所での話だし、そうでなくても飛ぶときの場所取りやら狭い道での押し合いの際に、壁や障害物にぶつかる恐れも十分にある。時には竜の嫌がることであっても、勝つために無理やり従わせなくてはならない」

「勉強になります」

「今言ったことは、競竜選手の受け売りなんだけどね」

 競竜というのはその名の通り竜を競わせる競技のことだが、これは専用の競技場や街の外周など比較的短い距離を十体前後の竜を飛ばせて、その速さを競うものだ。竜征杯と違ってこちらは頻繁に開催されており、この国で最も人気な賭け事の一つでもある。

「でも競竜と違うのは、竜征杯は何日もかかる長丁場であること。競竜選手ももちろん多く参加するしウチにもいるけど、その人たちが絶対に有利というわけでもない。長期間での集中力や心理戦に揺さぶられない胆力が求められるからね。だからこそ、そういったものを少しでも軽減するためにも隊列を組む」

 聞けば聞くほど竜征杯の事情を知れるので、クロードとしてはまだまだ話していたかったが、もうすでに届け先である街が見えつつあった。

「おっ、あれはたぶん私を置いていったやつだな」

 街へ続く砂利道の上を黒い箱付きの馬車が走っていた。竜と馬は空路と陸路の二大輸送動物として知られており、便利さでいえば竜が大きく秀でているが扱いやすさでいえばまだ馬の方に分があり、こうして頻繁に使われている。一部の地域では鉄道を作る計画もあるといわれているが、まだまだ竜も馬も使われることには違いないだろう。

 すると馬車はスピードを落として、元々街に入る直前だったのでさして早くもなかったが、停車するのでそこに合わせてゆっくりと降下してふんわりと着地する。

「本当に人想いの良い竜ね」

 彼女は慣れた様子で降りると、オーヴィーの身体を撫でる。オーヴィーは嬉しそうに鳴く。

「ハンナ」

 わざわざ馬車から降りてきたのは背の高い男だった。高級そうな銀ボタン付きの紺色のジャケットに、鰐革のブーツに裾の入ったロングパンツを履いている。この国では特に言えることであるが、たとえ高い身分の者であっても、派手で煌びやかなものを身に着けることは好まず、それよりもかっちりとしていて洗練されたものを着用することを望む。それは彼らの多くが竜使いの民であることが大きく、誇りと高い美意識を持ちながらも、いつでも竜に乗れるように身軽さが重視されていた。

「一体どこまで行っていたんだ。この後も来客があるのだから、さっさと帰って支度をしなくてはいけないと口酸っぱく言っただろう」

「ちょっと竜が見たくなっちゃってさ。仕事のうちなんだから良いでしょ」

「だからって配達員の詰所なんかに行っても……いえ、失敬」

 途中でやめたのはクロードがいたからに他ならない。

「そうだ、失敬だ。それに、ちゃんと有望な人材も見つけたよ」

「ほう、どこの家の者だ?」

 男はしかめ面を引っ込める。明らかに興味を持った様子であった。

「この子」

「え?」

 指を差してくる彼女にクロードは驚かされる。

「やる気は十分だし、将来が楽しみよ。まだ若いけど竜の扱い方もちゃんとしていて、何より気持ちがこもっている」

「そういえば、今も随分と丁寧に滑降していたな。だが、実戦となると全く別の話だ」

「だから言っているじゃない、将来有望だって。これからよ、これから」

「つまり成果はなかったということだな」

 もちろん彼はクロードを自分たちの隊列に入れることなど微塵も考えていないようだったが、馬鹿にされなかっただけマシだと思った。そしてそれよりも気になることもあった。

「やる気は十分ってどういうことですか?」

「だってあなた、竜征杯の話にすごく食いついていたじゃない。本当に興味津々って感じで」

 クロードはあっさり見抜かれていたことに恥ずかしさを覚える。

「五年後なら、あなたも良い年でしょ。その調子で成長していったら、そのときはひょっとすると声をかけるかもね。次回は選挙もないし、若手も活躍しやすいから」

「それは、恐縮です」

 そこまで言われると、さすがに嬉しさの方がまさっていた。

「おい、ハンナ。もういくぞ」

「はいはーい」

 ハンナは「送ってくれてありがとね。それじゃあ」とクロードたちに言うと、馬車に乗ってそのまま去っていった。クロードは馬車が見えなくなるのを確認してから、またオーヴィーの背中に乗って、改めて小包を届けるために目的地に向かった。



 馬車の窓からクロードと竜の姿が見えなくなったところで、男は口を開く。

「なんであんな希望を持たせるようなことを言った」

「いいじゃない。あの子、相当竜征杯に出たがっていたみたいだし、筋が良いと思ったのは嘘じゃないもの」

「レースの過酷さにとても耐えられそうにないのは、見て明らかだろ」

「身体が小さいのは仕方ないでしょ、まだ子どもなんだから」

「そうじゃない。気質の話だ。あれなら飼育員の方が余程向いている。そっちの方で人手が足りなくなって雇うというのなら考えないでもないが、あのままでは到底戦えまい。レースにおいて、感情に惑わされない冷静な判断をしなくてはならない時が必ず来るが、彼にそれが出来るとは全く思えなかった」

「分かっているって、それぐらい。でもこれから変わることだってあるかもしれないでしょ」

「まず無いな」

「なんで頑なにそこまで否定するのよ」

「奴のズボンを見れば分かる。くっきりとした筋は一本しかなかった。おそらくはあの竜にしか乗ったことがないのだろうな。何匹もの竜に乗っていれば、それぞれの体形に合わせて折れ目がいくつも付くはずだ。竜使いは皆幼少時から多種多様な竜に乗れるように教育されているが、彼にはそれがなされていない。そしてそれはおまえにも覚えがあるはずだ」

「本当に意地悪だよね、兄さんは」

 ハンナは男のブーツを軽く蹴った。

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